第92話 給水タイム

 まだ明るい夕方のグラウンド。湿度がじわじわ体を締め付ける。空はかげっているのになかなか体が冷えない。

「給水の時間にしよう。水以外の奴は外で飲めよ」

 めいめいが荒い息をつきながら水筒を拾い上げる。カットラスは頭から水をかぶった。短髪なのですぐに乾く。


「いつも思うんだけどさ、なんでスポーツドリンクは外なんだ?」

 カットラスが剣にまとわりつく。剣もピッチの外に出てコーヒーを一気に飲み干す。

「芝にスポーツドリンクがこぼれると芝に悪い。試合の時も中に入ってるのは水だろ?」 

 カットラスが少しでも休憩時間を長くしようと剣にサッカーの話をせがむ。

 剣はうなずいた。選手達はピッチに車座になって座り込む。


Uアンダー20W杯開催中に、トゥーロン国際も始まった。こちらに送られた選手はU19、つまり19歳以下でU20の2軍と言っていい。つまり今年のトゥーロン国際は例年よりメンバーが落ちる。競馬で言えばGⅢ、毎日杯ってとこだな。

 トゥーロンは三試合を終えて1敗2引き分けで終了した。目に付いたのは決定力の低さ。これは日本人の永遠の泣き所で、解決策はない。ストライカーに必要なものを日本人は持っていない」

 

 と、言ってしまってから、剣はあっと思った。目の端で刀と鎖鎌を追う。二人は顔色を変えない。


 モーニングスターが口を開く。

「でもボール支配率はどの試合でも勝ってたよね。イングランド相手にも圧倒してた」


「確かに日本のストロングポイントはボール保持ポゼッションにある。だが日本の問題はアタッキングサードにボールを持ち込むと現れる。

  

 そして前にも言っただろ。日本にボールを持たせてラインを上げさせておけばカウンターが狙える。持っている、ではなく、持たされている――んだ。 


 U《アンダー》20W杯一回戦はベネズエラと対戦。ベネズエラは予選リーグで対戦したチームとは異なりカウンター一本で得点できるようなスピードは持っていない。日本にとってくみしやすい相手だった。

 

 試合は均衡する。日本は後半18分に久保を投入して勝負に出るが、ベネズエラは対策が済んでおりさしたる効果は上がらなかった。結局、延長までもつれるも敗北。その後、勝ち進んだベネズエラは決勝に駒を進めている。

 

 まあそもそも予選リーグでイタリアに追いつけたのがラッキーだった。少ない得点機で2得点。1点目は堂安のドリブルを止めようとイタリアDFが蹴ったボールを他のDFが処理に誤りゴールに蹴り込んだものだしな。

 人間は運が良かったときは実力だと胸を張り、不運だったときは運が悪かったと責任転嫁、自分を慰める。ひどいときは何でも運の責任にされることがある。自分は運が良かったと言える人は冷静だな。感情が伴う故に公平な視点に立つのは難しい。


 決定力不足、なんて言葉はもはや常套句だ。聞き飽きているがまだまだ聞かされることになるだろう。

 まず、シュートは全力で蹴るものだという先入観がある。

 先入観という言葉を使ったが、実は先入観ではない。多くのシュートは全力で蹴るべきだ。

 

 俺は日本人が学ぶべきは心理戦だと思っている。日本の指導者はパスワークやチームワークを重視しすぎて1対1の戦い方を軽視している。それは確かに日本人の思想だ。集団主義だ。武器になっている。だがそれだけでは足りない。まあ、1対1の戦い方を教える文化も知識も足りないとも言えるだろうが。


 まず、自分の相手の心を読むべきだ。

 何を見ているか。何を狙っているのか。

 自分が攻撃側ならDFの想定していないだろうプレーを狙い、余裕があるときはフェイントを効果的に使うべきだ。ゴールに近ければ近いほどフェイントは効果的に働く。その反応から、相手の思考、恐れているプレーをあぶり出すことができる。その上で改めて駆け引きをする。相手の心のうちを公開させたのだから優位に立てる。

 

 決定機にはキーパーもよく観察すべきだ。キーパーが反応できない距離でシュートを打っても、向こうにはギャンブルの権利がある。シュートコースにキーパーがダイブしていれば止められる可能性がある。

