こんなウサギは望んでない!
KMIF
第1話こんな同居人は望んでない!
梅雨真っ盛りということもあり、今日は酷い雨だった。傘をさしていても横殴りの雨が俺の顔と服を濡らす。俺は早く濡れた体を温めるべく小走りで家まで向かっていた。
「……ん?」
と、そこでふと俺の視界にあるものが映る。それは小さなダンボール箱だった。
しかし、厳密に言うならばそこにいた生物に俺の視線は釘づけにされていた。黄色の毛並を持つウサギだ。
おそらく、突然変異か何かだろう。金色の毛並は雨に濡れてキラキラと光り、黒い瞳はまるで瑪瑙のようである。今は段ボール箱の中に入れられていた毛布にくるまって小さく震えている。
そして、段ボール箱には『拾ってください』の文字。ここまで見ればわかると思うが、やはりこの子は捨てられたのだろう。
気づけば、俺はそいつの方に歩み寄っていた。
「可哀想に……お前も一人ぼっちなんだな」
たぶん、このセリフは誰でも一度は言ってみたい台詞だと思う。誰かに聞かれていたらそれこそ顔から火が出るかのように恥ずかしいが、聞いているのはこのウサギのみ。まぁ、いいだろう。
俺は苦笑しながら傘を畳み、段ボール箱を持って立ち上がる。そうして一層足を速めて家まで向かっていった。
家まではそう遠くないが、やがて着く頃には俺はすっかりぬれねずみとなっていた。自分の身体でウサギが濡れるのを庇っていたためだが悪い気はしない。
俺は段ボール箱を床に置き、そそくさと風呂場へと向かって新しいバスタオルを取る。無論、俺とウサギのだ。俺は自分の体を拭きつつ、ウサギの体を拭いてやる。こうして見ても、美しい毛並みだ。
けれど、金色のウサギなんて見たことがない。おそらく、それが原因で捨てられたのだろう。こんなに可愛いのに、可愛そうだ。
すっかり調子を取り戻したらしきウサギはリビングの方へとぴょんぴょん跳ねていってしまった。その後ろ姿を見た後で、俺は視線を台所の方にやった。
「とりあえず、飯食わせてやるからな。待ってろよ」
「おお、ええからはよ作ってくれや」
「はいはい。全くせっかちな……は?」
思わず俺は声がした方を見る。そこにはこちらをじっと見据えているウサギの姿。どう見ても、喋れるようには見えない。
「疲れてんだな、俺……やばいやばい」
「何ぶつくさ言ってんねん。こちとら腹ペコなんや。食わせてくれ」
「ッ!?」
間違いない。今、間違いなく、その言葉がウサギの口から発せられた。
俺の目の前にいるモコモコの生物は耳を左右にピコッと動かした。
「何アホみたいな顔しくさってんねん……って、ああ。そうか。この姿やからな。違和感ありまくりや」
直後、ウサギの体が金色に発光する。俺はその眩しさについ目を瞑ってしまった。
やがてその光が消えたかと思うと、
「ほれ、見てみい」
聞き覚えのある、若干ハスキーな声が耳朶を打った。
俺はおそるおそる目を見開いて……ギョッとした。
なぜなら、そこにいたのはふわもこの可愛らしいウサギなどではなく、金髪の美女だったからだ。しかも、全裸ときている。
「は、はあああああああああああっ!?」
「うるっさいな! 叫ぶなや!」
彼女は怒鳴ったかと思うと、まるでモデルのようにポーズを取り出した。体をくねらせ、その起伏のあるボディラインを強調し始める。
「ほら、どこから見てもあの可愛らしいウサギやろ?」
見えねえよ! 面影があるのなんて髪の色くらいだよ!
あのくりくりとした瞳ではなく三白眼のキツイ瞳を持っているし、あのモコモコからは想像できないほどのナイスバディだった。ウサギ特有の長い耳は見当たらない。しかし、極めつけが一つ。
その額には、巻貝のような角が生えていた。イッカクという生物に近いかもしれない。彼女はそれを指で撫でながらどっかりと床に座り込んだ。全裸だというのに、恥じらいが無さ過ぎる。しかもあぐらまでかいているのだから性質が悪い。俺は少しだけ視線を下に向けた。
一方で、彼女は明るい調子で告げる。
「まぁ、あんがとな兄ちゃん。自己紹介が遅れたけど、ウチはガルジーナっちゅうもんや。よろしゅう」
「あ、どうも。蜂須賀忍(はちすかしのぶ)です。じゃなくて! お前何者だ!」
俺が問うと、ガルジーナはちょいちょいと指を動かした。
「その前に、飯食わせろや。後、ウチ野菜苦手やからな。肉食わせてくれ」
「肉!? ウサギなのに!」
「ええから。食ったらそこも含めて話す」
ガルジーナはシッシッと手で追い払うような仕草をしてみせ、それから段ボール箱に入れられていた毛布を羽織った。それから、勝手にテレビを見始める。
というか、俺はこいつを泊めてやっている身だというのに、なぜかガルジーナの方が家主のようにも見える。
俺は渋々台所に向かい、チルドから豚バラ肉を取り出した。
フライパンに手をかけようとしたところで、ガルジーナの声が聞こえてくる。
「生でええよ!」
注文多いな、おい!
