第39話 オマーン戦

 ランスの愛馬、フィエルテは自転車置き場でまぐさを食べていた。手裏剣はかばんからにんじんを取り出してフィエルテの鼻先に突き出した。指まで持って行かれそうになり、ちと怖くなるがフィエルテは器用ににんじんを食べつくす。

 フィエルテの優しそうな目が手裏剣は好きだった。

「んじゃ、お疲れ~」

「うむ」

 ランスがフィエルテにまたがり、暗がりに溶けていく。蹄鉄の音が聞こえなくなると手裏剣はスマホを取り出し「ごうまけん」とつぶやいた。

「降魔 剣は北海道札幌市出身の元プロテニス選手。身長194cm、体重95kg。右利き、バックハンドは片手打ち。2012年にはロンドン五輪男子シングルス金メダリストとなり、テニス競技では日本人初の金メダルで、また、92年ぶりのメダルになった。

 練習マニアで研究熱心。毎日欠かさずコートに出たので肌は真っ黒に日焼けした。日本人離れした体躯と強靱な肉体を誇り、驚異的な予測力と頭脳的なプレーで相手につけいる隙を与えない。一方、メンタルが課題で競り合いに非常に弱く大事なポイントになるとサーブは入らず、ストロークは不安定になる。現役引退を表明しており現在消息不明」

 機械音声はひとしきり喋ると黙りこくった。

「消息、不明」

 密告。

 そんな言葉が頭の奥底にこびりつく。 

 みんなはどうするんだろう。誰も触れなかったけど。



「入るよー」

 手裏剣は勢いよくドアを開ける。

「またお前らか……。勝手に入るな。俺が真っだったらどうするつもりだ変態」

 やはり止めるべきだったか、と悔いながらフランもミーティングルームに入った。

「訊きたいんだけどさ、どうしてサッカーのコーチやることになったの?」

 エロスは一瞬、渋い顔で手裏剣を見遣った。そして「お前のせいだよ」と答えた。

 

 俺はコーチなんてやる気なかったんだ。でも、あのまますぐ辞めたらお前とスタッフに『降魔がコーチになった!』みたいなことを言いふらされると思ったからな。

「仕方なく、必死でサッカーを勉強してるんだよ」

 俺は腹立たしさに派手な音をさせて机をたたいた。いらついて顔を背ける。

 こいつは……よくいけしゃあしゃあと。


 あたしの、せい? 

 !?  

 何? 

 ちょっとどういうこと?

 ……もしかして、ホモだって言ってたけど、あれは真っ赤な嘘で。

 あたしに惚れてるんだ。 

 だってほら……今もやっぱり照れくさそうにしてる。


「まあ……。サッカーを観るのは楽しいよ。ゴールを決めた後、男達が抱き合ってイチャイチャする。それを観ると、俺は劣情を催す。こいつらみんなホモなのか????? 俺の妄想は止まらなくなる!」

 

 嘘だ。

 あたしには解る。

 そうやって同性愛者の仮面をかぶってさ。羊を装いながら。

 仮面の下からあたしを舌なめずりして狙ってるんだ。

 あたしには解る。

 いやあ、参ったなあ。


「オマーン戦の感想を伺いたいのですが」

「まあ、座れや」

 

「ご覧の通り、中東からわざわざサンドバックを呼んでボコボコに殴った。それだけの試合だ。親善試合ゆえにタックルはソフトタッチで緩く、日本には痛んだ選手が誰一人いない。こういう試合に香川が出ればさぞ活躍しただろう。オマーンの皆さんには日本観光を楽しんで欲しい」

「ショートパスをつなぐサッカーに回帰しましたね」

「どうだろう。相手が弱すぎて押し込む感じになったから自然とカウンターを狙いにくくなったこともあるかもしれない。カウンター&速攻なんてさっさと諦めた方がいいのだが。試合後半、日本は速攻が増えた。しかしボールを大事にしないサッカーなのでカウンターを受け、被シュートも増えている。やはりハリルは速攻がやりたいんだと思う。

 選手が監督に会談を申し入れたという話があるので、確かにポゼッションになる可能性はある。そうだとすれば結局、ザックの遺産を引っ張り出して戦うことになるだろう。ぶっちゃけて言うと、だったらハリルを選んだ意義はなんだということになる。ハリルである意味がない。ハリルにパスサッカーの指揮をさせて上積みが期待できるのか? はなはだ疑問だ」

「本田は右サイドに戻りましたね」

「助かった。これでサウジ戦が面白くなった。本田は右サイドで四苦八苦していた。報道では本田をスタメンから外すという話も聞こえてくる。

 これに本田は異議を唱えている。上司に逆らうなんていい意味でも悪い意味でも日本人らしくない。まあ、そこで使うぐらいなら本田は外した方がいい。ポストプレイヤーをサイドに置いてどうしようっていうんだ。サイドじゃパスの相手が半分近く減ってしまう。もしこれで明日本田をセンターで使うようなら若干ハリルを評価しなければならないだろうね。サウジをあざむこうとしたことになる。

 今後の日程と勝ち点を見るに予選突破するには明日は勝ち点3が必須だ。低レベルなアジアでもがく日本を見るとやるせない気持ちになるね。ここで引き分けだとしても解任すべきだが、その決断ができるかどうか」


 そうか。

 この人は世界で戦ってきたんだ。

 欧米人の身体能力をその身でもって体感している。

 確かにアジア人の身体能力は低い。

 そうだ。わたくしは本当に化け物・・・にならなければならない。


「二点を取った大迫は十分な働きと言える。三点目、四点目はゴール右上にきれいに突き刺さった。PKは本田より清武の方がいいかもしれない。重要な点でも震えずに仕事ができるならね。小林の守備力次第ではセンターハーフ候補に、もしくはトップ下候補になり得るかもしれない。淡々とボールをゴールに沈める所作は技術に自信があるのだろう、可能性を感じさせるものだった。

 驚いたのは岡崎を外すフォメを試したという話だ。これは絶対にやってはいけない。岡崎は守備時に相手のビルドアップを阻害する重要な能力を持つ。2列目か1.5列目に置かねばならない」


「手裏剣ちゃん。……手裏剣ちゃん?」

 我に返る。

「今日の講義は終了だってさ。帰ろう」

 ああ、物思いにふけってた。立ち上がる。

「ありがとうございました」

「じゃーね」

 二人はミーティングルームを出て行く。

 エロスはしばし、沈思した。

「しかし。行うはかたしだねえ」

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