第40夜 4・29 身捨つるほどの故郷はありや

4・29 身捨つるほどの故郷はありや


  マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)


 昨日はまた休んでしまった。休みぐせが、つかないといいが。

 実家に帰ってきた。実家は、関東の東端の、ある港町にある。漁業と観光で有名なこの街は、潮だれた赤錆の街でしかない。

 一時間に一本の電車に乗って、東京駅からだいたい二時間。鈍行列車の扉が開くと、まずこの街は緑のにおいがする。夜は蛙の声が響く、山の中の田園地帯。高齢化率は五割を超え、児童が一桁の小学校がひとつ。それがこの街の西の入り口。鈍行列車がさらに進むと、風に潮のにおいが混ざりだす。終点のJR東端の駅からは、醤油工場のにおいが漂う。そこから先は、もう十年以上も「廃線寸前」と言われ続けている、おみやげの煎餅が動力のローカル線。一両編成に乗って二十分、そこが海にせり出した、陸の終わり。西以外の三方を水に囲まれ、追いやられ、あとは、海、海、海。

 かつてはこの街も、賑やかな街だった。三十年続いたデパートが二軒建ち、商店街は「銀座」と呼ばれた。観光は舞浜に次ぐ第二位の景勝地だったし、市内には八つの中学があった。その倍の数の小学校があった。僕の母校の校歌には、「われら集える千五百」とある。だがそれも、今は昔の話だ。

 僕が中学に上がる頃、デパートの一軒は、だだっ広い駐車場になった。もう一軒はパチンコ屋になった。商店街はシャッター銀座になって、市民は郊外のイオンに出かけた。年間十数万人の観光客は南に流れ、小中学校は統廃合で片手の数に。主力の漁業に従事するのは、出稼ぎの南方系の外国人。若者は高校を出ると東京へ出て行く。典型的な、地方自治体。

 僕は、生まれながらにして、東京の周縁人だった。東京をうらやみ、東京に焦がれ、そして潮風に錆びていった街。人足を培養し、そして東京に搾取される街。僕はその人足の一頭でしかない。人足は、もはや故郷の念がない。東京に憧れるように仕向けられ、気づけば東京は勝利と知っていた。

 だからこの街に、僕は故郷を思えない。あの海に、僕の故郷はない。(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る