07. 始まり

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「えー! これ、本当に私たちも着るんですか?!」素っ頓狂な声でみつほが叫んだ。


 彼女の両の掌には、透明のビニール袋に包まれた制服が一式、真空パックされたせんべい布団のように置かれていた。


「そうよ」ニーナは腰を屈めて、長官室の片隅に置いてあった段ボール箱を漁りながら言った。「今、渡したのは女性用。男性用はこっち」


 ニーナは、箱から取り出した男性用の制服を、巧と平太に手渡した。


「でもお……、これはさすがにちょっとお……」みつほは、真横に立つエミリをまじまじと見つめながら、照れ半分、嫌悪半分の複雑な表情を浮かべた。


「文句言わないで。高嶋さんと袴田さんのことも考えて、これでもかなりシンプルなデザインにしたんだから」既に隣室で新制服に着替え終えた橘エミリは、自分の姿を見下ろしながら、珍しく機嫌がよさそうな顔で自慢げに言った。団子状にまとめてられていた長い黒髪も、今は堂々と解かれ、腰の辺りまでまっすぐに伸びていた。エミリなりの、制服に合わせた拘りなのだろう。


 エミリによって披露されたNFIの制服は、どこからどう見てもゴシック調のデザインでまとめられた特異なものだった。いつも彼女の装いと比較すれば、それなりにシックにまとめられた控えめなデザインではあるものの、まさかこれが軍隊の制服だとは誰も思わないだろう。それくらい派手で、着るのを躊躇するほどだった。


 上着は、上質な艶をもつ漆黒のスウェード生地で、ニーナの指令官制服同様にワンピースコート調。襟元からウェストラインに向かって二列、五つの金ボタンが均等に配置され、ウェストと腕周りはタイトに絞られている。燕尾服のようにヒップラインが少し長めに取られていて、インナ共にロングスリーブ。袖口には階級を示す金の刺繍の輪が二本あしらわれていた。顎下まであるネックには純白の大きなリボンが付けられている。


 膝上までのショートスカートはレース生地の純白で、エミリの白くて細い脚には黒のニーハイソックス。足元には黒のエナメルハイヒールを履いている。


「でも、これって完全にエミリの趣味じゃない……。それに軍人なのにハイヒールって……」


「動きづらいときは黒の編み上げのブーツを履けばいいのよ」


「いや……、そういう問題じゃないでしょ……」口を大きく釣り上げ、頬を細かく痙攣させ、大げさに引きつった顔でみつほは苦笑した。「千草だって、こんなの着たら動きづらくて仕方ないよね?」


 みつほは、辺りを見回し袴田千草の姿を探すが、見当たらない。「あれ……? 千草は?」


「袴田なら、制服一式抱えて嬉しそうに更衣室に走って行ったぞ」平太が答えた。


「千草め……」と、みつほは恨めしそうに出入り口を睨んだ。


「袴田さんは気に入ってくれたみたいね。あなたも諦めて、早く着替えなさい」エミリはいつもの無表情で淡々と告げた。


 観念した様子で肩を落とし、重い足取りで長官室を出て行こうとしたみつほは、今更ながらエミリの頭上になにかが乗ってることに気がついた。みつほはエミリを振り返り、彼女の頭上に乗せられたそれを指差した。


「ねえ、ちょっとエミリ。あなたの頭の上に乗ってるそれ、なによ」


「ドールハット」エミリは無表情で即答した。けれども、彼女の声のトーンは間違いなく上機嫌であることは間違いない。どれだけ無愛想で、仏頂面の彼女とはいえ、長年一緒にいれば、些細な気持ちの機微くらい、多少はわかるようになるものだ。


 エミリの頭上には文字通り人形にかぶせるような、人間の握りこぶし大のトップハットが乗っていた。そのハットは、制服同様に上質な漆黒のスエード調で、クラウンとツバの境目が金の刺繍で縁取られている。その刺繍の部分には、美しく輝く瑠璃色の羽が二枚刺されていた。


