召喚された皇帝と行方不明の巫女姫 3

 古より、ランドメイアに伝わる神話では、この島は、太陽神ラーラと月神フィアミスの二人の娘、光と昼の女神ファリスと、闇と夜の女神フィリスによって創られた島であるとされている。

 だが、現在、帝国の守護女神とされているのは、光と昼の女神ファリスだけで、光族の帝国では、闇と夜を司る女神フィリスは、ファリスに敵対するものであり、邪神として扱われていた。それはつまり、光族が闇というものをことさらに恐れているからだ。

 かつて、大陸を追われ流浪した時期の過酷な記憶が、光族という種族の中に癒しようのない傷として、未だに残っている。闇の魔法を操る黒き国。かつて光族の国を滅ぼした国。大陸には、もうその国は存在しないのだが、彼らは今もその影に怯えている。

 悪しきもの、忌むべきもの……それらを全て、”闇”と呼んで恐れる。

 飢饉も戦乱も、この国に降りかかる全ての災厄を、”闇”のせいと考える。

 実は、魔道師の使う魔法の力は、かつて光族の国を滅ぼしたものと同じ力であり、故に、この国の魔道師と、光族との関係は、実は微妙なバランスの上に成り立っているといえる。


 初代皇帝サイアニアス・クリューガーと、魔法使いダーク・ブランカが交わした契約によって、カリディアの魔道師は帝国を守る存在となり、皇帝は魔法の力を守る存在となった。

 その契約の証が、”剣の紋章”でもある。

 光族にとって魔法とは、諸刃の剣に等しい存在だった。身を守る為に手放すことは出来ないが、その力の根源は、恐ろしい闇の力なのである。だから、それに対して、恐怖心を抱かずにはいられないのだ ……その力はいつか、自分たちを滅ぼすものとなるのではないか、と。

 そんな光族の思いを察して、ダーク・ブランカは彼らの皇帝に、力を与えた。魔法を守るという皇帝の力は、裏を返せば、魔法を消し去る力であり、魔道師がいかに強い力を持とうとも、皇帝はその力を無に帰することが出来る。そういう力である。 ゆえに、この帝国の光の象徴である皇帝は、闇を払う力を持つ …… つまりこの国で魔道師が光族と共存していく為には、そこまでの譲歩が、必要だったのである。



 サラが腕に口伝鳥を乗せて、城の尖塔の階段を上っていく。レオンが辺りの気配に気を使って、時々後ろを振り返りながら、その後ろに続いていた。

「なあ、本当に、いいのか?ラーラに無断で」

「あたしはね、送り人不明の口伝鳥よりも、この耳で聞いた彼の言葉を信じるわ。ランディスは、四騎士をここに集めておけって、そう言ったんだから。だから、クリスとラスを呼び戻すのよ。だっておかしいじゃないの。皇帝崩御の知らせは、今朝も来たのよ」

「今度は、早馬だったよな」

「そんな大事な知らせが、二度も三度も日を違えて来ると思う?」

「そうだよな……インディラ様も、ダーク・ブランカ様を呼び戻すんだって言って、魔法の塔に籠もったままだし、大丈夫なのかなぁ……」

「大丈夫って、何?」

「この国がさ。ほら、前に、魔道師ルトの騒動があった時に似てるって感じ、しないか?”闇”は気付かないうちに、俺達の心に入り込むんだぜ」

「縁起でもないこと言わないで」

「だってさあ、魔道師長だったルトが、闇に取り込まれていたのだって、あの事件が起こるまでは、誰も気づかなかったんだろ?」

「魔道師とか、神官なんかが狙われやすいって、いつかランディスが言ってたわね。心が純粋な分、闇が入り込みやすいって」

「あの時は、少なくとも、このカディスにはラディウスⅡ世がいたけど、今はいないんだもんな」

 レオンが何気なく言った言葉に、サラはどきりとした。

 皇帝がいない。ラディウスⅡ世が崩御した今、このランドメイアには、もう皇帝はいないのだ。この国を守るべき存在が……

 ラーラが禁忌の魔法で召喚したあの少年が、黒髪と黒い瞳のあの少年が、新たな皇帝なのだとは、サラにはどうしても思えなかった。

「レオン、あんたはリート様に会ったことあるのよね?あのミサキって子、本当にリート様なの?」

「会ったことあるっていっても、三年も前の話だし、俺が会ったのは、まだ金髪だった頃の話で、それも顔を見たことがあるって程度だからなあ……面影があるかと言われれば、あるかなって感じ?」

