ゴドキラサクヤ―Sは神殺し―

未知比呂

白雪姫編

三ケ月前

 通称——神殺し。


 そう呼ばれる能力を身に宿した少女が生まれた時の話をしたいと思います。生まれた、と表現するのが正しいのかどうかは議論や反論の余地があるのですが、その辺のことはとりあえず置いておいて、都合の悪いことには気がつかなかったふりをするがごとく、話を先に進めたいと思います。ちなみに、この『神殺し』とは、この世にはびこる呪いや悪魔の類を封印、あるいは抹殺する力のことです。


 ――呪いや悪魔を何とかできるんだから、神だって何とかできそうじゃん。


 そんな思いから、『神殺し』という名がつけられたそうです。つまり、実際に神を殺せるかどうかはよくわからないということです。適当すぎますね、まったく。『呪い殺し』や『悪魔殺し』よりも『神殺し』の方がかっこいいという理由もあるみたいですが、今のわたしはネーミングにまつわるエピソードを語りたいわけではないですし、命名者のことを紹介したいわけでもないので、まことに勝手ながらこの話はこれくらいにさせていただきます。


 閑話休題。少女の話をします。


 他の人がどう思っていたのかはわからないのですが、わたしが思うに三浦崎サクヤという女の子はいわゆるどこにでもいる普通の女の子でした。学校生活においてお昼ご飯を一緒に食べる友人に困るようなことはなさそうですし、家に帰れば時々口喧嘩をする父親と母親が、一人娘が不良にならない程度の愛情を注いでくれます。長所をあげろと言われれば、誰にでも優しい。短所をあげろと言われれば、誰にでも優しい。偏差値の高い学校を先生にすすめられるわけではないけれど、赤点を取って怒られるわけでもない。読者モデルとして雑誌に載るような華やかさはないけれど、鏡を見るたびにいちいち暗い気持ちになるわけでもない。そんな女の子だったと思います。本人は、そんな自分を誇るでもなく、かといって卑下するわけでもなく、自分という人間がどのような生き物なのだろう、なんてことを一瞬ですら考えることもなく生きてきた普通の人間でした。


 そんな三浦崎サクヤが普通の女の子ではなくなってしまったのは三カ月前のことでした。まだ三浦崎サクヤが高校一年生だった二月のことです。二月といえばわたしがこの世に生を受けた月ですが、それよりも世間的に認知されているイベントといえばバレンタインでしょう。日本では女の子が意中、あるいはそれに準ずる男の子にチョコレートをあげると多くの人が思っている、企業の戦略だとわかっていてもあえてその戦略に乗ってしまおうと広い心を持ってしまう、一部の男子の怨念が一年の中で最も高まってしまう、あの日です。ちなみに当時のわたしにはチョコレートをあげようと思っていた男子の存在は皆無でした。まあ、今もですが。自慢にはなりませんが、わたしは恋をしたことがありません。もちろん好きになった男の子はいます。でも、それは本当の恋を知っている人からすれば、恋ではないのでしょう。ラブと言うよりはライクに近い感じでしょうか。愛は言わずもがな、というやつです。


 話を戻しましょう。


 バレンタインの日の放課後のことです。三浦崎サクヤは歩いて駅へと向かっていました。いつも駅まで一緒に帰っている友人たちは部活動に勤しんでいたので一人きりです。一人きりで寂しいという思いはありませんでした。すれ違う恋人たちを横目で見ながら、バレンタインというイベントを謳歌できなくてつまらない青春を送っているなという気持ちはあったようですが、それはささいなことで、世界を呪ったり、他人を怨んだり、自分の運の悪さを妬んだり、そのような負の感情をふつふつと湧き上がらせていたわけではありません。この日を笑顔で迎えることのできる人たちをほんの少しだけ羨み、いつか自分もこの日を楽しめるようになれればいいなと思う程度でした。


