転生ゴーレム魔導師クリスロード・モーリアの日常
場流丹星児
第1話冴えないオッサンの最期
「あ〜、ちくしょう……」
昼日中、仕事もせずにおっさんが一人、公園通りの木陰のベンチに腰掛けてため息をついている。
「ありゃあ絶対にダメだな……」
このおっさん、伊達に昼日中から黄昏ている訳ではない、目下のところ無職である。
齢五十を目前にして、派遣契約を満了し、只今絶賛失業中なのである。今のところ失業保険で何とか糊口を凌いでいるが、そんな状態を長く続ける訳にはいかないと、精力的に就活戦線に飛び込んでいた。
しかしながら本人の意気込みはさておき、現実は見ての通りで戦況は思わしくない。
なにしろこのおっさんは、自分の努力だけでは克服する事が不可能な、三つの弱点を抱えているのだ。そのため就活は苦戦を強いられている。
一つは言うまでもなく年齢だ、いくら派遣とはいえ、年齢が高くなるにつれ門は狭くなる。
まぁこれは仕方が無い。
根が楽天的に出来ているのか、この男は余りこの点について深刻に考えてはいなかった。
この男が心底理不尽に思っていたのは残りの二つ、そして今日の面接が失敗したのは、この二つが原因である。
「これを以って、本日の面接会を終了します、お疲れ様でした」
進行係の言葉にこの男は焦った、何故ならまだ男は個人面接を受けていないのだ。男は挙手をしてその旨を伝えると、進行係が訝しげな顔で男を一瞥した。
「変ですねぇ、確かに全員お呼びした筈ですが……」
「自分はまだ名前を呼ばれていませんが?」
男のこの言葉に、進行係は怪訝な表情を浮かべながら、面接者名簿を確認する。
「本当ですか? 今確認した所、全員お呼びしていますが……」
「本当です、自分はまだ個人面接を受けてません」
ため息をつきながら、進行係が男を手招きをする。
「ちょっとこちらに来て頂けますか? ああ、他の皆さんはお帰り頂いて結構です、お疲れ様でした」
席を立って帰途につく他の参加者の人波をかき分け、男は進行係の元にたどり着いた。進行係は面倒臭そうに長テーブルの上に面接者名簿を乗せると、名簿を指差しながら、胡乱気な目つきで男を眺めた。
「おたく、誰?」
男は進行係の横柄な態度に少々カチンと来ていたが、ならぬ堪忍するが堪忍、隠忍自重隠忍自重と言い聞かせ、名簿の中に自分の名前を探す。
新田 九朗
男は名簿に自分の名前を見つけ出し、進行係に指し示す。
「有りました、これです」
進行係は男の指し示した名前を見て、怒気を含んだ声を上げる。
「何度も呼んだでしょうが! しんでんくろうさん!」
「あらたくろうです!
ここまで来ると、男も少し猫の皮を脱ぎ、語気を強めて反応する。自分の間違いに気づいた進行係は、少し優男然として、大人しそうな奴と舐めていた男の意外な態度に気圧された。進行係は慌てて個人面接担当者に状況説明に向った。
「『しんでん』ねぇ……、『にった』ならよく有るパターンだから反応出来るんだけど。『しんでん』か……、新しいパターンだな、これは。覚えとこ」
男は進行係の背中を眺めながら、そんな事を考えていた。
思えばこの男の人生は、物心がついた後、漢字を使う様になってからは、自分の名前の訂正に無駄な時間を費やしてきた。
新田 九朗
あらた くろう
そう読むのが正解なのだが、初対面の人物は必ずといっていいほど、「にったさんですね」と読み間違えた。その度に彼は、「いえ、あらたです」と訂正してきた。名字を訂正しても安心は出来ない、彼の名前に注目して頂きたい。
九朗
これを他人が表記する時、必ずこう間違える。
九郎
彼の名簿やネームプレートは『郎』に訂正の横棒が二本引かれ、『朗』と書き加えられるのが常だった。
名字は読んで間違えられ、名前は書いて間違えられる因果な姓名が、この男の二つ目の弱点だった。そして最後の弱点は、個人面接の終了間際に露呈した。
「では合否は追って連絡します、合格すれば即採用となりますので、本日お帰りになりましたら、こちらを御用意下さい」
そう言って面接官が渡した物は、二枚の身元保証人の書類だった。書類を男に手渡しながら、面接官は言葉を続ける。
「我が社と派遣先企業様に一枚づつ提出となります、必ず保証人様の直筆でお願いします」
これだ……、またこれだ……
男は面接官から書類を受け取りながら、心の中でぼやいていた。
男は親兄弟との間に深刻な確執が有り、縁を切ったと言って、二十五年余り断絶状態が続いている。身元保証人など頼める筈も無い。
肉親なおもてこの状態、いわんや他人をや
