999体の亡霊達

 テーマパーク内は、午前中だというのに、活気に満ち溢れていた。

 親子連れや、学生集団。カップルや老夫婦まで、ありとあらゆる人が集まり、夢の国を満喫している。

 軽快な音楽に合わせ、住人たるキャラクター達が手を振る中。僕とメリーはそういった華々しい世界を、遠巻きに眺めるだけに留めていた。理由は極々単純だ。


「もう腰砕けになっちゃったの? 私はまだまだイケるのに」

「そこはかとなく誤解を招きかねない発言止めてくれませんかねぇ?」


 ベンチにて休憩なう。アリスに膝枕されて寝転ぶロビン・フッドがそこにいた。

 一応、アトラクションからは離れたベンチを選んでいる。多分夜になれば、カップルがイチャつきそうな場所だ。まぁ、それはさておき……。


「スペースマウンテン恐い。下手なホラーよりずっと怖い」

「ギャアァアア! って叫ぶ辰なんて初めて見たわ。てか、苦手なら言ってよ」

「いや、せっかく来たしさ。ビックサンダーが何とか大丈夫だったから、行けると思ったんだ」


 絶叫系が少しでも苦手な人は本当に乗るべきではないと思う。僕みたいになる。ディズニーランドは、実は中学の修学旅行以来だったのだけど、こんなにも怖いところだとは思わなかった。

 頭のクラクラはまだ治らない。後頭部の柔らかな感触と額に当てられた、メリーのひんやりとした手がひたすらに心地いいのが、せめてもの救いだった。


 現時刻。午前十時半。

 収穫は……思っていた以上に何もなかった。夢の国に無事潜入もとい入国出来た僕らは、メリーの宣言通りにディズニーランドで有名なジェットコースター。所謂三大マウンテンと呼ばれるうちの二つを既に周り終えていた。


 ビックサンダーマウンテンは色んな逸話があれど、乗ってみたら普通のジェットコースターで、僕は内心涙目になったけど、それは些末な問題だろう。

 乗り終えた結果、プルプルと生まれたての小鹿みたいになっている僕を引っ張るようにして、メリーはあらかじめファストパスを取っていたスペースマウンテンへ。

 だが、ここでも何も起こらず。そうしてとうとう、僕が耐えきれず、恥も外聞も捨てて悲鳴を上げた。

 実は初のスペースマウンテンだったのだけど……。予想以上に死ぬかと思った。だが、僕が何よりも震え上がったのは、ようやくコースターがゴールした時だ。

 何とまぁ、僕の相棒と来たら。僕の肩に頭を乗せて、すやすやと熟睡されていたのだ。

 肝っ玉が太いってレベルではない。だが、一応これには彼女なりに理由があった。


 何でもスペースマウンテンには、隠れたもう一つのコースがあって、それはお客さんが体調不良になると開く……らしい。なので眠って、ぐったりしてみたのだとか。


 でも、それこそ眉唾物だ。真っ暗なあの場所で、どうやってお客さんの体調を把握しようと言うのか。僕がそうコメントすると、メリーは目を見開いて、「た、確かに」と、震える声で項垂れた。

 気づいてよそこ。と、思うけど、たまに彼女は天然を発揮するから仕方ない。


 こうして、二大マウンテンを盛大に空振りした僕らは、主に僕のせいでその場に足踏みしていた。

 面目ない。なんて呟けば、メリーは特に気分を害した様子もなく。寧ろ上機嫌に首を横に振る。「役得だもの」何て言っているけど、それはメリーみたいな美人に膝枕されてる、僕の台詞なんじゃないだろうか?

