ひとみ

三月兎@明神みつき

ひとみ

 まぶたに浮かぶ、って言う言葉があるじゃん?

そう。誰かを思い浮かべるって言う、あれ。

最近、ぼくにそんな子ができたんた。


 気になる子?

うん、好きっていうのとは違うけど、気になるね。

 名前?

いや、わからないんだよ。

 だれ?

いや、だれかもわからないんだ。

本当にある日さ、ある日突然、まぶたに浮かんだんだよ。文字通りね。


 最初に彼女が浮かんだ時のことはさ、よく覚えてるよ。

そりゃ何月何時何分、とはいかないけどさ、とてもよく、覚えているよ。

だって彼女は、ずっと変わらないんだから。


               ※


 ああ、久しぶり。そうでもないって? まあいいじゃない。

ほら、この間の彼女の話さ、ミツオにしたんだよ。そうしたらアイツ、何言ってんだとか言うの。ひどい話だよな、ハハハ。

 え? そうだっけ、彼女の話、最後までしてなかったっけ?

じゃあどこから話そうか。最初からでいい? じゃあ、そうするよ。


 彼女はねえ……本当にある日ふと、まぶたに浮かんでね。

それ以来ずっと。同じ表情で、格好で、そこに佇んでるんだよ。

まるで写真を切り取ったみたいにね。

 いや、絵や写真を見ているのとは違うよ。ちゃんと彼女はそこにいるんだから。

ああそうか、説明しないとわからないよね。まずは彼女の背格好から言おうかな。

年齢は、中学生くらいかな。15歳くらい? うん、背が小さいからね、幼い印象がある。顔立ちもそうだし。ひょっとしたら、高校生かもしれない。

 顔はねえ……そうだなあ、だれに似てるとは言えないなあ。ぼくもあんまり芸能人とか知らないし、彼女はずっと無表情だから、パッと当てはめにくいんだよ。

でも、かわいい子なんだよ。でさ、ミツオが言うわけ。「かわいいぶんいいじゃないか」ってさ。ハハハ。そりゃブスがずっと浮かぶよりゃいいさ。


               ※


 ……この間の彼女の話だけどさ、だれに言っても取り合ってくれないんだよ。

トモヤもあんまり聞いてくれなくってさ。ホント、薄情だよな。

 でさ、彼女の格好だけど、毛糸の帽子さ、あるだろ? てっぺんにポンポンのついた。あれの薄ーいベージュ色。で、耳のところがブラーンと長くなってるあれ。あれかぶってるの。紺色の柄があるんだよ。雪の結晶みたいな。

 それにこげ茶色のタートルネックのセーターで、帽子と同じような色のダッフルコートって言うの? あれ着ててさ。そうそう。厚手で、パーカーもついてたな。  で、ひざ下まであるまっすぐなスカートでさ。そう。それも厚手。あったかそうな。色はグレーに、ドットみたいに黒が入ってるやつでさ。

 靴は短めのブーツで……こう、折り返し? って言うの? そこがビラビラ~ってなってる。茶色の、なんか起毛みたいな感じのね。

 そうそう。全体的に、冬って感じだね。背景も、雑踏なのに冬を感じるんだよ。

……え? 背景? そうだよ。彼女はいつも同じ場所に立ってるんだよ。


               ※


 まったくみんな、もっとマジメにひとの話聞いてくれたってよくないかな。

アツシも途中で聞いてくれなくなってさ。

 そうなんだよ。彼女はいつも同じ場所に立ってるんだ。

歩道だね。それも結構広い。左手にはコンビニがある。右は車道だ。近くにはバス停があって、ちょっと進んだら歩道橋があるね。

 道路の信号は、いつも決まって赤。歩道を歩く人は、いつも絶えず行き来してるよ。みんなねずみ色さ。ねずみ色がまばらにうごめいてるんだ。

 そんな中、彼女は立ってるんだ。そして、こっちをずっと見てる。こう、ちょっと、上目づかいでね。彼女は背が小さいから。


               ※


 頼むタカシ。助けてくれ。ぼくはあの子に追われてるんだ。見られてる。

みんな、だれも取り合ってくれないんだ。彼女はぼくをずっと見てる。

ぼくが彼女を見てたんじゃないんだ。彼女はぼくをずっと見てる。見てるんだよ。


 ほんのいたずら心だったんだ。彼女がいつもぼくを見てるから、こっちからも見てやろうって。そう思ったんだ、それだけだったんだよ。

 彼女の正面に立った。彼女はこっちを見ていた。

彼女の横に立った。彼女は同じ方向を見たままだった。

彼女の後ろに立った。彼女はやっぱり、同じ方向を見たままだった。

彼女の視線の先を見た。そこには何も無かった。彼女はずっと一点を見ていた。


 それをリセットしたんだ。何度も何度もリセットした。

だけど彼女はこっちを見てる! ずっと同じ場所で同じ方向を見てるんだ!

ずっとぼくを見てるんだよ! なんでぼくを見てるんだ! なんでだよ!


               ※


 なんで彼女がずっとぼくを見ていたかわかったよ、みんな。

彼女はぼくが、かつて置いてきちゃったんだ。思い出したんだ。

 小学校から中学校に上がるころ、みんなが女の子と遊ぶのは恥ずかしいって言うからさ、彼女だけ置き去りにしてきちゃったんだよ。

それでも彼女は成長し続けたんだ。だから気づかなかったんだ。ぼくらの知らないところで、彼女ひとりで大きくなったから。

 彼女は思い出してほしかったんだろうな、自分のことを。

そうだよ。またみんなで仲良く遊ぼうよ。いろいろおしゃべりしてさ。

でも、ぼくにはわからないんだ。どうやって彼女とおしゃべりしよう。

 教えてくれよみんな、彼女は何も言ってくれないんだ。見つめてくるだけなんだ。

なあ、なんでだんまりなんだ? みんな。いつもはあんなに話すのに。

教えてくれよ、どうすれば彼女とおしゃべりできるんだ? なあ、教えてよ。

みんな、どうしたんだよ。いつもあんなに話してきたじゃないか。なんで、


               ◆


 中学生の冬から息子が引きこもりになって、もう5年は経つ。

理由はなんだったろう。成績の不振か、いじめか、失恋か、その全てか。

息子はずっと部屋の中で、1人で想像上の――かつての――友達と話し続けている。

 5年前、世間との時間が止まってからの息子は一体、その友達と、どんな話をしているのだろう。

 私も、息子と同じく、時が止まったこの世界の、この家の中で、自問自答しながら生きている。

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