崩れた世界より愛を込めて
本田本科
聖女の歩み『山の頂』
世界が一度、やり直すことになった世界。もちろんまっさらな所からやり直し……という訳では無い。圧倒的な技術力、科学力、軍事力、人口。
それらを持っていた旧時代の文明は皮肉にも自らの手で滅ぶこととなった。そしてその文明の遺産や僅かに残った技術を復興させていくことで人々は再び歩み始めていた。しかし、殆ど旧時代の文明については分かっていない。
全ての文明を継続不可能にきたものはなにか?かつての文明の姿は?
あまりに謎の多い旧時代については、一部の人間が研究していたに過ぎなかった。
もっともそれも徒労に終わることが多かったが。世界大戦争デウスベルムからもうじき、二百年程になる。
「デウスベルムにより文明は途絶えました。
人々は嘆き、空は悲しみに濡れました。
人々の住む場所は限られ、人の数は減り、知識は途切れ、文化を再興することはもうままなりませんでした。
戦争を終わらせたのは天使の光だと伝えられています。もちろん、本当の所はわかりません。さぁ、どうなんでしょうね?神様や天使様がおられるなら本当のことを教えてくれるかも知れませんね。
人はもはやかつての海を、野原を、再び思うがままに手に入れることは出来ないと嘆きました。そしてそれ以来、人々は死が早くなりました。…え?実際に昔はどのくらい生きてたんだって?私も信じてませんが…八十年は簡単に生きられたらしいのですよ。ふふ、そんなはずはありませんよね。
人は自らばらまいた種、戦争によってかつての栄華は遠いものになったと嘆きます。
けれども、これからは必ず、平和な世界を、誰も泣かない、そんな世界を作ろうと誓いました。
そんな方の中でも、優しさや思いやりを持つ正しい人柄の方に導いて貰おうと願いました。その人こそここの主様の祖先に当たる初代リア・エルマンテ大公です。大公のお陰で、私達は慎ましく穏やかに日々を暮らせるのですよ」
マリアナは本を閉じて、子供たちにほほ笑みかける。
「さあ、お祈りの時間ですよ、礼拝堂へ行きましょう…」
ーーーーー
べランクル島の中心に位置する半島、クランバー半島の小さな街、ホワイトコースト。今は果物と小麦の生産が盛ん。
デウスベルムの影響が比較的小さく、僅かな生き残りの一部が暮らしている。
「マリ、どうしたの?ぼーっとして」
声をかけたのはシェーンだった。
マリアナの昔からの親友で、今は木彫りの髪飾りを造っている。
「いやぁ、少し思った事があって…」
マリアナは礼拝堂での祈りを終えた後、丘へと登り街の景色を見ていた。
「何よ、言ってみなさい」
シェーンはハキハキとした口調で尋ねる。
「初代大公様は、怖くなかったのかなって」
おかしな事を聞いたかのように…実際そうなのだろう、シェーンはクスッと笑った。
「どういう事よ、変なこと考えるのはいつものことだけど…」
「ちょっとシェーン、茶化さないの。ほら、私も教会で司祭様の代わりに孤児の世話をするようになったじゃない?それで考えるようになったの」
シェーンは呆れたように肩をすくめた。
「真面目すぎるのはアンタの悪いくせよ、もっと楽にしなさい」
マリアナはシェーンのように気楽にはなれない。苦笑いをしながら、シェーンに別れを告げた。
街へ降りれば、騒がしい喧騒の中だ。
ざわざわと喧しいのはいつもの事だが、今日はいつもとは違う。市が出ているのだ。
「よ、マリアナ!東のドーラから仕入れた焼き細工だ、買ってかないか?」
「あ、ジムさん。また面白いもの仕入れたんですね、でもお金があいにく…」
マリアナはここまで騒がしく、人が沢山いる世界。それよりも人が溢れかえっていたかつてを思うと不気味に思った。
マリアナはしばらく市を見回り、のんびりと歩いていたが、不思議なものを発見した。
「何ですか?それは」
「ああ、これは俺もよくわからねえがな、西部の国境線で発掘されたらしい……大きな鳥の遺体を模した置物さ。俺は鳥には思えないけどな」
「素敵ですね、見に行ってみたいです」
「はは、ガキの面倒は司祭様に任せて行っちまえばどうだ?」
「もう、変な事言わないでくださいよ」
マリアナは市を出た。
大きな鳥を見てみたいと少しだけ思った。
しかし、責務を放棄するわけにもいかない。
彼女はまだ若いながら、責任感の強い人間だった。
ーーーーー
夕食の時だった。
孤児の一人……トーマスが言った。
「ねーちゃん、市見てきた?蒸気機関の模型が展示されてたんだ!すっごいなぁ、今度ここに機関車が来るっていうけど、ホントにあんな機械あるんだなぁ」
「あら、そんなものもあったんですか…知りませんでした」
「ねーちゃんはドジだなぁ」
「トーマスも人のこと言えないじゃん」
呟くリリ。その後、トーマスに向かって舌を突き出した。
彼女も孤児の一人である。
「なんだとー!?」
取っ組み合いの喧嘩になる前に止める必要がある。
「やめなさい、二人とも!」