 何て考えていたら、メリーは首を傾げつつ「そういえば……」と、話を切り出した。


「都市伝説によれば、スペースマウンテンには御札がびっしり貼られてるらしいけど……」

「アレだけ暗いと、確かめようもないよ。てか、何でディズニーランドなのにお札なのさ」

「よね。私もそれは思ったわ。アミュレットとかなら分かるのに、何でそこだけ日本風にしちゃったのかしらね?」

「……ここが日本だから?」

「身も蓋も、夢も希望もないわね。夢の国なのに」


 もう片方の手で、おもむろに僕の頬をいじくり回しながら、メリーがため息をつく。

 シニカルな意見だなぁ。何て、僕が苦笑いを浮かべていると、そこで不意に、近くでざわめきが起こっているのに気がついた。何だろう? と、おもむろに頭をあげようとしたら、それはメリーによってやんわりと押し戻される。

 まだフラフラなんだから、無理しなさるな。そういう事だろう。


「あ、見てあそこ。今年は違反者が多いね」

「ほんとね~。リアルを追求するのはいいけど、ルールは守れっての」


 アリエルと白雪姫の仮装をした女子二人が、ため息交じりに歩いているのがチラリと見えた。その横をゾンビのコスプレをした集団が蠢きながらすれ違い、残されたその場には、ピーターパンがティンカーベルの手を引いて踊っていた。やることなすことはバラバラでも、皆一様に何かに目を向けているのだけは分かった。


「何が起きてるの?」


 僕がそう問えば、メリーは「ヒュー」と、綺麗な口笛を吹きながら、観衆が注目していたものを一瞥した。


「ジャックスパロウ船長が注意を受けてるわ。……凄いわねあれ。刀剣なんてどうやって持ち込んだのかしら?」

「ああ、ルール違反ってそういう奴か」


 夢の国に武器の類いを伴って入るのはどうなのか。という話なのだろう。かくいう僕だって、ロビン・フッドなのに弓を持っていない。……これじゃあただの緑男(グリーンマン)な気もしてきた。


「そういえば、こんな話があるわ。今はどうかわからないけど、夢の国で万引きしたら、ひたすらにマークがついて、出た瞬間に捕まる……みたいな」

「文字通り夢から現実へ……か。こう考えると、ここの世界観への徹底ぶりは凄まじいね。殆ど法律だ」

「幻想で塗り固めた、ある意味で別世界だもの。それもやむなしなのかもね」


 そう言いながら、メリーは僕を弄る手を止めて、器用にもガイドマップを広げ始めた。次はどこにする? そういう事だろう。


「流れ的に、次はスプラッシュマウンテンかな?」

「そう行きたいけど……それは一番最後にしない? せっかくの衣装がグショグショになっちゃったら、勿体無いわ。あと……ちょっと怖いから、心の準備がいるのよ」

「……スペースマウンテンで爆睡する君が?」


 嘘だと言ってよ。といった顔の僕に、メリーは少し恥ずかしそうな顔で小さく頷いた。


「落ちる系……駄目なのよ。スプラッシュマウンテンは、道中が可愛くて素敵だから、乗るのは嫌いじゃないけどね」


 それはまた複雑な事情だ。じゃあ今度は君の悲鳴が聞けるのかな。何て言ったら、無慈悲なヘットバットが落ちてきた。

 たまに彼女は容赦がない。頬っぺたをつねって捻ったりだとか、地味に効く攻撃を……たまにしてくるのだ。


「……滝に落ちるくらいどうってことないんだぜ? ワトソン君」

「生憎ね。私も貴方も、名探偵ホームズみたいにバリツを極めている訳ではないでしょう? 滝の傍で危機に陥ったら……想像もしたくないわね」


 ブルッと、身を震わせるメリー。……本当に苦手っぽいので、これ以上この話題は続けない方が無難だろうか。

 気を取り直してじゃあ何処に行く? と問う僕に、メリーは少しだけ首を傾げて。


「迷うけど、そうね。じゃあ、ここは……」


 早いけど、大本命と、いきましょう。そう言ったメリーは心底楽しそうに、青紫の瞳を輝かせる。白い指が指差した場所は――……。


 ※


 ……成る程。確かにここは、いかにもな場所だ。

 アトラクションの導入を眺めながら、僕はそんな事を思う。

 鬱蒼と生い茂った木々が建ち並ぶ、森林の墓地を抜ければ、そこには古びた煉瓦色を基調とした、大きなお屋敷があった。その中に入れば、独特の衣装を身に纏った侍女が僕らを導いていく。

