第31話 吉田松陰伝

 吉田松陰は幕末に生まれた明治志士の一人である。まだ平成の時代においてその人物が正しく伝わらないので、簡単な吉田松陰の人生のまとめを書く。講談社学芸文庫「吉田松陰著作選 留魂録・幽囚録・回顧録」をもとにしている。

 吉田松陰は、幼い頃、「孟子」を読んだ。三十歳で死ぬ一年前に「至誠にして動かざるものは、いまだ有らざるものなり」と「孟子」のことばを自著「留魂録」で引用している。

 吉田松陰は、幕末の武士たちの文書を読み、「大砲をオランダからできるかぎり買え」というのが主流な意見であるのを糾弾して、「大砲を西洋から買うのではなく、日本で作らなければ欧米諸国には勝てない」と主張した人である。

 吉田松陰は、大砲の作り方を学ぶためにペリーの黒船に密航しようとして、逮捕される。そのまま牢獄ですごした吉田松陰は、獄中でひたすら読書をした。「日本書記」「続日本書記」を始めとして、その数472冊。残念なことに、当時、江戸で大流行していた本居宣長の「古事記伝」は読んでないようだ。本居宣長の「古事記伝」は大流行して、神国日本思想が起こり、お伊勢参りする日本人は百万人を超えた。その大流行である「古事記」および「古事記伝」を読まなかった吉田松陰であるが、三十一歳で刑死される。

 これが吉田松陰の人生である。

 吉田松陰は、萩藩主から十年間の諸国遊行の許可をもらって二十代をすごした。その結論として、獄中で「幽囚録」を著し、西洋のことばのわかる日本人はまだ少ないから、留学生や漂白民を学校の教師にして西洋の学問を教えるのがよいと献策している。みずからを孟士と称し、自分を獄死させる藩士を藩府の奴隷だといっている。

 吉田松陰は、胎教を大事にするように手紙に記している。フロイトの心理学を遥かに先に行くものである。

 明治維新において、虎は、吉田寅次郎、吉田松陰である。龍は、坂本龍馬。明治志士の竜虎は人生は不幸なれど、死後、策は二人とも成就したり。


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