「頼りないわねえ……」

「元魔道師長のラーラ様が召喚したんだぜ、人違いってことは、ないんじゃないの?本人と剣を交えた事があるラスが戻れば、はっきりするよ」

「そりゃ、そうだけど……」

 呟きながら、サラは考える。

……ミサキカズヤ……

 あの少年が名乗った名前を呟く。

「ミサキ……」

 サラの脳裏に、カーシアでの出来事が浮かぶ。

「あいつも、ミサキって、言ったのよね……」

 サラが大きく腕を振ると、口伝鳥が翼を広げて、空高く舞い上がった。暗灰色の雲が垂れ込めた空に吸い込まれる様に、その姿は、みるみる小さくなっていく。

「嫌な雲行きね」

 そう言ったサラの隣で、レオンは徐に剣を抜いた。そして、その剣を高く掲げる。

「良き風の加護を……」

 そう言って、空を十字に切った。そのレオンの仕草に、思い詰めていたサラの心が少し和む。

「……海竜族のおまじないね。どこで?」

 異世界から召喚されて来たレオンが、サラの故郷の習慣を知っていた事に、感慨深げに尋ねる。

「ああ、これ?ランディスが教えてくれた。風の騎士がやると、ご利益倍増なんだぜ」

 サラはレオンの物言いに、苦笑する。この状況下でも、レオンはいつもと変わらない。普段はカンにさわる彼の能天気ぶりも、今日ばかりは、ありがたかった。

「あたしたち、きっとまた、この国を守れるわよね?」

 聞かれたレオンは、きょとんとした顔をする。

「当然だろ、その為の皇帝騎士団だぜっ」

 サラは笑って頷いた。


 インディラは魔法の塔で、ダーク・ブランカから預かっていた水晶球に向かって、対話の呪文を唱えていた。いつもなら、もう、この水晶にダーク・ブランカが姿を現わす頃である。ところがその日に限って、ダーク・ブランカは、いつまでたっても現われなかった。心の中で必死に呼びかけても、その声すら聞こえない。

「まさか……魔法の力が、弱くなってる……どうして」

 自問するように、インディラは呟いた。

 インディラは立ち上がって棚の魔法書を取り出し、慌ててページをめくった。しかし、インディラには、そこに書き出された魔法文字を読むことは出来なかった。背筋を冷たいものが走った。

「ああ、ここにいたんだね。カイが魔法の塔に行くのを見掛けたって言ってたから」

 喋りながら、和也が部屋に入ってきた。

「……あたし……」

「どうした?朱里ちゃん。顔が真っ青だぞ。気分が悪いんじゃないのか?」

「違う……平気。だけど……」

……いつからだろう……

 考えて、目の前の和也の顔を見て、インディラは気づく。

 彼がここに来てから……彼が自分を、朱里と呼ぶようになってから、ではないだろうか。もしかして、記憶が戻ろうとしているのか。


 自分が本当に朱里なのか、インディラにはまだ分からない。だが、魔法の力は、記憶と引き換えに貰ったものだったはずだ。記憶が戻る時、魔法は消える。ダーク・ブランカはそう言ったのではなかったか。インディラは和也に会って、記憶を取り戻したいと思ってしまった。朱里の記憶を。多分、それで……

「ごめんなさい……部屋に行って休むわ」

 インディラは、和也と目を合わせないようにして部屋を出て、塔の階段を駆け降りた。

「朱里ちゃんっ!」

 上で和也の呼ぶ声がしたが、インディラは振り返らなかった。取り返しの付かないことをしてしまった。魔法を失って、ダーク・ブランカの声も聞こえない。突然、彼女の心の中に恐怖心が沸き起こった。

「ダーク・ブランカ……あたしを助けて」

 魔法という盾に守られていたからこそ、今までインディラとして振舞うことが出来たのだ。これから、どうすればいいのだろう。そう思ったとき、魔法と共に与えられた使命も何もかも、彼女の頭から消え去っていた。彼女はもう、インディラではなかった。


 あぶり出しに隠された秘密の文字が火に煽られて、鮮明に浮かび上がって来るように、彼女の頭の中に、あの日の出来事が蘇ってきた。

 あの日、天王寺朱里が美崎和也に出会った日。

 そして、朱里が、ダーク・ブランカと再会した日……


 夢中で走っていた朱里は、回廊でカイとぶつかってしまった。

「おっと……」

「ごっ、ごめんなさいっ」

「どうなさったんです?インディラ様、血相変えて……」

「ごめんなさい」

 慌てた様子で走り去る彼女の、その後ろ姿を見ながら、カイは眉をひそめた。

「……まさか、記憶が戻ったのか。あーあ、もう。また一つ、問題が発生しましたよ。どうするんですか?ランディス様。何時になるか分からない、ダーク・ブランカ様の帰還を、呑気に待ってる時間なんか、ないんじゃないかなぁ……」

 一見、平和に見えるこの状態の中で、この帝国は少しずつ壊れ始めている。そんな感じがする。この違和感……これは、気のせいなんかじゃない。


 ”闇がもう、間近に迫っている”


 魔道師ルトの残した言葉の意味を、もっと深く考えるべきだったのか……あれは光族特有の言い回しなのだと、そう思っていた。ルトの言った”闇”の意味は、もっと現実的なものだったのではないのか。

 そして、ルトの意思を継ぐ、何者かが、現実に存在し、何かをしようとしている。そういうことなのではないか。もっと、早く気づくべきだった。カイは唇をかみ締めた。

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