第139話 自己弁護

 うれしい気持ちなんてどっか行ってしまった。

 だってこんなはずじゃない。

 お前は早々にピッチを去っている予定だった。


 ダークブロンドのきれいな髪をした女がいるなと思ったらグラディウスだった。剣は隣に座る。そしてスマホをいじりながら。

「さっきのシーン。パスコースはたくさんあった。

 横浜は、クリスのキラーパスを警戒した。パスを出すものだと思い込んで懸命にレシーバーをマークした。クリスはゴール前は密集しすぎていてスペースを狙ったパスでは得点につながらないと判断し、刀にワンタッチゴールを狙わせるパスを送った。横浜にカットされにくいごく速いパス。横浜はクリスがシュートを打ったように見えただろう」



 3-2。

 ソリッドはなかなか起き上がれなかった。

 パスを出すと思っていたらシュートでシュートだと思ったらそれは実はパスだった。

 ああ、でも早く試合を再開させないと。起き上がる。


 小野のスマホが震えた。普段なら試合中に確認することはない。だが、もしかして、と見てみた。

 やっぱりだ。小野はテクニカルエリアに出た。今までこんな大声出した事なんてない。

「監督からの伝言だ! 


 攻撃は創造力が大事。

 守備は想像力が大事。

 横浜のあらゆる攻撃を推し量れ」


 それを聞いて原子時計がかすかにうなずく。

 クリスは首をかしげた。

Einverstanden了解

 ハルバードがつぶやいた。

 想定していれば、動揺しない。想定していれば、適切なポジショニングができる。急所を埋められる。


 !?

 錫杖は振り向いてねっとりとフランを眺めた。

 錫杖が動くと、フランがついてきた。

 奇妙だ。

 普通、CFセンターフォワードはスペースを探して動く。DFから離れようとする。

 しかしフランは錫杖にぴったりくっついた。攻撃時にCFがCBをマークしているように見える。


 戸惑ったのはフランのマーク役をおおせつかった薙刀も一緒だった。

 自分もフランにつくと2人でフランのおりをすることになる。当然そうなるとスペースが空く。どうすればいいのかとベンチを見ても剣が居ない。

 仕方なく薙刀はフランのマークを諦めた。

 

 やはりそうだ。

 ヴァッフェU-18に所属していた選手達は、わたくしを削るのを躊躇ためらっている。

 残り時間は少ないが、絶対に追いつく。


 最後に負けたのって、いつだったっけ。

 正直に言えば。来る試合来る試合、ぱりぱり勝利を収めて。そんな日々にんでいたことも確か。ぱりぱりマンネリだったかも。

 辰砂は手を叩いてハッパを掛けた。



 自分は人並みの身体能力しかない。アテネに住んでいた頃は背丈もクラスで一番低かった。

 自分にできること。最高の潤滑油になってチームの歯車を組織する。

 クラウンエーテルに前からDH独鈷杵が後ろからCF刀が迫る。ギリギリまで二人を引きつける。味方を自由にするため受け手の方は見ない。位置を予測して、優しいパスを出す。

 自分にチェックが来ればその分、周りのマークが甘くなる。

「刀、下がって!」

 ショーテルが叫ぶ。

「承知!」

 うん、いい判断だね。まあ、うちとしては困るんだけど。もっと食いついてくれた方が助かるよ。



 双方ともに体力が落ち、プレスがかからなくなるとカウンターが相次ぎ、イエローカードが舞う。 

 最終的にヴァッフェは陣形を縦25mほどに縮めた。

 ボールを受け取った辰砂が前を見る。スペースがない。時計の針は90分を回る。

 交代して入ったばかりのナントカ還元水が右サイドを走り回る。

 点が動くと線になる。DFを避けて線と線がぶつかる交点を探す。同時に速度を計算する方程式をつくる。人とボールを同時に交点に到着させる解を求める。更にプレー難度、成功確率、そのプレーが成功した際の見返り、期待値……。数学的なセンスなしにスポーツはできない。あらゆる選択肢から最適解を求める。

 主審が時計を見た。

 まだ元気なナントカ還元水は必然的にボールを受ける回数が増えた。そしてえてそこを外していくのも駆け引きだ。相手の読みを外していく心理戦も肝要。


 辰砂はいつもパスコースを探していた。しかしその目は焦点が合っていない。独鈷杵には彼女がどこを見ているのか見当が付かなかった。辰砂の右足がインサイドキックを放つ。左SBマン・ゴーシュが右WGナントカ還元水のケアに走る。辰砂の右足はボールに触れることなく止まった。マン・ゴーシュは急停止。ナントカ還元水は動き直し。生まれたスペースを埋めようと薙刀が動く。辰砂は左サイドを向く。ごちそうにかぶりつくように右足を振るう。右SBに戻ったショーテルが反応。ボールは辰砂の靴の外側アウトフロントに当たって、体の向きと異なりゴールに向かって放たれた。


 フランがボックス内でボールを受けた。錫杖と1対1。その瞬間、強烈な痛みを感じてフランは顔をしかめる。

 もう、ドリブルで勝負はできそうにない。フランにDFが殺到する。フランはボールをまたぎながら後退。クラウンエーテルがボックスに入ってくるのを見て、右足を軸足左足の後ろに持ってきて軸足の左に置いたボールを蹴った。ラボーナという蹴り方だ。右足が左足に当たってフランはうめいた。

 クラウンエーテルがボールを受け、シュートを打つか迷った。しかし今日のティンベーが目に入るととても勇気が出なかった。シュートコースがショーテルにふさがれるのを待って、靴の外側アウトサイドでマイナス方向に蹴り出す。

