えこのみっくあにまる

ヨハラ

えこのみっくあにまる

プロローグ

プロローグ

 寒い季節は過去となり、雪は溶け落ちて、春が訪れる。


 ついこの前までは死んでいたかのように見えた木々が葉をつけ花を咲かせ、それに呼応するかのように雑草やら昆虫やらが徐々に、或いは一斉に目を覚まし、これから半年少々の間続く騒がしい季節を祝うのだ。


 別に月日を百代の過客と例えてこの世の無常を説いたり、ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらずと、表面的な認識と流動的な本質の違いを説いたりするつもりはない。


 だが、現実問題としてお釈迦様の教えやホーキングの計算通りに、時間の流れだけは現代物理学の観点からも不可逆らしく、私自身もその例に漏れずに時間と社会のベルトコンベアーに乗せられて現在ここに至っているのである。


 結果ばかりが重要視される昨今だが、結果論で『人』についてまで述べてしまえば、全ての人は生まれた時には死ぬことが決定している。これを回避した人を私は知らない。結局の所、人は『過程』の生き物であるということだ。歴史とは今に至る過程であり、現存する全ての生命は過程の連鎖の延長上にある。その過程が一つでもバトンタッチ出来ずに欠けてしまえば、そこでおしまい。続きはない。


『人』と一言でいってみても、0歳から100歳超えというアバウトな範囲の寿命や、身長や体重、性別や容姿のような肉体的特徴、国籍や生まれや才能の有無などと先天性や後天性に限らず、数え上げればキリがない程の個人差がある。そんな千差万別、十人十色な『自分専用の過程』を営む中で、我々は色々な経験や色々な時間の過ごし方をし、時にはそれ自体にまで意味を求めたりする訳だ。


 さて、そんな取り留めもない一生を送る中でも、なぜか我々には多くの経験や出会いに恵まれる『特別な時期』というものが用意されていたりする。それが一体どういう意味を持ち、どういう未来を予見させるものなのかは、残念ながら当事者に知る術はない。


 曰く、過ぎてみればなんと素晴らしい日々だったのか……。


 私にとっては、きっとこの時期がそれに当たるのだろう。

 それは、弥生子さんと出会った季節である。

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