儚い夢

 その夏は暑く、クマゼミがけたたましく鳴いていたのを覚えている。お昼ご飯の準備をサラがしていると電話が鳴った。旧家の空き家に住んでいた僕ら、その家の電話はまだ黒電話だった。今日はやけに上機嫌でお昼に僕の好きなものを作ってくれると言っていた。そんな彼女――サラは受話器を置くと無表情になり電話の内容だけ告げると支度をはじめた。

 ”敵”が降ってくる、しかもかなり近く早いそうだ。迎えの車が来る前に降下してしまうそうで途中まで走り合流して拾ってもらうことになった。この家に備えの刀はわずか2本練習用に僕とサラの分だけ、それを持ち、走るので他に余計な荷物は持たなかった。

 家を出て走り始めて数分もすると汗が吹き出た、それを拭うものも持たずに僕ら2人は無言で走り続けた。ここは静かな場所、畑と山しかない農村、遠くの山には巨大な送電用の鉄塔が何本も連なっている。家の前の曲がりくねった小道を抜けると大きな道路に出る。そこからは起伏がなく両側は畑、遠くの山が遮るまで大地を見渡せる空間が広がっている。空が澄んでいて本当に世界は広く高いと感じることができた、雲は一つもなかった。

 走っていると一瞬陰った。そして地鳴りとともに遠くの畑に”敵”が落ちるのがはっきりと見えた。蝉たちは変わらぬ声をあげている。

 僕らは”敵”めがけて畑の中を突っ切った、人の倍以上は跳躍できるので足元が悪い中も構わず速度を上げ走った。サラは抜刀し剣に炎を灯していた。僕は彼女と少し距離を取り斜め後ろにいた。彼女の空を切るその刃の動きがそのまま炎の斬撃となって”敵”に飛んでいった。着弾、爆発、衝撃音、さして傷を負わせるにはいたっていない、所詮は威嚇である。

 サラは走る速度を上げた、今の僕では追いつけない加速度で突進していく。その眼差し、殺意、軌道が美しい、わずかな時間が長く感じられる程見惚れていた。

 ”敵”に質量と運動量全てを刀に込めて激突させた。地面がめり込み、衝撃はが放射状に広がる。植えてあった作物は赤土もろとも吹きあがりめちゃくちゃになった。”敵”はそれを両手で受け止めよろめきもせず咆哮もあげない。その静かさがいままで戦ってきた”敵”とは違い異質であり不気味だった。線の細いサラは一撃離脱を好む、初弾が無力であったと判断しかなりの距離を跳躍し僕とは反対側の方向に距離を取った。あまり炎を強く刀に宿しすぎるとすぐに使えなくなってしまう。今の手持ちは僕のを含めて2本いつもの予備は車に積んであるためそれが到着するまでこの2本で粘らなければいけない。

 ”敵”は腕を十字にしている防御姿勢からゆっくりと展開させていった。腕が細く長く地面まで着くくらいある。一見すると樹木のような印象を受ける。体中がデコボコし両足ともに太く間接がどこにあるのか判別がつかない。サラに向き合っているのでここから顔の特徴もわからない。

 ”敵”は走り出した、図体に似合わず素早い、サラとの距離は一瞬でなくなり腕の一撃が先程まで彼女が立っていた場所に叩き込まれる。地面が爆発した。

 サラは”敵”の打撃が届く前に片手と両足から縮退させた熱量を放出し長大なる距離を取った。”敵”の打撃が加速度と質量に任せて2手3手続くことを予想し少しくらい引いたところで同じであると判断したようだ。

 生半可な刃ではこの”敵”には適わない。彼女は刀を両手で持ち利き手である右手を後ろに左肩を前に出し牙突の構えから動かなくなった。

 ”敵”はゆっくりを彼女の方に歩みを進めている、急ぐ様子もない。

 陽炎に空間が揺らいでいるのは夏の暑さのせいではない。サラの周りの地面はめり込み雑草は焼け焦げている。それでも彼女は汗一つかいていない。刃が赤く染まった時、予備動作もなしに彼女は空間を跳躍し”敵”の眼前へと迫る。

 一瞬のざわめき、地面はめくれあがり多量の土砂が彼女と”敵”を遮った。粉塵が舞い僕は事態を飲み込めずにいた。彼女の刃が到達する前に全てが視界から消え僕は思わず駆け出した。

 走りながら抜刀し「黒火(コッカ)」と呼ばれる炎の刃を土煙の晴れぬ”敵”の残影に向けて放った。楕円を描くように距離を取りながら走っていると彼女はすぐに見つかった。

 サラは濡れていた、彼女は水を使わない、つまり血で濡れている。僕は抱きとめた。サラは耳元で繰り返しうわ言のように言う「あなたは戦ってはいけない、戦わないでいいの」僕は彼女に気を取られていて後ろに迫るものに気づかなかった。

 一瞬の判断の遅れが致命的であった、打撃が入り吹っ飛ばされ彼女と引き剥がされる。

 痛みの走る体を感じながら思う、いつも見てばかりだった。立ち上がる時、僕がなぜここにいるのか。力を見せ付けてやりたかった、そうじゃない……”敵”ではなく彼女へ僕の存在を示したかった。

 残るは一本、刀にありったけの想いを込めた、何も思い留まることはない、何事も僕を遮るものはない、縛ることはない。炎は高々と僕を包み、そして走り出した。

 そこからはあまり覚えていない。最初の開放で刃は溶けて消し飛んだけれど、それを忘れて炎の刃で切りかかった僕は”敵”を撫でると同時にそのまますり抜け転げて土にめり込む。すぐさま立ち上がったとき、”敵”の半身は焼け爛れていた。それでも何かにすがるようにこちらに突進してきてるのが見えた。僕はただ炎を圧縮し放った。今度はすり抜けないように、この手から大切な人と一緒に落ちないように。次に彼女と手を繋いだときは簡単に手を離してはいけない。

 炎は高く、それでも空を焼くまでにはまだまだ足りなかった。

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