 そうして今いるのが、内部の闇に包まれたロビーだ。

 目の前では、痩せ細った骸骨みたいなキャラクターの肖像画が、徐々にサンタ衣装に変わっていく。

 お化け屋敷のアトラクション。ホーンテッドマンションだ。

 普段ならば、館の主人の首吊り死体が出迎える所なのだが、ハロウィンの時期は、ここは特別なアトラクションになる。

 ストーリーやら内装が変わり、出てくる幽霊達も様変わりするのである。

 クリスマスをはき違えた、ハロウィンの世界に住む亡霊達。

 ティム・バートンが原作、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の世界だ。つまりここでは、ハロウィンとクリスマスがぶつかり合う混沌カオスが起こる事になる。


「足元にお気を付けて、お進みください」


 抑揚のない声が暗闇の中に響き、ゲストの人達が順路にそって進んでいく。僕とメリーもまた、手を繋いだままロビーを抜け、薄暗い廊下を進む。

 重いものが引きずられるような音がしていた。やがてたどり着いたのは、黒い揺り籠を思わせる乗り物がいくつも並べられた部屋。いや、正確には、黒い揺り籠が延々と列をなし、部屋の奥へと消えていく、船着き場を思わせる長方形の小部屋だった。


「ドゥームバギー……。死の車ね。この時期は、黒いソリらしいけど」


 すぐ隣で、囁くようにメリーが呟いた。

 これに乗って、お化け屋敷の中を探索する。ゲストは歩く必要はないのである。


「便利に見えて、その実幽霊達に捕らえられたように思えるのは、僕の気のせいかな?」

「999人の幽霊がここにいて。ゲストの誰かを1000人目にせんとつけ狙ってくる。そういう意味では、これは幽霊達から見た、商品陳列棚……なんて考えもありよね」


 身を寄せあって死の車に乗った僕らの上から、安全バーが降りてくる。まるで逃がさないかとでもいうように。


 暗い中を、死の車に乗り、ひたすら進む。

 僕も彼女も霊感持ち。だから……〝それ〟にはすぐ気がついた。


「こういう雰囲気の場所だもん。いてもおかしくないわよね」

「ただ。識別は難しそうだよ。ここのお化け達は……精巧すぎる」


 水晶に女の顔が映り、墓場やダンスホールでは、亡霊達が騒ぎ回る。無限に続くかのような廊下の先には少女がいて。道行く肖像画は、僕らの方を見つめてくる。

 黒い揺り籠に囚われた僕らは、動く事は出来ない。故に嫌でもそれを目の当たりにする事になる。

 だがやはり、気配はあってもどれがそれなのかは分からない。つまり、どうしようもなかった。

 

 ホーンテッドマンションには確かに幽霊がいた。だが、それが何処にいるかは分からない。ミステリアスで素敵だとは思うけど、どうにも拍子抜けした感じは否めなくて。


「あら、私は多分それっぽいの見つけたわよ?」


 だから、次のメリーが発っした何気ない一言を聞いた時、僕は思わずジュースも飲んでいないのに、噎せ込みそうになった。

 本当に? といった僕に対して、メリーは楽しげに頷いた。


「前もって予習してきてよかったわ。ねぇ、辰。ホーンテッドマンションにはね。色々な幽霊はいても、小さな女の子や、男の子はいないのよ」

「……え」


 告げられた真実を噛み砕くと共に、僕はさっき見た光景を思い出す。長い長い、順路には関係ないのに奥へ伸びていた廊下。そこには……確かに少女の姿がぼんやりと佇んではいなかったか。


「じゃあ……アレが?」

「うん。多分ね。とはいえ、私達はこれから降りれないから、何らかの接触はできないけど。閉園後の見回りは、スタッフが二人一組でやるって聞いたけど、納得だわ。あんなに堂々といるんだもの」