ビクッと身体を震わせ掴みかかろうとするのを止める。
マリアナの説教は面倒臭いのだ。
マリアナは食事を再開する二人を見つめながら、トーマスの話を思い出した。
機関車。機関車が次の月からこの街にも通る。それに乗れば、三日もあれば鳥を見に行けるのではないか。
三日程度なら教会を空けることも許されるのではないか。
マリアナは鳥を見に行こうと思った。
「ごちそうさまをちゃんと言いなさい、トーマス」
「分かってるよ…ごちそうさまでした」
「えらいですね、トーマス」
「へ、へん!これくらいとーぜんってやつ?…あ、それでさ、機関車は黒い石を燃やして動くみたいだけどさ、石は燃えないよな、あのオッサンインチキなのかな」
「こらトーマス、人に簡単にそんな事を言ってはいけません。確か石炭?という不思議なものがあるそうです。…私もよくは知りませんが」
「いしずみー?へー、今度司祭様に聞いてみよーっと」
「司祭様を振り回しちゃダメなんだからねー!」
「何だよー、そーゆーリリだってこの間司祭様におね…」
「それ以上言ったら殺すー!」
「こらリリ!その言葉は使っちゃいけません!言葉には魂が宿るのですよ」
「…ごめんなさい」
「……それとトーマス、人を辱める様な真似をしてはいけません」
「…わかったよ」
マリアナはそれを聞いて微笑んだ。
「はい、この話はおしまいよ。お風呂の準備をしてくるから、おとなしく遊んでなさい」
少しやんちゃだが、素直で根は真面目。分別も付いているし、利口だ。
そんな彼らなら、自分の留守中も何とかやっていけるのではないか?そうマリアナは考えた。
司祭に許可を取りに行こうと思った。
マリアナの様子を、レイラはずっと見つめていた。
ーーーーー
数日後、マリアナは司祭アンドレイの部屋に行こうと思っていた。
が、呼び止められた。
「マリ、少しいい?」
ぼそぼそと呟くように話したのは、レイラだった。
「……分かったわ、どうかしたの?」
レイラは最近疫病で両親を無くし、この孤児院に入ってきた。
歳は施設で一番幼いが、利口でよく人を見ている。気配りのできる人間だとマリアナは思っていた。手のかからない子供だったのだ。
しかしマリアナはそれだけに彼女が心配だった。親を亡くした子供とは思えなかった。
「マリ、昨日、おかしかった。どうか…した?病気?」
レイラの言葉に驚いた。
自分のちょっとした変化にも気付ける聡い子供だ。
「ううん、そんなことないよ。少しね、ここを離れようと思ったんだ…それでね、皆がうまく暮らしていけるかな?って思って」
「…いなく、なるの?」
「ならないよ、見てみたいものがあるから見に行こうかなって」
レイラも年相応の子供である。
やはり自分が離れる訳にはいかないと思った。
「レイラは、嫌?」
「…マリ、離れるの、嫌」
そっと頭をなでる。
「……なら、行かないよ」
ビクッと体がはねた。
今までレイラのこんな反応は見たことがない。
「ホントに、いいの?」
少し首をかしげた。
マリアナには、その動作が可愛く思えた。
「いいのよ。レイラがちゃんと待てるようになるまでは一緒よ」
レイラはポカーンと見つめていた。
そして、ニッと笑った。
「ありがと」
「こちらこそ、レイラ」
レイラが甘えるのは珍しい。
たまらなく愛おしく思ったマリアナだった。
レイラは自分を家族として認めてくれていると、思えたからだ。
「レイラ。私は、貴方のお姉ちゃんでいられてる?」
レイラはいつもの澄ました顔で答えた。
「マリは、マリ。家族」
それを聞いて、心が温まる思いだった。
ーーーーー
「風が強いな、雨もじき降り出すだろう。この時期の雨は強いし止まない」
「はい、司祭様」
「危ないな、子供たちを建物の中に入れておいてくれ」
「そうですね、司祭様」
マリアナは司祭に言いつけられたとおり、子供たちを建物に入れる。
老齢な司祭では、できることは少ない。
マリアナはいつも通りに子供たちを中に入れる…と、人数が少ないのに気付いた。
「トーマスとリリは?」
「お山の方へ行ったよ」
「っ!?様子を見てきます。建物から出てはいけませんよ」
マリアナは飛び出した。山は小さいがおいそれと登ることの出来る高さではない。
急いで向かわねばならない。
「おーう、そんなに急いでどうしたの?」
シェーンが呑気に尋ねてきた。
「もうすぐ雨が降ってくるわね」
「とびっきりスペシャルなね」
「トーマスとリリが山に行ったって」
「えぇっ!?まずいな、連れてってやるよ」
ポンポンと馬の尻を叩く。
マリアナは馬に乗るのは苦手だったが、そんな事を言っている場合ではない。
よっこらせと乗ると、シェーンが馬を走らせた。
馬は速い。随分と時間を短縮出来たが、山の麓で馬から降りる。
「シェーンは街の人に言ってきて、一応の保険ってやつよ」
「…おう、マリアナも無茶はよして」
振り向かずに手を振るマリアナ。
多少の無茶はするつもりだった。
