第四十四首 しらなみに くだけ散りたる いく万の わだつみよりの こえ聴きたまえ
チチチチ…ピピ…チュンチュン…
…うぐいすとはまた違う小鳥たちの鳴き声が聞こえる。布団や畳の匂いが違う…
…それにこのやさしい香り…生け花の香りかな?
…ここはどこ…いや、この場所の香りは知っている。懐かしい香りだ。
…ん、おや?
…なぜか身体中がちょっと痛い。
…昨夜は…ああ。
…乱心してオッパイに突撃したら。
…てるにサブミッションと絞め技で落されたんだった。
…まさか、あんな気持ちよくも殺人的な技を習得しているとは予想外だった。
…それはそれとして、昨日はほぼ丸一日寝てしまったようだ。
…そうだ。起きて、今しなければならない課題に向き合わないと。
…今更だが、私は折り媛になったのだから。
タッタッタッタッ
おや?
バッ!
「起きろすみれ。もうすぐ朝食の準備は出来るから、顔を洗うかシャワーを浴びてこい」
襖を開けて土師てるが現れた。どうやらここはてるの実家のようだ。締め落された後、ここに私は運ばれたようだ。
陰陽博士としての修業時代、寝泊りした勝手知ったる他人の家であった。
「あ~そういえば昨日は、ウェットティッシュと濡れタオルで身体を拭いただけだった。シャワー浴びてくる」
「そうしろ。ほとり君や菅家の姫君は別室にいる。土御門の御大もだ」
「解ったわ…それと昨夜はごめん。もうしないわ」
布団から出て衣服と手荷物の確認をした私は、化粧品を持って洗面所脇のお風呂場へと向かう。その合間の会話で、何気なく気軽に昨夜の御乱行を謝るすみれちゃんなのであった。
「もう、あんなことはアレっきりにしてくれ…いや、今はいい。早くシャワーを浴びてこい」
「うん」
そう会話して、私とてるはそれぞれの場所へと向かった。
しばらくして、ゆっくり朝のとシャワーを浴びて、式亭三馬の浮世風呂の一節など諳んじる、私の掛詞混じりの声がお風呂場に響いた。
「…つらつら鑑みるに…♪」
◇ ◇ ◇
小一時間後。
「さあ、召し上がれ」
「いただきます」×3
食事前に大事なこと。それはいただきます。日本人の心のバイブルにもそう書いてあるらしい。故に私は手を合わせ、そのようにした。
予備の下着の上に浴衣と半纏姿というラフな格好になった私は、客間で大人しく座布団の上に座り、机の上に並べられた料理に舌鼓を打った。
薄味を基本とする関西系料理と違って関東系の味付けは濃い。
もっとも、どちらもいける口の私にとって、それはどうでも良いことだ。しかし、私とてるは勝手知ったる仲である。てるは料理の下味を出汁を多用して薄めに仕立ててくれた。だから私は何の問題もなく料理を堪能できた。
これからの戦いを考えると、ゆっくり食事を楽しめる時間もそう多くはないだろう。そんな考えから、私はじっくりと味わって朝食をいただいた。
それは、一緒に食卓を囲んだ客人組の、ほとり君や夏月ちゃん、佐保ちゃんも同様だった。
とくに関西出身の夏月ちゃんや、元々、京で信仰される四季の女神である佐保ちゃんには、それは重要なことであった。
「御馳走様。いやあ、料理上手の奥さんでてるの旦那さんは幸せだろうね」
「ええ。その点は同意します。料理も御上手で僕も感服致しました」
「私もそう思います。濃い目の味付けは避けてくれたようですから。あ、お茶どうぞ」
「ありがとう、夏月ちゃん。佐保姫はどうします?」
「戴くです!」
「はい、どうぞ」
「ふん、煽ててもデザートしか出んぞ」
「さすがはてる。そこに痺れる憧れるぅ」
朝食の最後を、みかん入りのシンプルな杏仁豆腐のデザートで絞め、私と客間に集まった面々は、口直しの緑茶を流し込む。
「ごちそうさまでした」×3
「お粗末様」
リグ・ヴェーダにも、ごちそうさまはかならずしなさいと描写されていた気がした。私はそれに従い再び手を合わせた。
数分間、食器のお片付けの手伝いなどしながら、私たちはまったりとした時間を過ごした。
何気なく座敷奥のテレビなどつけて、ちょっとだらしない姿勢になって、天気の確認などしながら。
その合間にも、てるはお手伝いの家政婦さんと一緒に食器を片付けて、私たち客人にゆったりとした時間を提供してくれた。
ちょっとてるの旦那さんと娘たちのことが心配になって聞いてみると、
それなら安心だ。
しかし、我々を持て成すのに、貴重な家族との時間を割いてくれたのだから、てるには本当に頭が下がる。
いくらてるが総領としての務めを全うするためとはいえ、恐縮せずにいられない。
てるが家族と幸せな時間を過ごすためにも、私が折り媛としてがんばらねばなぁと思う。
さらに十数分後。
「さて、9時頃から関東、東北一円に拡がる熱病の対策会議が、菩提寺にある薬師堂で開催される。どうやら内陸側では熱病は治まる傾向があるそうだが、問題は太平洋側だ」
諸々の雑事を終えて、てるがこれからの予定を話し始めた。
「どうやら敵側は海の怪異共から力を得て、太平洋側の地域一円に熱病を引き起こす絡繰りを構築しているらしい。すみれ」
「応よ」
「わだつみの怪異を打ち、封じる折り媛であるお前に、この対策で号令を出して戴きたい。関東の総領として頼む」
「正直、支度金なしは痛いけど、その程度でへそを曲げるすみれさんではないよ。それは任せて」
「では?」
「ええ…私、四季すみれは折り媛として東国の呪術師たちに号令します。日ノ本の呪術師たちよ、
頭を下げてきた関東の総領てるに対し、私は二つ返事で御役目を成し遂げると告げ、早速、儀式的な号令を出した。
このすみれさんだって場の空気は読める。
てるには、昨日の乱心にも触れずに丁重に扱って貰った身だ。それを素気無く切り捨てる程、すみれさんは薄情ではないのである。
一宿一飯の恩義ってヤツだ。
「そういう訳なんで、佐保ちゃん、ほとり君、 夏月ちゃん、サポートよろしくね」
「了解なのです!」
「無論です」
「びっ、微力ながら最善を尽くさせていただきますっ!」
ほとり君、夏月ちゃん、おまけの佐保ちゃんが恐縮して協力を誓う。そしてまた総領のてると私は向き合う。
「関東の呪術師たちの総領として、御役目承った。資料は今追ってきます」
「総領殿、諸々の雑事と露払いはお任せ致します」
「心得た。土御門殿と共に、菩提寺までお送り致します」
「頼みます」
私は、話の最後にてるの妹分の小娘すみれではなく、当代の折り媛として関東総領に向き合い、そのように支持を出した。
私は早速、その立場と権威を発動した訳だ。
さて…これからが私の折り媛としての本番である。
お歴々との話を終えたなら、疾く速く
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