おじさんの楽園

泡沫恋歌

Action.1【 おじさんの楽園 】

 どうして、こんなことになったんだ!?

 気がつくと俺はジャングルの中に倒れていた。大きな草に囲まれて周囲が見渡せない。突然、草叢からオームが現れた。ナウシカに出てくる巨大な甲虫だ。しかし……ただのダンゴ虫だった。大きな蟻も歩いていた。

 不思議なことに俺の周りの物が巨大化しているぞ! いや待て、この俺が小さくなっているのか?


 昨夜は、地方に転勤させられる俺の送別会だった。

 たった十人足らずだが同僚が集まってくれた。だが、二次会まで付き合ってくれる者は誰もいない……。家に帰りたくない俺は飲み屋を四軒ハシゴして、したたか酔っ払っていた。ふらふら彷徨っていると、路地の奥に小さな酒場があり、初老のマスターが一人でやっていた。

「マスター、何か変わった酒はないのか?」

 ヘベレケに酔った俺は回らぬ舌でそんなことを訊いた。

「インカの珍しいお酒がございますよ」

「そうか。飲んでみたい」

「ですが……人によって副作用があるかも知れません」

「構わん! 飲ませろ!」

 グラスに注がれた緑色の酒を一気に煽った。


 三十年間滅私奉公してきた、この俺が人材の女の尻を触ったかどうかで左遷されるなんて信じられない。

 覚えの悪い人材の女にきつい説教したら泣き出されて、辞める時に人事部に俺がセクハラしたと訴えやがった。おまけに俺と気が合わないお局が人材の女の味方についたので不利になった。社内コンベンションに掛けられて、退職するか、地方へ行くか、どちらか選べと言われた。まだ大学生と高校生の子供がいる俺は地方へ行くことを選択した。

 地方に転勤することを妻に告げたら、「あなた一人で行ってください。私は子供たちとここに残ります」と冷淡に言いやがった。今回の件も俺は触ってないと家族に釈明したが誰ひとり信じてくれない。妻も息子も娘までが軽蔑したような目で俺を見やがる。

 誰のお陰で女子会と称して、毎週ホテルのランチが食えると思ってんだ! 誰の金で大学や習い事をさせて貰ってるんだ!

 腹が立った! 悔しかった! 情けなかった! 

「チクショウ―――!!」

 満月に向って俺は吠えた。その後、どうやら意識を失ったようだ。


 そして草叢の中で朝を迎えた。

 草の丈から考えて10㎝ほどが俺の身長だろうか? あの都市伝説で有名な『小さいおじさん』みたいだ。昨晩飲んだ緑色の酒の副作用とはこのことだったのか?

 こんな姿になってしまったが、もう会社に行かなくてもいい、女房子供と顔を合わせなくていい。――それだけで俺は気が楽になって嬉しかった。

 

 ようやく草叢を抜けたら、そこは公園だった。

 ジョギングや散歩をする人たちが行き交うが、ベンチの下に隠れている小さな俺に気づく者はいなかった。賑やかな集団登校の小学生たちの声が聴こえてきた。その一人と目が合った、慌てて死んだ振りをしたが拾われた。

「なんだぁ~? このちっこいおじさんの人形は……」

「禿げちらかしてるぞぉー」

「キモイ! 捨てろー!」

 ブンブンと振り回すと放物線を描いて、俺はゴミ箱に投げ込まれた。

 食べ残しの弁当の上にバウンド、腐った食べ物の悪臭が酷いのでゴミ箱の金網をよじ登って外へ出ようとしたら、真っ黒な翼が視界を遮った。

 カラスだ! 口ばしを延ばして俺を食べようとする。弁当のつまようじで脚を突いてやったら、驚いて飛び退いたが、再び巨大な口ばしが襲ってきた。

 この俺の最期はカラスの餌食か!? 

《もう、ダメだ……》悲惨な運命を受け入れるべく、俺は目を瞑った――。


「あんた、大丈夫かい?」

 覗き込む男たちの顔があった。あれ、俺の身体が元に戻ったのか?

「酒場のマスターの連絡を受けて探していたよ」

「……あんたたちは誰だ?」

「わしらは仲間だ」

 起き上がって見渡せば、庭園みたいな場所におじさんばかり三十人くらい居た。

「あんたが飲んだインカの酒には不思議な呪いがあって、おじさんが飲んで満月に向って叫ぶと小さくなるんだ」

「みんなもそれで小さくなったのか?」

「そうだ。会社や家庭に不満だらけで行き場がない……あのマスターの酒場でインカの酒を飲んで『小さいおじさん』に、生まれ変わったんだ!」

「よう、新入りよろしくな」

 仲間たちが次々挨拶をしてくる。みんなニコニコして幸せそうだ。

「さあ、今から新入りの歓迎会だー!」

「酒を用意しろ」

 大量の酒やご馳走が運ばれてきた。

「実は俺たち『小さいおじさん』を保護する団体があって、食糧や住む所もちゃんと保障されているのさ」

 いよいよ宴会が始まった。みんな歌ったり踊ったり楽しいそうだ。嫌な社会のシガラミから解放されてイキイキしている。――ここはおじさんの楽園だった!

 

『会社なんか糞喰らえ! 女房子供も糞喰らえ! 俺たちは自由だぞ―――!!』


 酔っ払った『小さいおじさん』たちは気炎を吐く。

 秋の夜長、虫たちの鳴き声に混じって『小さなおじさん』たちの賑やかな宴会が聴こえてくるかも知れません。

                

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