俺は内心ぼやきながらパックごとガルジーナに渡した。すると、彼女は器用に包装を解き、肉を手づかみで貪り始める。ワイルドにもほどがあるだろう。
「ひっさしぶりの飯やわ。で、やな。まず、ウチが何かっちゅうことやろ?」
「ああ。それを教えてくれ」
「ウチはな、幻獣や」
「幻獣?」
「そこからかいな。そうやな……西遊記って知ってるか?」
俺がそれに首肯を返すと、ガルジーナは小さく頷いた。
「あれはな、実話やねん。孫悟空も、猪八戒も、みんな幻獣なんや。で、ウチはその中のアルミラージっちゅう種族や。ネットで調べたら一発で出てくるで。結構メジャーやからな」
俺は言われるまま、スマホを起動させて調べてみた。すると、本当に一発で出てきた。
曰く、東南アジアに生息していた幻獣。金色の体毛と鋭い角を持ち、性質は獰猛にして凶悪。肉食で、時には象すら突き殺すとか……って。
「こわっ!」
「なんや。こんなべっぴん捕まえといてそれかいな」
いや、だって突き殺すんだよ!? 象だよ!? あの可愛いウサギとイメージ違いすぎるだろ!
と、俺はサイトのあるページを見て、そこでふと首を傾げた。
「あれ? 生息地は東南アジアですよね? どうしてそんなこてこての関西弁喋ってるんですか?」
いつの間にか自然と敬語が出ていた。本能的に逆らったらまずいと理解したのだ。もうできるだけ刺激しないようにしよう。
などと思っていると、ガルジーナさんはゆっくりと頷いた。
「そら、ウチは大阪生まれ大阪育ちやからな」
「えええええええええっ!?」
何!? この人日本人なの!? いや、日本ウサギなの!?
ガルジーナさんは遠い目をしながら告げる。
「ウチのオトンは幻獣ハンターでな。東南アジアの某所でアルミラージを狩ろうとしててん。けど、オカンにボコられてそのまま結婚させられたっちゅうわけや」
わぁ~お。血筋かな? お母さんの力強さを何となくこの人から感じることができる。
と、そこでまた俺は首を傾げた。
「ってか、ガルジーナさんの両親はどこにいるんです?」
その瞬間、彼女の顔が少しだけ陰った。彼女はこれまでの明るさはどこへやら、ポツリポツリと語りだす。
「オトンは……死んだ。オカンは、捕まってもうたわ」
彼女は俯きながら首を振った。
「いや、ごめん。違うな。正確に言うなら、オトンは殺されたんや」
肩が震えている。声も震えていた。もしかしたら、地雷だったのかもしれない。
彼女のお父さんは幻獣ハンターだったと言っていたし、そのせいで仲間内からは異端扱いされていたのかもしれない。そして、お母さん共々……。
と、その時彼女の方が一層震えだした。
「オ、オトンはな……オトンは……」
「あの、辛いなら言わなくても……」
「オカンに殺されてん……」
「……え?」
俺がそんな声を漏らした直後、彼女は弾けたように笑いだした。ゲラゲラと、けたけたと。心底面白そうに。
ようやくわかった。肩と声が震えていたのは、泣いていたからじゃない。笑いをこらえていたからだ。
彼女は必死に笑い声を抑えながら続ける。
「オトンな……オカンにナニをしゃぶらせとってん。でな、アルミラージ族はこの角を自在に収納させることができるんやけど、気が緩むと出てまうんや。そんで……ククッ」
彼女は一旦喉を鳴らし、それから話を再開した。
「オトンが『出る!』っつった瞬間に、オカンも角出してん! そんでオトン腹貫かれて本当に逝ってまったわ! ハハハハハハッ! ばっかみたいやろ!?」
そんなこと聞きたくなかった。色んな意味で。
彼女は自分の膝をバンバンと叩きながら続ける。
「んでオカンは捕まるし、家族は離散や! おかげでウチ、この年でホームレスやで! ひゃっひゃっひゃっ!」
ひとしきり笑った後で、ガルジーナさんはため息をつきながらふと言った。
「あ~笑った笑った。というかな、自分。何やねん、あれ。『可哀想に……お前も一人ぼっちなんだな』って。自分に酔うのも大概にせえや、カス」
「うわああああああああああ! 言うなああああああああっ!」
やばいやばいやばい! 恥ずかしっ! 何これ! 恥ずかしっ!