 小さな小さな創意工夫が積み重って、オーバーラップしてきた金閣寺を完全にフリーにした。PKスポット付近で金閣寺はトラップ。ボールはふわり、弾む。敢えて浮かすことで繁茂した芝の摩擦を無くし、ボールの上っ面を叩いてGKの目の前でバウンドさせるシュートも選べる。万全の体勢で金閣寺は右足を振り抜いた。

 強烈な球威。クロスバーを越えて横浜サポーターを襲った。

 あかん。震えてしもうた。金閣寺が頭を抱える。こんなんやったら浮かすなんて。

 長い、笛が鳴り響く。



「なんか熱い試合だったな」

「気迫がすごかったわ」

「これが剣のチームか」 

 そしてスタジアムは拍手とどよめきと祝福につつまれた。

 グラディウスは体に力が入らなくなって、少々傾いていた。

 剣が立ち上がる。

「グラディウス。お前も来い」

 日本人は長幼の序を重視するんじゃなかったっけ? グラディウスは苦笑した。グラディウスはもうすぐ三十路みそじだ。

 まあ、でも嫌じゃない。今、監督は剣だし。

 剣はものすごいスピードで階段を駆け下り、ピッチに出ると、フランのもとに向かった。


 とっくに着替え終わっている鉛玉はぼんやり、駆ける原子時計の背中を眺めている。

 自分なら決められた。



「全勝していた横浜に全敗していた東京が勝ちました。

 両チームの選手達がサポーターに挨拶をしています。

 ご覧ください。試合当初こそ静かなスタジアムでしたが温かい拍手が選手達に送られています。口笛が、声援が聞こえます」

「今日のお客さんは確かにほとんどがテニスファンでしょう。ですがそれ以上に降魔剣という一人の人間のファンだった、ということなのではないかと思います。個人的にはこのまま、監督としての降魔剣を応援してもらえたらと思いますね」

「おや? ピッチに担架たんかが運び込まれました。その後ろから退席処分となった降魔剣監督が担架を追い抜いて……フランベルジュのもとに。フランベルジュの周りにはチームドクターと原子時計監督がいます。


 フランベルジュが今ゆっくりと担架に乗せられて、運ばれていきます。

 どうやら、このまま病院に直行する模様です」

「今日のフランベルジュは動きが悪いように見えました。何か怪我をしていたのかもしれませんね」

「ヴァッフェの選手達がピッチ中央に駆けていきます。とぅわっ!? 

 剣監督に抱きついて……キスをしています……」

「まるで優勝でもしたかのように喜んでいますね……」

 

 剣はもがいた。かわいそうに、ライオンの群れに襲われる象のように剣は動きを封じられ、ゆっくりとピッチに倒れた。剣の体に鳥肌が立つ。そんなこと知るよしもない選手達は捕まえた獲物をむさぼるようにキスの嵐。

「まあ、仕方ないよね。体が大きすぎて胴上げとか危ないし」

 と、苦笑しながらククリは剣に吸い付く。


 そんな。

 刀は後れを取った。

 西洋では接吻キスは挨拶のようなものだとう。

 しかし。淑女たる大和撫子やまとなでしこが。このような破廉恥はれんちな。

 刀は伸び上がって。えい。


「前言撤回」

 松葉杖を手に立ち上がろうとしたグラディウスは殺気を感じておののく。

「死ね。今すぐ死ね」

「なんだやっぱり女が目当てかふざけんな!」

「おい剣そこ代われ」

 男達がピッチにペットボトルの雨を降らせる。ピッチを怒号が駆け抜ける。


 くろがねが叫んでいる。

「こんなのサッカーじゃない!」

 辰砂が声を掛ける。

「はい! じゃ、整理運動クールダウン後、ぱりぱり反省会するんでよろしく!」

 原子時計が鐵の隣にやってきた。

「これもサッカーです。あなたたちは恵まれているだけです。きれいな芝生でサッカーができる人はごくわずかです」

 鐵は言葉を失って。じきに駆け出した。 

 選手達との壮絶なレスリングの末、ようやく逃げ出した剣が原子時計のもとにやってきた。

「ありがとうございました」

 原子時計が頭を下げる。二人は握手を交わす。剣が口を開く。

「サッカーに芸術点はない」

「確かに」

 嘘だ。

 お前らのファンは知っている。横浜のサッカーを観るのは楽しい。

 でも確かにこれも、サッカーだ。

 俺はバルサが負けるところを沢山観てきた。日本が負けるところも。お前らの倒し方は知っているつもりだ。悲しいぐらいに。

「お前の選手達はお前の指示を受けずとも自分達で様々なことを判断し、実行していた」

「僕は基本的に何も教えないんです。自分で見つけた答えはすぐに身につきます。練習メニューを出して、選手達が消化するのを見ているだけです。僕の選手達に指示待ち人間になってもらいたくないんで」

 物腰柔らかい傲慢ごうまん

 教えなくても、勝ってしまう。からだ。

 長期的に見ればそのほうがいいんだろうが。

 俺は我慢できない。口が出る。もしいつまで経っても気付かなかったらどうする。

 うんざり。聞けば聞くほど彼我の差を感じる。

 でもまあ見てなよ。うちの選手だってまだまだ伸びる。

「あの、お願いがあるのですが、この手錠外してもらえませんか?」

「どうした。……ぶっ壊せばいいのか?」

「いえ、鍵はここにあります」

 釈放だ! 少し、警察気分。

「ああ、ありがとうございます。自由でいいですね」

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