 十分ほど歩いて駅前に着くと、三浦崎サクヤは八階建てのデパートの前で足を止めました。バレンタインフェア。そんな文字が描かれた横断幕やバルーンアートで飾り付けをされたデパートの入り口前には、様々なお菓子ブランドのお店が軒を連ね、女の子たちが群がっていました。まるでチョコレートに強力な媚薬が含まれていて、そのせいで女の子たちが頭を混乱させているかのようです。女の子たちの瞳には平時では見られないきらめきが灯っています。そのきらめきは身体の外にまで放射され、店先全体が煌びやかに染まっていました。周囲には、試食販売を行っているおかげで甘いにおいか漂っていました。その甘いにおいが三浦崎サクヤの脳を刺激し、その結果として、口の中が甘いモノを求め始めます。茶色いブレザーのポケットを探ると、友人に貰った梅味の飴玉が出てきました。まあいいか、と思いながら飴玉を口にします。酸っぱい感触が口腔内に広がると、余計に甘いモノが欲しくなってしまいました。わずかな後悔を抱えながら視線を移すと、デパートの入り口から三十メートルほど離れた場所にあるベンチの周りに鳩が群がっているのを発見しました。誰も座っていないベンチの下には餌がばら撒かれているようで、何羽もの鳩が地面をつついています。もしかしたら鳩たちもチョコレートの甘いにおいに脳をやられたのかもしれない。そんなことを思いながら飴玉を舌で転がしていました。


 夢中。

 没頭。


 三浦崎サクヤの足はデパートへと向かいます。しかし、三浦崎サクヤは店に集まって目をキラキラとさせている女の子たちのように、チョコレートを買おうと思ったわけではありません。父親にあげる義理チョコはすでに用意してありましたし、他にチョコレートをあげる相手はいなかったのですから。では、なぜデパートに寄ろうと思ったのか。それは生理現象――つまり、お手洗いに行きたくなったからでした。下半身の一部分に軽い違和感を覚えていたのです。自宅の最寄りの駅までは電車で十五分。違和感を我慢できない時間ではありませんが、我慢したい時間でもありませんでした。


 ——我慢すればよかったのに。


 もしも今のわたしがその時の三浦崎サクヤに助言ができるのならば、SFアニメのように過去に声を届けることが可能ならば、そう伝えたいと思います。なぜなら。


 そこで。

 三浦崎サクヤは普通の人間ではなくなってしまったのですから。


 お手洗いに入ると、すぐに異変に気が付きました。入ってすぐ、左側に広がる洗面台の傍で人が倒れていたのです。二十代くらいの女性です。ジーパンにTシャツ姿というラフなスタイル。腰まで届きそうな長い黒髪が、まるで己の影のように床に広がっていました。幸い、と言うのもどうかと思いますが、女性の身体からは血が流れていませんでした。誰かにナイフのようなもので刺された、あるいはバールのようなもので殴られた、ということもないようでした。女性は顔を歪めて苦しんでいるだけでした。身体の内部の異常。急病であると誰もが疑う状態でした。


 三浦崎サクヤはすぐに女性の元へ駆けよりました。その際、口に入れていた飴玉が床に落ちてしまったのですが、そのことにまったく気がつかないほど慌てていました。急病人を介護する。鬼畜外道の類の人間は別として、それが人として当然の判断だと思いますが、その時の三浦崎サクヤは何も考えずに身体が勝手に動いてしまうという状態だったので、行動の是非を頭の中で戦わせたわけではありませんでした。無我夢中で声をかけます。


 大丈夫ですか。


 三浦崎サクヤは倒れていた女性の傍で身をかがめました。急病人を無闇に動かしてはいけない。テレビかマンガかはっきりしたことは覚えてなかったのですが、そんなことをどこかで聞いたことがあったので、女性に触れることはしませんでした。誰か来てください。そう叫びます。しかし、誰もトイレに入ってきません。トイレに扉はついていなかったのですが、敷地の隅にあったため誰かが傍を通りかからない限り、中から声を出しても誰にも気づかれないのでした。自分で何とかしなければならないと思った三浦崎サクヤは、茶色いブレザーのポケットからケータイを取り出し、救急車を呼ぶために番号を押そうとしました。そんな三浦崎サクヤに女性は浅い呼吸を繰り返しながら目を向けてきます。そして、色の薄い文字のような弱々しい声を出しました。


 わたし、まだ見えてるんだ……。


 その言葉の意味を三浦崎サクヤが理解したのは一週間以上先のことでした。

 そして、次に聞こえてきた言葉と行動の意味も。


 ごめん、ね。


 そう言った女性の右腕が燃え尽きる寸前のろうそくの炎のように伸ばされました。向う先は三浦崎サクヤの――心臓。避けることはできませんでした。気がついたら、心臓を直に握られていた。そんな状態だったのです。


 ぐしゃり。


 そこで三浦崎サクヤの意識は途切れます。


 一週間後、目を覚ました三浦崎サクヤことわたしは、普通の人間ではなくなってしまったことを教えられたのです。

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