第41話 弓もストーカー ①

「あの……コーチが今期観てるアニメは何?」

 唐突にククリは訊いた。

「そうですねえ……やっぱり俺は王道をく、学園ハンサムですか。そんでユーリ!!! on ICE 」

 なぜかスタッフがほくそ笑む。

「ああ……どっちもBL……」

 ククリはさげすむような目でエロスを刺す。

ちげーよ。そういうんじゃないんだって! 本当に面白いんだって! ……3月のライオンも観てるし」

 思いのほか、エロスは顔色を変えて反論した。

「本当は、夏目とかも観たいんだけどな」

 サッカーを学ぶ旅はまだまだ続きそうだ。時間が足りない。

 いや……それどころか。

 サッカーの歴史は降り積もる。積み重なりこそすれ消えることはない。俺は現行のサッカーも追わねばならない。


「弓ちゃんなんか最近口数減ったね」

 相変わらずフランは率直にものを言うなあぁ。

 そういうとこ嫌いじゃないけどねぁ。

「コーチってさぁ。やっぱり女子好きにはならないのかなあぁ?」

「ああ。……どうなんだろ」

 そして。フランはようやく気がついた。弓は、コーチのことが……。

 まったくふざけてる。あんな常時股間からパンツを晒しているような男をどうして好きになってしまうのだろう。おかしいって。

 でもなんというか。女に生まれてしまったさがというか。

 まあとりあえず女よりは男を好きになってしまうことだけは確かだ。普通はね。普通は。

「今ね、コーチの住んでるところ探してるんだぁ」

「……そうなんだ」

 少し、フランは迷った。



 今日こそはぁ!

 弓はエロスの背中が見えなくなったのを確認すると自転車に乗る。

 コーチは毎日走って通勤しているぁ。

 その長身は目につきやすいのだが、速すぎていつも振り切られていた。

 今日は自転車を借りて準備万端ぁ。

 つかずはなれずぁ。

 エロスは決まって道路の真ん中で、ズボンのジッパーを上げる。その行為にどんな意味があるかは知らない。

 まあでも何か神聖な理由があるに違いないぁ。

 そうだぁ。コーチのやることすべてが尊いぁ。

 エロスがまた走り出す。弓はあわててペダルを踏み込んだ。


「いたぞ! クロシコだ!」

「行けえ!」

 突如、喊声かんせいが沸き起こった。警察だぁ! 警官達が駆けだし、コーチを追いかける。コーチは猛スピードで逃げていく。

 ……?ぁ。

 弓は呆然と徒競走を見送った。一団はあっというまに路地裏に吸い込まれ見えなくなった。


 まるで映画を観ているようだぁ。

 いやぁ。唇を結ぶ。

 弓は今、ラブロマンスのヒロインになったんだぁ。


 明くる日も。

 練習後、弓は夜道をひた走り、エロスを追いかけた。

 エロスに気付かれるわけにはいかなかった。エロスは走り出すと超人的なスピードで消え去った。とても追い切れない。

 

 諦めきれなかった。

 そうだぁ。

 コーチは偶然にも世界の秘密を知ってしまったんだぁ。

 きっとFBIとかにも国際指名手配されているに違いないぁ。なんかそういう話観たことがあるぁ。

 かわいそうなコーチぁ!

 待っててねぁ。

 

 弓は練習が終わるとエロスの先回りをすることにした。だが極めて困難な作戦だった。エロスは警察を巻くために毎日異なる方に駆けた。おそらく、警察に家を悟られないようにしているのだろう。


 弓はマンションを見つけては適当に当たりをつけ、エロスを待った。でもなかなか見つからない。

 弓は不審者がいると犬に吠えられても通報されてもナンパされてもテロリストが現れても狼男が現れてもめげなかった。


 十一月二十三日。

「働いてもいないのに感謝しろって言われてもね」

 モーニングスターは笑う。

「ま、とりあえず休みなのには感謝」

「だね」

 休日なので今日の練習は午後一時に始まる。

 チャンスだぁ。今日こそは絶対ぁ。


 今日はまだ明るい時分にエロスが帰宅するだろう。弓は期待に息を弾ませ、マンションからマンション、家から家へと自転車を漕ぐ。 


 じきに日も暮れた。

 途方に暮れ、夜道をトボトボ歩いた。

 疲れたなあぁ。

 今にも、そこから、エロスが現れて、弓を抱きしめてくれる。そんな気がした。


 さみしさに、コーチの言葉をすべて思い返していた。

「あ……!」

 そうだぁ。弓は前にもコーチの家が知りたくて訊いたことがあったぁ!

『ああ、その辺の百貨店に上がってるアドバルーンの中に住んでるよ』

 この辺で百貨店ぁ? 渋谷ぁ!


 弓は猛然、自転車を漕いだ。

 東急百貨店、西武百貨店、分店にも行ってみた。

 アドバルーンは上がってない。


 泣きそうになりながら、弓はため息をつくと行く当てもなく自転車を漕いだ。

 

 地球の淵に落ちそうだぁ。

 家路を急ぐ人々に呑み込まれる。削られてなくなってしまいそうぁ。

 みんな遠い世界の人みたいぁ。そうして今日も南の空に一番星が現れる。

 背の高い。とても背の高い人が、ふっと目の端をかすめた。

 願望が見せた幻かもしれないぁ。弓は自転車を急ぐ。


 やっぱりぁ。

 コーチだぁ!

 エロスはどんどん街を外れ、くさむらに入るとしゃがみ込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る