 ここでもフェイントは有効でキーパーのダイブを見てから悠然とボールをゴールに流し込めれば理想的だ。

 

 キーパーにはギャンブルという選択肢もあるし、こちらの打ちたいコースを察知しシュートモーションになったらそこに跳ぶかもしれない。ゴールにパスするように蹴って取られてしまったら攻撃終了だ。だったら、コントロールを犠牲にしてでも強くボールを蹴るべきだ。もちろんキーパーとの距離2メートルで全力でボールを蹴る必要はないが。

 


 確かに枠外にボールが飛んでいくと観衆はため息をつき、ムードが落ちる。上空に飛んでいくシュートは『宇宙開発』、なんて揶揄やゆされる。そんなの気にする奴はサッカーやめちまえ。キーパーにボールを捕られたら、キーパーは好きなところにボールが出せる。カウンターが狙える。枠外にボールが行けばゴールキック。陣形を立て直せる。

 強いシュートはキャッチも難しくなる。そのこぼれ球を押し込むことができるかもしれない。強いシュートを打って外しても気にしない、タフな心が必要だ。


 例えば久保建英は、勝負に出て何度ボールを失っても下を向かなかった。悔やむ様子がない。点を取るためにはリスクを負う必要があることを理解しているからだ。バルセロナの下部組織カンテラでそういう教育を受けてきたのだろう。俺が今まで繰り返し言ってきたことだ。お前ら全員が理解するまで何度だって言う。


 ベネズエラ戦で、日本のカウンター、FW岩崎が左サイドでボールをもらってDFと1対1になったシーンがあった。一人抜けばキーパーだけだ。岩崎は横パス。


 あれはない。自信がなくてもどんなに確率が低くてもあそこは勝負しなければならない。ボールを取られる勇気も必要だ。どんなにチームメートに文句を言われてもな」


 ランスが口を開く。

「CL決勝は観たかね」


「ああ。 

 前にも言ったんだけどな。主審は故意じゃないとしても手に当たってるならハンドにするべきだ。

 前半、ディバラのFKが壁に入っていたC・ロナウドの折り曲げた腕に当たった。ロナウドは体と腕は横に、顔はボールに向いていた。腕に当たっていなければゴールに向かっていただろう。なら、PKを取るべきだ。サッカーは手を使ってはいけないんだから。


 サッカーはリードしたチームが指数関数的に有利になる。攻勢に出るとそれ以上に失点するリスクが高まる。DFラインを上げ、守備の枚数を減らし相手に攻撃するスペースを与えるからだ。ユーベが前半の内にリードしておけばこの試合、どんなストーリーになったか解らない。


 U20日本代表とは逆に、ユーベにはツキがなかった。C・ロナウドのシュートとカゼミロのシュートはDFに当たってコースが変わり、ブッフォンを避けるようにゴールマウスに吸い込まれた。ユーベはリスクを負わなければならなくなり、攻勢に出て失点を重ねた。


 レアル・マドリーは強かった。今期、ジダン監督はローテーションをうまく使って各メンバーに出場機会を与えた。管理能力に優れ、リーガの優勝も果たす。正直、バルサが好きな俺は悔しいが美点は認めなくてはならない。ペペも放出、年齢的に下り坂の選手もいない。控えにも他のクラブにいればエースになれる選手がゴロゴロ。第2次銀河系軍団ギャラクティコだ」


 そしてショーテルの質問。

「久保君は一流の選手になるかな?」


「そんなん知らんわ。

 ただ彼は、大会後にこんなことを言っている。


『こういう思いはこれから先も何度もあると思うんですけれど、でも本当にこういう思いはこれを最後にしたいと思っている』


 俺が15歳の頃なんて、テニスとエロしか頭になかった。自分はすぐに世界トップに駆け上がると信じていた。彼みたいなこと、絶対言えない。彼我の差に呆れるよ。

 久保はまだまだ悔し涙を流す気でいる。あんなに才能があるのに、サッカーの世界が果てなく困難な道であることを認識し、闘い抜く覚悟がある。

 俺は期待するよ」

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