第43話 非情な罠
いつから眼を閉じていたのか。意識がだんだんあるべき場所に戻り、身体の感覚が通常に復してきた。
頼邑は目を覚ました。
「ここは……」
辺りを確認していると、そこはひかりに包まれている空間のような場所だった。そのとき、すぐに何かの気配を感じ、視線をやるとひかりの中から無数の人影のようなものがうごめいているのが見える。
「何者だ」
頼邑が誰何した。
無数の影は答えなかった。いずれも、頼邑を見ているのは間違いない。
「妖か?」
さらに頼邑が声をかけると、無数の影の中から、
「お前は死んだ。光の手によって」
と、低い声で言った。
「光はどこにいる?」
「我は、香炉の主である。光の霊力の生みの親とも言えよう」
声の主は、頼邑の問いには答えず、意味深しげなことを言った。
「光の生みの親は人間ではないのか」
頼邑は、香炉の主を見据えて質した。頼邑の顔に険しい表情があった。
「我らが光に霊力を与えた。命と共に霊力を吹き込ませたのだ」
頼邑は、耳を疑った。
光の霊力は、生まれ持ったものだと思っていた。それが、自然なものではなく、故意的なものだとは思いもよらなかった。
「その訳を問う」
頼邑が訊いた。
「元より、はるか昔は、命の始まりがあり、終わりを告げていた。皆が波を荒立てることはなく、生きてきたが、やがて力を覚え、その力を我が物にするようになった命が生まれた。分かるか?」「…………」
「お前たち(人間)だ」
香炉の主はつぶやくような声で言った。
「個自の力を覚えた命に恐れをなした神が、人の子に霊力を与えたのだ」
香炉の主は、淡々と話をすることに頼邑は怒りが徐々に湧き出した。
「そのためにあの子を犠牲したのか」
「それを決めたのは我らではない。三狐の神だ。三狐の神は、人間を恐れていた。ならば、人の子に力を与え、人間の醜くいものを見せれば自ずと憎しみは増す」
……さすれば、三狐の神にとって好都合だからな。
と、頼邑は思った。
厄介な人間を統御するなら、人間を妖側に付ければ早いことだ。三狐の神は、光の育て親だと聞いた。
頼邑は、拳を強く握りしめると周囲に風が吹きはじめた。
香炉の主は、頼邑を見据えて、
「三狐の神は、我らの道標になっただけだ。こうなる事は全て決まっていた。お前が、あの子に名を与えることも我らは、とうの昔に知っていた。いや、知っていたというより、そう我らが仕向けたのだ」
と、冷徹な声で言った。
「どういうことだ?」
頼邑は眉宇をひそめて訊いた。
「それを知るには、我らのことを話そう」
そう前置きして、香炉の主が話し出した。
まだ、森と人間が調和していた時代から、人間が新たな文明を築き、繁栄し始めた。だが、徐々にあらゆる命が失い、豊かだった場所には、草木さえ生えなくなった。
このままでは、全ての命が滅びゆくと悟った香炉の主は、ある目論見にかけたという。汚れのない世界を創り出すことだ。
さらに、香炉の主は、頼邑が生きている時代が過去であったことを話した。香炉の主が生きていた時代には、命が終わりを遂げようとしていた。その過去を消し去り、新たな過去を作ることだった。つまり、頼邑がこれまで歩んできたものは全て消え、全く別の未来が待っていることになる。そのためには、強い霊力で今の世界を破壊し、新たな世界を作り直す必要があった。
「それで、光を…」
頼邑が念を押すように言った。
「そればかりではない。お前は、我らの思惑にのっているだけだ。お前の意思によって旅をし、光と出会ったのではなく、全て我らの思惑通りなのだ。お前と出会ったことで光の憎しみは強くなり、霊力が高まった」
香炉の主の言葉に頼邑は、震えていた拳をゆるめ、目を閉じた。
故郷のこと、光と出会ったことの記憶が浮かんでくる。小さな記憶が愛おしく、全ての記憶を香炉の主は知っているのだろうかと思った。
この世界を消すには、あまりの代償が大きい。
「恐ることはない。我らはお前を殺すつもりはない。ただ、新しい記憶の中でお前は光と生きられる」
香炉の主は、惑わすような言葉を運んだ。
「お前は、命を冒涜している!」
頼邑は、強い口調を放った。その姿は威風堂々たるとしていて、香炉の主でさえ、圧倒されそうになったが、
「つまらぬ人間になりさがるつもりか。お前は感じているはずだ。己の心に素直になれ」
と、香炉の主がたぶらかすような声で言った。頼邑は、香炉の主の思惑が明確に気付いた。森を侵す人間との争いに生まれた憎しみ、汚れを無にし、全てのものを汚れなき世界に変えることだ。それは、この世界で終わりを告げた頼邑は、新しい世界で生きることができる意味でもある。今、この世界で生きている命の犠牲の上に世界は新しくなろうとしている。
それは、香炉の主がやろうとしていることは、この世界で生きる生命、新しい世界の世界に対する侮辱していると頼邑は感じた。命と命で成り立させ、都合よくさせているしか思えなかった。
「私が生きるべき世界は元よりある。それは変えることはできない。生があるからこそ終わりがある。変わりゆくものが命そのものだ。お前は恐れているだけだ。世界を変える? 死を否定しているお前に命はそれを許さないだろう」
頼邑が、底力のある訴えるような叫び声を上げた。
空気の間に見えない痛みが走っている感覚が香炉の主を襲った。
それを対峙するように、
「その元の世界のせいで、先の世界が生き残るために何をしたか分かるか? 枯渇した森、失われる命、全ての光が失われた中で手元に残ったのは憎悪と絶望であった。我らは、今度ばかり、苦しみ、汚れのない世界を試み、光を灯すためにここに来たのだ」
香炉の主の顔が、ぼんやりと浮かび上がった。それを見たとき、頼邑は背筋に冷汗が流れたのを感じた。香炉の主の顔は、故郷の長老だった。香炉の主は、頼邑の記憶に入り、それが形となって現れたものだ。
「どうやら、お前は死という絶望を選ぶのだな。先のある未来を切り捨て、滅びゆく」
長老の顔で語り出す香炉の主は、手をかざした。
突如、油のような黒い水が足元に湧いてきた。ぽこぽこと気泡が出て、徐々に足が埋まっていっている。
「命は、我らをなくしては絶える」
まるで頼邑を揶揄するように言った。
頼邑にはそれが香炉の主が命を我が物のようにしていることに底ならぬ怒りがこんこんと湧き出てきた。
「それを決めるのはお前ではない。汚れなき世界こそ、仮初に過ぎない。苦しみがあるからこそ、喜びがある。怒り、悲しみがあるからこそ、それを思う尊さがある」
命は決して永遠ではなく、常に変化を遂げ、次に繋げていく。
生は光、死を闇と捉え、闇という絶望は不要だと言っていた。だが、生というものは、多くの死に支えられてきた。そして多くの苦があるのだ。 香炉の主の言葉は、生の命な光で死や絶望は不要だということだ。
頼邑は、黒い池から這い上がるように、
「死とは生きることより共にある。死、苦しみを非しているお前は、この世界を変えるなどできない」
と、底びかりする眼で言い放った。
「お前は、我らには邪魔な命だ」
香炉の主が、殺気だった面貌に変わった。
頼邑は、ふたたび黒い水にとらえられ、徐々に身体が言うことが効かなくなっていった。
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