第82夜 6・10 声

6・10 声


 好い文体には、声がある。文字から立ち起こる、在りし日の声。声のする文章こそ、美しい。訥々と語る、静謐な声。静謐でありながら、熱を帯びた声。声の聞こえる文章は、畏ろしい。

 声。本は声のコールドスリープだ。肉体は滅んでも、声は滅びない。声は文字として眠っている。言葉は開かれる時を待っている。私の墓は、私の言葉であればいい。そう言い遺して去った詩人は、ずっと読まれるのを待っている。言葉は死なない。声は死なない。たとえ音声中心主義と言われようと、声は文字に宿っている。今日は、そのことを知った日だった。

 福島泰樹氏の会に行った。吉祥寺、曼荼羅の、短歌絶叫。地下の小さなライブハウス。老歌人は、そこで絶叫していた。叫ぶのは、死んだ者たちの声。清水昶、中原中也、寺山修司、村山槐多。声は老歌人に憑依し、彼をして文字は今日、蘇った。文字は彼の身体に宿り、彼は声としてそれを叫んだ。絶叫。今、ここに声が充溢し、詩人は言葉として復活を遂げた。声が冷たい眠りから醒めたとき、声を留めていた文字は、役割を終えた。ひとつの絶叫が終わったとき、老歌人は読んでいた紙を捨てた。そして、声はそこにあった。それこそが、文学の真の姿だった。

 声。僕は声を求める。いつか僕の身体が死んだとき、僕はこの文字として生きつづける。誰かに読まれることによって、僕は声として復活する。或る詩人の言葉に偽りはない。僕もまた、言葉の墓に眠る。(了)

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