Action.8【 ブルーシートと幸福の石 】

 こんな橋桁はしげたの下、ブルーシートの中に人が住んでいるとは思わなかった。

 その男は五十代くらい、髭モジャ、髪は伸び放題、垢で真っ黒な顔、かなり年季が入ったホームレスに見える。

「ゲリラ雷雨で川の水が増水したから避難してくれって……悪いが見ての通り、具合が悪くて動けん……」

 段ボールとブルーシートで作られた小屋の中、男はうす汚い毛布に包まっていた。栄養状態が悪く、死期が迫った病人の顔色だった。

 この男のために救急車を要請することにした。

「俺はもうすぐ死ぬんだ。避難しても、救急車を呼んでも無駄だ。放っといてくれ」

 すっかり諦め切っているが……警察官の自分としては見過ごせない。

「おまわりさん、まだ若いね。幾つだい」

 自分が年をいうと、男は感慨深くうなずいた。

「二十五か……死んだ息子が生きていたら同じ年だ」

 こんな汚い男にも家族があったというのか。

「俺の話を聴いてくれないか」

 やおら身体を起こした男が縋るような目でいう。

 自分の父親と同じくらいの年齢だし、救急車到着までに時間がありそうだ。この男の身の上話でも聴いてやろうかと頷いた。


「こんなに零落おちぶれちまったが、昔は羽振りが良かったんだ」

 ブルーシートより底辺な暮らしはないだろう。

「バブルの頃は事業をやってて、不動産で大儲けしたんだ。毎日、銀座の高級クラブを飲み歩いても金なんぞ減らなかった」

 やっぱり、そんな話か――。ホームレスの奴らときたら、大抵たいてい昔は大金持ちだったとぬかしやがる。

「おまわりさん信じてないでしょう? こんな姿見て信じろっていう方が無理か……」

 鼻でわらったことを見抜かれたみたいだ。

「生まれた時、俺は石を握っていたんだ。お袋が亡くなる前に教えてくれた。へその緒と一緒に桐箱に入っていたが、真っ黒な小さな石ころだった。その石を肌身離さず身に付けることにしたら……」

 そんなバカな赤ん坊が石を握って産まれてきただと……? 

「俺の運気が一気に上がった。とにかくラッキーの連続、パチンコはジャンジャン玉が出てすぐにドル箱いっぱい、宝くじを買うと必ず当選するんだ。それで中古車の販売を始めたらバカみたいによく売れた。努力しなくても、どんどん大金が流れ込んでくるんだ!」

 得意そうに喋るホラ話、一応「うん、うん」と頷いてやってる。

「金だけじゃないぞ。女房は取引先の社長令嬢、すごい美人で高嶺たかねの花だったが、この俺にひと目惚れしたというんだ。……たぶん石のお陰さ、あれは幸福の石なんだ」

 妄想かも知れないが、好きに喋らせてやろう。

「俺の運勢はさら上昇した。結婚して事業を拡大したら大繁盛で儲かった。高級住宅地にプール付きの豪邸、軽井沢に別荘も買った。人も羨む贅沢な暮らし息子が生まれて家庭も幸福だった」

 ブルーシートの住人が、そんな豪勢な暮らしだったとは誰も想像できない。

「女房に不満はないが、金があると男はどうしても浮気心が出てくる。愛人は二人いた、二十三歳のホステスと十九歳の女子大生だ」

 男の話が本当だったとしたら、どうしてこうなった?

「ある夜、女子大生と食事してレストランから出てきたら、ホステスが外で待ち伏せしていた。最近、俺が若い子ばかり可愛がるので嫉妬して怒り狂っている。女たちがいきなり取っ組み合いの大喧嘩になって、止めに入った俺はもみくちゃにされ、金の鎖で首から下げていたお守りの石を落とした。気づいた時には店の前の坂道を転がり落ちていく……。慌てて追いかけて探し回ったがどこにもない。翌日の昼間にも探したが見つからない。社員たちもかり出して側溝や下水の中まで捜したが……どうしても見つからなかった。俺の幸福の石が消えてしまった」


「――そこからだ、俺の運勢が急変したのは……女房に浮気がバレてしまい、夫婦の関係がギクシャクし始めた、そして大事な一人息子が交通事故で死んだ。青信号で横断歩道を手を上げて渡っていたのに……トラックに轢かれた。まだ小学校一年生だったんだ、その数ヶ月後、妻も自殺した」

 いっぺんに家族を亡くすなんて気の毒な男だ。

自棄やけになった俺は事業にも失敗して、借金取りに追われる破目はめになった。逃げ回っていたが見つかってしまい。車の前に立ちはだかった相手を、俺は避けようとしてブレーキとアクセルと踏み間違えて……轢き殺してしまった。殺す気なんかなかったんだ!」

 故意こいでなくとも殺人なら罪は重いだろう。

「刑務所を出てから頼れる人もいないし、仕事もなく、金もない……ついに病気になって、このザマだ」

 この男の不幸は石を失くしたせいなのか? 希有けうな話にき込まれて聴いている。

「――だが、幸福の石が還ってきてくれたんだ!」

 えっ? 驚いて男の目を凝視ぎょうしする。

「ある朝、起きたらの中に……こいつが握られていた」

 男は掌を開いて、小さな黒い石を見せてくれた。――これが、その幸福の石なのか?

「女房と息子が俺を迎えにきてくれんだ……」

 嗚咽を漏らす男の背中が小さく震えている。

 男の死期を悟って、持ち主の元に石が戻ってきたというのか? どこまでが真実なのか、自分ははかりかねていた。 


「俺の話を聴いてくれてありがとう。この幸福の石をあげるよ」


 そういって石を渡すと、再び毛布に包まった。しばらくして様子を見たら、男は息をしていなかった。――転がる石のように流転の人生。

 男がくれた石を自分はてのひらの上でころころ転がしてみた。なんの変哲もない、ただの小石にしか見えないが、男の運命を握っていたとしたら怖ろしい石だ。

 死者が横たわる、橋桁のブルーシートから自分は外へ出ていく。雨はすっかり止んで、増水していた川も水位が下がっていた。掌の中の小石をもう一度じっくり見てから、やおら川に向って放り投げた。石は水面を二、三度ジャンプして水中に沈んでいった。

 こんな石は要らない。幸福の石にあやつられる人生なんて真っ平だ!


 救急車のサイレンが近づいてきたが、もう男は遠いところに旅立ってしまった――。

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