ホモに恋するFOOTBALL - triumph or beauty -

第48話 慰撫

　顕著（けんちょ）な成功例を目にして、ヴァッフェの選手達の目に小さな光が灯った。

　不労人間からボールを取り上げると、前に、前に、貪欲なパスが送られる。

　ガツガツ不労人間に牙を突き立ててみると自慢の高層守備陣もただの張りぼてに見えた。いくら高いと言ってもボールの出し手にプレッシャーがかからないこの状況では、ボールに十分な縦回転を掛けたクロスや縦パスが放り込み放題。こぼれ球も禄（ろく）に追いかけない不労人間はカウンターの機会すら満足に与えられない。

　高等遊民は、そんな不労人間を文字通り一人で支えていた。

「参る……。後世（ごせ）は良（よ）しなに……」

「あいよ」そしてモーニングスターは下がった。

　モーニングスターにニートのマークを任せ、CB錫杖がするすると混雑するボックスに入っていく。右サイドからショーテルが本日二十本目のクロスを上げる。

　背の高くない高等遊民だが危機察知能力に優れ、ヴァッフェの走り込むスペースを巧妙に先回りして塞ぎ、水際で防いでいた。ふと目をやるとCB錫杖がオーバーラップして大胆にも空中戦に参加しようとしている。

　反応が遅れた。体をぶつけに行くもはじき飛ばされる。高さを利した伏兵に高等遊民もついに対応しきれなかった。クロスは鋭く落ちて錫杖のヘディングがゴールに突き刺さる。

　不思議だ。

　ククリは何度も振り返った。

　不労人間には、悲壮感ってものがない。リードされたというのに笑顔で談笑している。

　あ、一人だけ下を向いてる人がいる。

　あの人だけは違うな。

　試合再開。

　高等遊民がニートに向かってボールを蹴り出す。こぼれ球が寄生虫の前に転がるも寄生虫はまじめに追う気はなく、やすやすとマン・ゴーシュが確保。弓へと送られた雑なボールを血眼（ちまなこ）の高等遊民が詰（なじ）る。モーニングスターに横パス。高等遊民は機敏にそのパスに足を伸ばし、加勢に入ったモーニングスターの強靱な左足と交錯した。

　高等遊民は足を押さえてうずくまった。審判が駆け寄り。一旦、ピッチを出る。

　エロスはベンチを出た。

　次第に風は凪ぐ（弱まる）。振り返るとフランに尋ねてみた。

「どうして不労人間は人数を掛けて攻めないのだろう？」

「飽（あ）くまでカウンター狙いなんじゃないですか？　ボール保持を捨てて」

　しばし、エロスは乱雑に動物を描くヴァッフェを眺めていた。

「そうか。うちに攻めさせてラインを上げさせて、裏を衝（つ）こうって肚（はら）か。うちにボールを持たせることがむしろ戦術になるんだな」

　サッカーは本当に柔軟な球技だ。戦術の幅が広く、選択肢が多い。

　だから、世界中で繁栄しているのかもしれない。

　治療を受けている間、高等遊民はぼんやり二人の話を聞いていた。じんわりと目に生ぬるいものが覆う。

　それもなくはないんですけど。結果的にそれしかできないってだけで。

　違いますわ。

　ただ本当にやる気がないですわ。

　高等遊民がいなくなった不労人間の守備陣はやけにスカスカしていた。カットラスが切り込んでボールがスクランブル状態。選手達が団子になって競り合い、こぼれたところを手裏剣がゴールに押し込んだ。

「レイピア、クリス、スタッフ。準備しとけ」

　本当に守りの堅く大柄なチームがこの戦術をやれば面白いのだろう。まあ、不労人間はいくら何でも運動量が少なすぎるが。

「わたくしも、アップしていいですか」

　エロスは駄犬を見るような目をフランに向けた。そうして小さくうなずく。

　足を痛めたランスが退き、スタッフが代わりに入った。

　弓は心を平（たい）らかに弦（つる）を引き絞る。きりきりと体がしなる。だが不労人間は弓の所作を寛容なことに傍観してくれる。

　狙いを定めて右足を振り下ろす。

　ゴール前を屯（たむろ）する不労人間の一群をすり抜け、無回転のボールが一路ゴールを目指した。ブラインドになり食客の反応が遅れる。懸命に腕を伸ばすがボールは急に揺れて視界から消えた。

　チームメートからの祝福を受けながら弓は振り返った。

　コーチ、見ててくれたかなぁ？　ベンチを見遣る。　

　……ぁ。コーチってば、フランといちゃいちゃしてるぁ。

　高等遊民がピッチに戻ると試合はようやく閉塞し、じきに長い笛が吹かれた。

　悔しくない悔しくない。

　　　　　　　　　　　　悔しくない悔しくない。

　やっぱり勝てなかった。

　明日にも試合があるが、やはり負けるのだろう。　

「よし決めた！　今日は池袋の屯ちん行って醤油豚骨で！」

「Jaaaa !　そいつは楽しみだぜええええええ！」

「中盛！　中盛！」

　穀潰し達が騒いでいる。

　高等遊民はさっさとドレッシングルームに引き上げようと歩き出した。

　寒空の下、誰よりも汗をかいていた。

　バカみたい。

「サッカーは楽しいか？」

　振り返ると、ヴァッフェの監督が高等遊民を見下ろしていた。嘲笑（ちょうしょう）に来たのだろうか。

　わたしは笑顔を添えて応える。

「ええ」

「お前はプロになるべきだ」　

　サングラスが邪魔だ、と高等遊民は思う。　　　

「サッカーなんて所詮、遊びですわ」

　どうしてそんなことを言ったのか、自分でもよくわからなかった。

「お前みたいなのが埋もれちまうかと思うと悲しすぎる。もし良ければうちのチームに来ないか？」

　高等遊民は小首をかしげた。北風が長い長い黒髪をもてあそぶ。冬はまだ始まったばかりだ。

「わたし、現在語学留学中ですので。そんなことより貴方こそ、もうラケットは握らないのかしら、Ken」

「何だよ。フランベルジュが出ないんじゃ、何のために来たかわかんねーよ！」

　観客席が未練がましく文句を言っている。

「俺のテニス人生は終わった」

「そう」自分はやめたくせにわたしには続けろとおっしゃるのね。「ごめん遊ばせ？」

　せいいっぱい優雅に。一礼して踵を返す。じわじわとぬくもりを感じて高等遊民はふんわりと、跳ねた。