「……無害な霊かな?」

「表向きは何も起きてないんだから、そうと信じたいわね」


 大本命なだけに収穫があった。と、ここは喜ぶべきだろう。だけど、どうにも燻るような感覚が残った。

 多分メリーも考えている事は一緒だ。目の前にいたのに、近くまで行けない。謎のもどかしさがあった。


「さすがに車から降りるのは……」

「不味いわね。他の場所を検証して、我慢することにしましょう。一つ見つけたんだもの。他にもきっと見つかるわよ」


 そう言って、肩を竦めるメリー。仕方ないかと自分を納得させ、僕らは残りのアトラクションを楽しむ事にした。

 そういえば、終盤辺りに鏡張りの部屋があった筈だ。ここの仕掛けは至極単純。鏡に映る自分達を見れば、死の車に幽霊が乗り込んでいるのが映り込むというものだ。この幽霊だけ本物何て説もあるから、乗り込んできたら視てみようか。

 僕がそんな事を考えていたら、微かに手の握りが強くなる。メリーだった。


「どうしたの?」


 と、僕が聞くと、メリーはうつむいたまま、深呼吸して。


「…………ホーンテッドマンションはね。もう一つ、都市伝説があるの」


 何処か緊張を孕んだ声でそう言った。本物の幽霊の話かな? 何て僕が内心で考えていると、メリーはこちらを見ながらゆっくりと顔を上げて……。そこで、僕の思考は凍りついた。

 死の車は三人がけ。座っているのは、僕とメリーだけ。その筈なのに。


 メリーの後ろにもう一人。小さな男の子がひょっこりと顔を出して、無邪気に微笑んでいたのだ。


「――…………ッ!」


 そこからは、殆ど反射だった。

 僕は咄嗟にメリーを引き寄せ、気休めながら少年の霊から引き離す。「きゃ」と、小さい悲鳴を上げるメリーに内心謝罪しながら、僕はそこにいる小さな少年を睨む。


「え? え? ま、待って。辰っ! そんな、いきなり……ッ!?」


 僕の腕の中でおどおどし、小刻みに震えていたメリーも、ようやく気がついたのだろう。何かが切り替わるかのように、身体を強張らせた。

 どうにもこうにも、メリーの反応からして、そこにいるのは少年の姿をした幽霊で確定のようだ。


「二名様。ゴ案内シマス」


 少年は、辿々しい口調でそう告げると、芝居がかった手つきで、指をパチン! と鳴らす。

 直後、何の前触れもなく死の車がその場で回転を始め……。

 僕らの視界が、黒く塗りつぶされていく。やがて、アトラクションの不協和音じみたBGMが、急速に遠退いていき……。



「願いが叶ったわね。流石夢の国だわ」

「叶ったっていうのかいこれ? 願いにかこつけて悪意を押し付けられたようにしか……思えないんだけどな」


 気がつけば、僕らは地に足をつけ、その場に立ち尽くしていた。 死の車に座っていた筈なのだが、当の死の車は影も形もなくなっている。変わりに僕らが認識したのは、そこがさっきまでアトラクションとして楽しんでいた洋館であること。そして……。


 目の前に広がるのは、さっき少女の幽霊を目撃した、無限に続くような廊下の前だった。


「……入ってこい。そういう事かな?」


 僕の呟きに答える者はいない。

 さっきの少年の霊も、廊下にいた筈の少女の姿も今はない。

 魔物の口を思わせる廊下の入り口から、冷たい風が吹く。その肌寒さに、僕らは思わず身震いし、互いの存在を確認し合うかのように、繋いだ手の指を動かす。

 暖かさと、軽く皮膚を引っ掻く小指の感覚が、これは現実だと教えていた。


「まぁ、行くわよね? その為に来たんだもの」


 興奮と少しの恐怖が混ざった声を出すメリーに、僕は小さく頷く事で返答とし。

 僕らは幽霊のたまり場たる洋館の奥へと足を踏み入れた。

 大学生二人による、しがないオカルトサークル(非公認)により、非日常の扉が開かれた瞬間である。


「裏ディズニーランドツアー。裏ディズニーランドツアー。オタノシミクダサイマセ」


 どこからか、そんな声が聞こえてきた。

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