ガルジーナは楽しげに笑みながら続けた。
「大体な、ウチはぼっちちゃうわ。お前と一緒にすんなや」
「俺だってぼっちじゃねえよ! 家族やダチがいるわ!」
「ほぉう。んで、彼女は?」
そこについては触れないでほしい。
ってか……何だこいつ。
俺がため息を漏らすと、ガルジーナはふと首を傾げた。
「何や。何かあるんかいな?」
「いや……俺の想像していたウサギと全然違うから……」
「ほぉう。ちなみにどういうのを想像しとったんや?」
俺はしばらく考え込み、やがて口を開いた。
「こう……どっちかというとおどおどしていて、気弱で、さびしがり屋な可愛い子? みたいな?」
「夢見んな、カス」
一刀両断された。
ガルジーナは肉をくちゃくちゃと噛みながら吐き捨てるように言う。
「あんなん、人間の勝手な思い込みやで。大体な、ウチは人間がウサギのかっこうした時に言う『~ぴょん』が一番わからんねん。百歩譲って犬猫はわかる。わんわんニャーニャー言いよるもんな。けど、なんや『ぴょん』って! ウサギが『ぴょん』って鳴いたとこ見たことあんのかい!? それなのに何が『~だぴょん』じゃ。ぼてくりこかすぞ」
もう怖ええよこのウサギ! いやあああああっ!
悶える俺を見て、ガルジーナさんはニッと口角を吊り上げた。
「というか自分。発想が童貞くさいねん。なんや、その庇護欲そそる系女子は。現実見ろ、どつくぞ」
「うるさい! 夢を見て何が悪い!」
「夢を見ることが悪いとは言わへん。ただ、現実から逃げるのがあかんのや」
「もうやめてください、お願いします」
あれ……待って。俺、こいつを助けた……はずだよな?
なのにどうしてここまでぼろ糞に言われてるんだ?
考え出したら泣けてきた。
ガルジーナさんは首をゴキゴキと鳴らしながら視線をゴミ箱の方にやり、ニッと口の端をいやらしく歪めた。
「というか、お盛んやな、自分」
「ずおおおうっ!? どこ見てんすか! というか、ウサギだって万年発情期じゃないですか!」
慌てふためく俺を横目で見つつ、ガルジーナさんは鼻を鳴らした。
「おう、そやで。もう今もむっちゃムラムラしとる。けどな、言っとくけどあんたはない。あんたと交尾するくらいやったらニンジンの方が百倍マシや」
こいつ……助けるんじゃなかった。
ガルジーナさんは最後の肉を口に放り込みながら、俺の方に身を寄せてきた。
「お? なんや。何か文句あるんかい?」
思っていたことが顔に出ていたのか、彼女は意地悪そうな笑みを浮かべながら身を寄せてくる。そのせいで艶めかしい吐息や濡れそぼった髪、それから若干赤みを帯びた頬が俺の五感を埋め尽くす。しかも、毛布を羽織っているとはいえほぼ全裸だ。ともすれば、毛布の下から大きなふくらみがこぼれそうにもなっている。
「ちょ、近っ!」
「のわっ!?」
そこで俺はとっさに彼女を押しのけようとしたが、どうも思ったより力を込めすぎていたらしく自分の体ごと彼女を押し倒す形になった。
当然、先ほどよりも密着した形になり、俺たちは顔を見合わせる形になる。
ガルジーナさんはにやにやと笑みを浮かべているばかりだ。危機感がないのだろうか?
俺がちょっと顔を動かせばその豊満な胸に顔をうずめられそうだというのに。
いや、だが待て、忍よ。そんなことをしたら彼女が嫌がるんじゃないか?
そうだ。やっぱりこういうのは好きな人と――。
「チッ!」
そう、俺が思っていた時、ガルジーナさんが舌打ちをして、
「何をもたくさしとんのじゃこのボケ!」
俺の股間に――膝蹴りを叩きこんだ。
一瞬で意識が飛びかける。目の前が真っ白になる。なんとも言い難い痛みが体中を駆け巡り、股間に熱さが集中する。
倒れかける俺の脇から這い出たガルジーナさんは俺のケツをぐりぐりと踏み始めた。
「おい、ボケ。据え膳喰わぬは男の恥って言葉しっとるか? あ?」
悔しいが、反論できない。というか、起き上がることすらできない。潰れたんじゃないだろうか?
ガルジーナさんは俺の前にしゃがみ込みながら続けた。
「大体な、ウチがわざと押し倒されてやったちゅうのに、なんやねん。それにこの体。ガリガリのひょろっひょろやないけ」
と、そこでガルジーナさんは手を打ちあわせ、
「うし、決めた。今日からウチがあんたを鍛えなおしたる」
「は……あ?」
「何か文句あんのかい?」
「……ないです」
逆らえば殺される。人類がかろうじて残してくれた本能がそう告げていた。
俺が肯定の意を示すなり、ガルジーナさんは笑みを作った。
「おっしゃ! んじゃ、よろしゅうな。それと、雨が止んだら走り込み行くで。その腐った根性叩きなおしたる」
「でも……」
「あ?」
「すいません行かせてくださいお願いします」
「よっしゃ」
正直言おう。俺が思っていたのと違う!
ウサギが人間になるってもっとあれじゃないの! ラブラブでキャッキャウフフな奴じゃないの!
なんでこんな殺伐ライフが始まろうとしてるの!?
気づけば、俺の頬は涙で濡れていた。確かに股間は痛い。もう死ぬほど痛い。でも、それよりも心の方がずっと痛かった。
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