「え、私の制服セットにはそんな帽子入ってないけど……?」みつほは、手元の制服を探りながら言った。


「これは私専用」


「なにそれ……」みつほは呆れ顔で一息ついた後、すぐに甲高い声を上げた。「ちょうかん!」


「どうした、高嶋くん」突然名前を呼ばれた大隈は驚き、目を丸くして席から立ち上がった。


「こういうオリジナルの帽子とか、つけてもいいんですか? NFIは服装に対する規則とか無いんですか?」みつほは、エミリの頭上を指差しながら畳み掛けるように口走った。


「いや、まあ……、それくらいならいいのではないだろうか」大隈は困った表情で、苦笑して答えた。


「もう……。わかりましたあ!」赤らさまに不機嫌に言い切ったみつほは、再び呆れ顔をして長官室を後にした。


 本当は、「ここって本当に軍隊なんですか」と言ってもやりたかったが、さすがにそれは飲み込んだ。みつほは廊下を出て左側のドアに入っていく。


「高嶋のやつ、相変わらず情緒が……」平太が小さく笑った。


「そんなに怒って嫌がるほどか……?」巧は不思議そうな顔で、みつほの出て行ったドアを見てい呟いた。


「まあ、女性は服装にこだわりあるから……」ニーナは苦笑しながら、鼻から息を漏らした。「でも、橘さんの帽子、欲しかったのかもしれない」




 エミリ同様、既に新制服に着替え終えた巧と平太は、まんざらでもない表情で立っている。男性用の新制服も、女性用をベースにしたと思われるシンプルなゴシックデザインだった。


 上着は腰下、膝上まである漆黒のロングコートとタイトな白色パンツの組み合わせ。襟前を止める金ボタンは首元から一列に十個。女性用と違うのは、袖口の他に、階級を表す金の肩章けんしょうがあしらわれている部分だろう。男性用の靴は、シンプルな革靴であった。


 何れにしても、ボタンの大きさや全体のサイズ感とシルエット、細部まで行き届いたデザインなど、男性用と女性用で細かな違いが多くあり、丁寧にデザインされている。


「橘、オレこの制服気に入ったぞ」平太が、野太い指で襟元のボタンをぎこちなく閉めながら声を弾ませた。


 言われたエミリは、無言で数歩後ろに下がって平太から遠ざかった。そして、足元から首元を舐めるように見上げながら、全体のシルエットをチェックした。


「……やっぱり、背が低くて太った大鎚くんには、シルエットがイマイチね。もう少し痩せなさい」


「うるせえよ!」唾を飛ばして叫ぶ平太。


「仕方ないでしょ。この服、長身の海馬くんとか光剣くんに合わせて、似合うように作ってあるから……」


「残念だったな」平太の肩を得意げな顔で軽く叩く巧。「お前、遠目に見ると、ハンプティダンプティみたいだぞ」


「だからうるせえって!」平太は苦笑いする他ないという様子でツバを飛ばした。


「いやはや、それにしても本当に素晴らしいデザインだな」大隈が感心した様子で口に出した。


「光栄です、ありがとうございます」エミリが優雅な動きで頭を下げる。ドールハットの羽が少し揺れた。


「今度はNARDSFの制服も橘にデザインしてもらわないとな」羨ましげに指をくわえていた後醍醐が、半ば真剣な表情で言った。「なあ、どうだ阿蘇」


「あ……、はい、自分もその制服を着たいでっす!」迷彩服姿の阿蘇は、直立不動で最敬礼する。


「だから馬子にも衣装……」平太が口を尖らせて呟いた。


「ハンプティのお前に言われたくないわ!」唾を飛ばして言い返す後醍醐。


 次の瞬間。


 その場にいる全員が、建物全体を揺らす振動と衝撃を五感を通じて受け取った。


「なんだ?」後醍醐が低い声で言い放った。


 すぐに、大きな出窓のガラスが、歪んだ波紋を浮かべながら震え始めた。


「地震……?」平太が、ガラスを見つめながら言った。


「いや、今の振動は爆破の衝撃だ。間違いない……」後醍醐も、窓の外を睨みつけながら、野太い声を上げた。しかし、この位置から見える景色に変わった様子は見られなかった。


