第壹章 吸血鬼は闇夜に踊る

第2話

【秋葉原裏通り・夜】


 少年――柳楽神吉なぎらかんきは、夜中だと言うのにも関わらず、全力で秋葉原の街を駆けていた。


「はあ、はあ、はあ……」


 なぜ、自分がこんなにも懸命に走っているのか。なぜ、自分だけがこんな目に遭っているのか――その理由も、神吉には良く分かってはいなかった。しかし、それでも神吉には走らなければならない理由があった。


 それは、〝ガスマスクを付けた奇妙な奴ら〟が自分の方へと向かって、何か大きな物を抱えながら、全力で追い掛けて来ていたからだ。そんな怪しい人物に遭遇したのなら、逃げ出さないことに無理がある。


 後方の様子を確認する為に振り返ると、奴らはもう付いて来てはいないようであった。どうやら、上手く撒けたらしい。神吉は、ほっと胸を撫で下ろし、体に負担を掛けないよう走るのを緩やかに止め、その場で膝に手を突き、大きく肩で息をする。


 日頃の運動不足が祟ってか、なかなか直ぐには動くことが出来ないでいた。しかし、大きく深呼吸を何度もすることで、何とか息を整えることが出来た。そして、周囲を見回し、自分の現在位置を確認する。


 慌てて逃げて来た性で、自分の家とは反対方向の裏通りへと来てしまったようだった。そのまま引き返そうとしたが、その歩みを咄嗟に止める。このまま中央通りへと戻ったら、さっきの奴らに遭遇する可能性が頭を過ったからだ。


 少しばかし家から遠くはなるが、大回りして帰る方が安全だろうと考えた神吉は、薄暗い裏通りをこのまま進むことにした。


 秋葉原の裏通りと言えば、主にパソコン関連のパーツを取り扱う店が軒並み建ち並んでいる。昼間には、それなりの賑わいも見せているのだが、夜になるとほとんどの店が閉店する為、その賑わいは嘘のように消え失せ、街灯も明るいとは言えない薄暗い裏通りへと姿を変貌させる。


 そもそも、夜中に秋葉原を出歩く人など限られたものだ。


 例えば、秋葉原周辺に住んでいる人や仕事をしている人や、新しいゲームやパソコンを日付が変わると同時に一早く買いに来るオタクくらいなもので、普通の人には、取り分けた用事でもない限り、夜の秋葉原に居る理由が無かった。


 神吉はポケットから携帯電話を取り出し、時間を確認する。


「うわ……。もう、日付変わってるよ。はあ……」


 携帯の画面には、〝5月3日 00:24(日)〟そう表示されていた。ゴールデンウィーク初日は終了し、気付けば二日目へと突入していた。貴重な休日をこんな形で消耗したことに溜め息を付きながら落胆しつつ、携帯電話をポケットへとしまう。


 しばらく、裏通りを進んで行くと、街灯に〝何か〟がぼんやりと照らされているのが見える。しかし、少し離れている性か、それが何なのかまでは分からなかい。神吉は、目を凝らしてみるが、それはまだ一体何なのか見えては来ない。段々近づくにつれて、その何かは薄暗い街灯の光を受け、輝いているようにも見えた。


 警戒しながら、ゆっくりとそれへと近づくと――そこには、ワンピース姿の金髪少女が倒れていた。


「えっ、何でこんなところにっ!?」


 神吉は驚きを隠せないままであったが、咄嗟に少女の元へと駆け寄り、抱き寄せるようにして頭を起き上がらせる。すると、抱え上げたその手に何か違和感を覚えた。手には妙な温かさ、ぬるりとした感触、そして――その手を見ると、朱色が広がっていた。


 その時になって初めて神吉は気が付いた。

 気が付かされたと言っても良い。

 その少女が、全身傷だらけであると言う事実に。


「ちょ、ちょっと、キミ。大丈夫ッ!?」


 慌ててその少女へと声を掛ける。


「うっ……」


 すると、その声に意識を取り戻す。少女は苦しそうに声を上げ、重たい瞼をゆっくりと開ける。瞼が開かれると、そこにも朱色をした瞳が現れた。思わずその朱に心を魅了され、吸い込まれそうになったが、なんとか我に返る。


「……そうだ」


 一人で小さくそう呟くと、ポケットから携帯電話を取り出す。


「えっと、この場合は警察に連絡する方が良いのか? いや、怪我をしているみたいだから救急車へ先に連絡をした方が良いのか。あれ、110番は救急車だっけ、警察だっけ?」


 自問自答しながら携帯電話を操作するが、救急車の電話番号が110だったか、119だったか、それを瞬時に判断出来ない様子からも、相当パニックに陥っていたようだ。


 今までこんな経験をしたことの無い神吉にとって、この状況そのものに正気を狂わされていた。この、非日常的なこの光景そのものに。


「1、1、9。これで、良し」


 少し許し必要以上に時間を要し、119の番号を打ち込み、番号を今一度しっかりと確認する。間違ってはいないことを確認し、発信ボタンに手を掛けたようとしたその時、その携帯電話は少女の手によって路地の端まで飛ばされた。


「ちょっと、何を――」


 そして、次の瞬間。


「……え?」


 神吉は、大きく目を見開いた。そこには、信じられない光景が広がっていたからだ。あまりに突然のことで、神吉の思考は停止していた。静止いていたと言った方が正確なのかもしれない。どちらにせよ、常軌を逸したこの光景に対しての理解が追いかないでいた。


 それは――神吉の腕に深々と牙を立て、少女が噛み付いていたからだ。

 ガブリ、と。

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