という事で、事実上身元保証人になってくれる人間は皆無だった。
面接からの帰り道、お気に入りのこの公園通りのベンチに男は「よっこいしょ」と言って腰をかけた。あ〜あ、俺もオッサン臭くなったもんだと自嘲しながら、彼は駅前のコーヒーショップでテイクアウトしたコーヒーを紙袋から出すと、ズズズと啜りながら木漏れ日を仰ぎ見て目を細める。
「うん、今日も良い天気だ、まぁ何とかなるさ」
気分を変えてそう呟いた男の周りに、沢山の鳩が舞い降りる。
鳩だけではない、スズメやヒバリも、男の座るベンチの背もたれに翼を休めにやって来た。野良のトラ猫が膝の上で丸くなり、散歩の犬達が男の前に立ち止まる。
犬達は男が頭を撫でてくれるまで頑として動こうとせず、飼い主を軽く困らせていた。
罰の悪そうな笑みを浮かべる飼い主に笑顔で会釈をし、男は犬達の頭を撫でてやる、膝の上の野良猫の喉が鳴り始めた。
男の耳に、ふと子供達の騒ぐ声が聞こえてきた、目を向けると大勢の小学生が、ランドセルを背負って楽しそうに歩いているのが見えた。
もう下校時間か。男はその光景に目を細める。
あ〜あ、幸せそうに。俺もあの頃に戻りてぇな……。いや、戻れるならもっと前か……。
そんな思いが脳裏を過ぎる、男は自嘲的な笑みを浮かべて子供達から視線を逸らせた。
新たな視線の先で、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。
そんな気がして男が目を凝らすと、通りの向こうからオッドアイが特徴的な、サビ柄の子猫がニャーニャー鳴きながら駆け寄って来る。
動物には好かれるんだよな。
そう思った瞬間、男は自分の視界に大きな違和感を感じた。
何だってんだ!一体!!
子猫の背後に、挙動不審な大型RV車が見える。
ちょっと待て、ここは車両通行止めだろう!
危険に気がついた誰かの悲鳴が聞こえた、RV車は猛スピードで迫って来る、このままでは小学生の列に突っ込んで大惨事になる! それに子猫の命が危ない!!
男は考えるより早く立ち上がり、子猫を救うべくダッシュした。
大丈夫、俺は学生時代、足が速く運動神経もそこそこ有ったんだ! 間に合う!!
男はそう思ったが、学生時代は遥か昔、体力なんかすっかり衰えている。
子猫を救って身をかわし、その間にこちらに気づくであろう運転手はブレーキを踏み、ハンドルを切って子供達に向かうルートから逸れ、めでたしめでたし。
そんな虫の良いビジョンは、子猫を抱いた瞬間に、木っ端微塵に砕け散る。
強い衝撃を全身に受け、すぐに首から下の感覚を喪った。
RV車はそれでもスピードを緩めない。
男は胸に抱いた子猫諸共、あっという間に轢き潰され、ミンチになって地面に転がる。
男の身体に乗り上げたせいか、暴走RV車の向かう先は子供達の列から大きく逸れ、ベンチを踏み潰し自動販売機を薙ぎ倒し、ガードレールに衝突してようやく止まった。
RV車を運転していたのは、見た目は子供の様な少年だった。彼はこんな大事故を起こしたというのに、同乗者の三人の少年達と一緒に、エアバッグが盛大に膨らんだ車内で、狂った様に大爆笑をしている。
少年達は駆けつけた警察に身柄を拘束された後も、ゲラゲラと大笑いを続けていた。
警察の一人が、大破したRV車の中から、大量のゴム風船と数個の小さなガスボンベを発見する。
ガスボンベの中身は、通称『シバガス』と呼ばれる気体で、その正体は亜硝酸ガスという物質だった。
このガスは『笑気ガス』とも呼ばれ、主に医療現場で麻酔として使われるガスである。麻酔医の元で、適正な処方で用いるならば何の危険も無いガスだが、処方の知識を持たない素人が用いると、危険なガスに豹変する。シバガスは現在脱法ドラッグとして出回り始め、当局の規制が開始された、危険なドラッグである。
警察が事件現場の保存と解析を進める傍ら、救急隊員に囲まれた男の頭の中に、走馬灯の様に今迄の人生の記憶が駆け巡っていた。
一つ一つの記憶が克明に蘇る度に、この世界には自分の居場所が無かったんだという事を痛感する。
それもそうだ、誰にも正しく認識されない名前の持ち主だ、居場所が無いのも当然か………
自嘲した男は、次に胸に抱いた子猫に意識を向ける。
お前も居場所が無かったのか? 助けてやれなくてゴメンな、お互い次に生まれ変わった時は、ちゃんとした居場所が有って、幸せな…………
男の意識は闇の中に墜ちていった。
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