 すると、天井のスピーカから耳障りな警報音が鳴り、ここまでの穏やかな雰囲気を一気に打ち破った。



「緊急! 緊急! 中央事務棟が何者かに仕掛けられた爆発物によって爆破! 各部隊、待機隊員は、直ちに現場に急行せよ! 不審者は二名。銃を所持している。複数の隊員を射殺し、西端地区に向かって警護車両を奪って逃走中! 繰り返す、緊急! 緊急! 中央事務棟が……」



 スピーカのグリルネットが、アナウンスの大音量を受けて怒鳴るように震え続けた。


 放送を耳にした一同の顔には、じわじわと驚愕の色が浮かび上がっていく。


「中央棟って……、おい、一輝と達也がいる場所じゃねえか!」巧が誰に対してともなく声を張り上げた。


「それは本当か」大隈は声を荒げた。「後醍醐くん、NARDSF、緊急出動命令発動だ」


「はっ」後醍醐は、大隈が言い終わるよりも先に敬礼をし、大きな巨体を脱兎のごとく動かし、部屋をかけ出て行く。阿蘇もそれに続いて駆け出した。


「でも、いくらなんでももうこちらに向かっているのでは?」ニーナは、場に湧き上がった不安と動揺を抑え込むように、飽くまでも冷静な口調で穏やかに告げた。


 それとほぼ同時に、廊下から、制服に着替え終えたみつほと千草が部屋に飛び込んできた。


「今の放送、本当ですか!」みつほは息を切らして激しく呼吸しながら叫んだ。文句をつけたゴシック制服を着込んではいるが、当然、今はそんなことを気にするどころではない様子だ。


「達也さんと一輝さんが……!」千草は、感情を極限まで押さえ込んだ、けれども激しい声を上げて叫んだ。


「慌てるな」大隈は焦る二人を押さえ込むような張りのある声をぶつけた。「こういう時こそ慌ててはいかん。今、NARDSFが出動する。君たちはここで待機だ。それでいいかね、ニーナ司令」


 言われたニーナは、大隈の目を瞬きもせずに見据えて、無言で頷いた。

「しかし長官! 俺たちもなにか出来るかもしれません」巧は、大隈とニーナを交互に睨んで食い下がった。


「行ってはいかん! これは命令だ。君たちは、待機だ」


 大隈の嗜めるような強い口調にNFIメンバは全員硬直し、やがて脱力した。


「今行っても、あなたたちにできることはないわ……。ベテランのみんなに任せて、今は待ちましょう」ニーナは、こういう事態でも、天使のような声で穏やかに言い、逸る新入隊員をなだめた。



 沈黙が訪れた。



 若くて血気盛んなNIFの彼らが耐え偲ぶには、少々重たすぎる静寂。


 その、張り詰めた静寂の合間を、今もなお、鈍重な爆音と振動が過ぎ去っていくような気がした。


 大隈は、静まり返った室内をデスク越しに見渡し、大きく息を吐いた。


 そこには、この国の行く末を背負うかもしれない若き隊員たちが、じっと黙ってこちらを見つめていた。


 大隈は、自分のこれまで生きてきた過去を振り返るようにして、窓ガラスに向き直った。そして、一歩、また一歩と、足元の絨毯を踏みしめるように、ゆっくりと窓際に迫っていく。


 ほんのわずか数十センチの距離が、永遠にも感じた。


 青天の霹靂。


 心はどこか、落ち着かなかった。


 わかってはいても、実際に起きて初めて感じること、わかることがある。


 頭の中での推測や想像は、有事の際、無情なほどの役立たずに落ちぶれる。


 窓の外には、鮮明且つ爽快な青空。


 綺麗に磨かれた透明な窓ガラスに、大隈の表情がうっすらと映り込んだ。


 その表情を、後ろに立つ新人の五人と新任女性司令官は見逃さなかった。


 大隈の顔は、自らの心情を表に出さないよう努力はされているものの、これから先に起こりうる大きな危機を予見しているような、安寧を失った、土壁のような顔つきだった。


 大隈は、ガラスに映った自分に問い掛けるが如く、小さな声で呟いた。



 「ついに……、始まるのか」



 老体の吐息に曇った窓ガラスは、すぐに透明感を取り戻し、冷えた外気を内に伝達した。

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