山を登るのは……運動は元々得意だ。この山だって昔はよく登っていた。
急いで登っていく。
「トーマス!リリ!帰りますよ!」
道中で時折呼びかけながら捜索を続ける。
「あーもう、山に登るなら大人と行きなさいとあれ程言ったじゃないですか!」
マリアナは少し腹も立てていた。
自分がしっかり見ていなかったからこそ起こったものだ。自らの失態である。
それ故に、自らで、始末をつけたかった。
ぴちょん、と雫の落ちる音がする。
やがて、ざあざあと降り出した。
「降ってきましたか……見つけても、すぐには降りられませんね」
山の途中にはいなかった。山頂の遺跡かトンネルだろう。
そう思いつつ山頂に着くと、二人は案の定降られていた。
「二人とも!山に行くなら誰か大人を連れて……」
辺りに轟音が響く。落雷だ。
このままここにいれば、雷に撃たれる可能性もあるだろう。
「二人とも、とりあえず来なさい!」
二人は黙って付いてきた。
トンネルに入った。このトンネルが、一体なんなのかは分からない。こんな山に調査隊を派遣するなんてことを国はしない。しかし、小部屋のようになっていて、机のようなものがあったりした。
「二人とも、どうして山に?」
「……リリが行こうって」
「そうなんですか?」
「うん」
「……これからは大人と一緒に行きなさいよ」
遭難してはいけないのでね、とマリアナは付け足した。
しかし頭の中では別の事を考えた。
自分もよく、山に秘密で入って遊んだ。遺跡で鬼ごっこやかくれんぼをして、昼頃になると山葡萄や野いちご、山桃なんかをとって食べる。そんな事を毎日のようにしていた。
今思えば、いつ事故になってもおかしくないことをやっていたのだ。
それを思い出すと、強くは怒れなかった。
「…ねーちゃん、今日は怒らないんだな」
「……ま、まぁそうですね、山を降りられない事になってしまったので……私も降りれば怒られますね」
くすくすと笑いながらそう言った。
「…ごめんなさい」
「いいんですよ、二人が無事ならそれで」
リリとトーマスの頭を撫でる。
「…それに、まだまだ二人とも子供ですしね」
二人は何故そんな事を言ったのか分からなかった。
マリアナは先日のレイラとの会話を思い出していた。二人にも自分がまだまだ必要だと思ったのだった。
ーーーーー
「暗く、なってきましたね」
「うん……」
「捜索は明日でしょうか」
「雨、止まないよ?お姉ちゃん」
止まない。止まないまま、夜。
マリアナはかなり不安になった。このままでは、不味いことになる。
とりあえず、持ってきたランタンに灯りを灯す。
「おねーちゃん準備いいなー」
「当たり前です。山に行く時はそれなりの準備を持っていく。それは一番大事なことですよ」
「お姉ちゃん、意外とアウトドア」
くすくすと笑いながら助けを待つ。
いつ掘られたトンネルかわからない。
崩れるかもわからない。そんな場所だ。
ふと、机を見てみる。子供の頃から気にしたことは無かったが、何があるのか気になったからだ。
本のような…日記帳か、そんなものが何冊かあった。
マリアナはそれに気がつくと、ここにも元は人が暮らしていたのかと少し寂しくなった。
かつて人の営みがあった場所には思えなかった。
日記帳を手に取ると、そこには名前が書かれてあった。
名は――リア・エルマンテ。
「っ、これは」
手が震える。
大聖人たるエルマンテ大公の日記帳がどうしてこんな場所に?
ここは大公ゆかりの地なのか?
色々な思考が頭で渦巻く。
彼女は、読んでみようと思った。
ーーーーー
リア・エルマンテ大公の日記帳。彼女が、一体何を思い、何を考えていたのか。自分にとって、重要なものになるだろうか。
マリアナが孤児の面倒を見はじめて、まだそれほどの時間は経っていない。彼女は自分が子供たちをしっかりと導くことが出来るだろうか、いつもそればかり考えていた。
荷が重いと感じるものだった。故に、エルマンテ大公がどのように民を導いたのか、日記帳に参考になることが書いてある。そうに違いないと考えたのだ。
そっと、ページをめくる。
『リア・エルマンテ
戦争も終わり、これからようやく世界が少しづつ立ち直っていくだろう。私にできることなんてたかだかしれているけど、出来ることをしたい。みんなが、少しでも楽になれればいい。弱った人々を支えることが出来れば、嬉しいな。』
くすりと笑いをこぼす。大公になる前から彼女は聖人たりうる人間であったのか。
『みなが私の行為に対して否定的だ。偽善者、変人、狂人。随分ひどい言われようだ。それでも自分にできることをやりたい。こんな世界で悪意を誰かにぶつけたくなるのは当たり前。その悪意が自分にぶつけられるなら、それでいいと思う。』
『先日、偽善者と笑っていた男、名前はコークスと言ったけど、彼に泣いて謝られた。彼の子供が川で溺れていたのを助けただけなのに。今までのこと、今回のこと、ずいぶん謝っていた。泣いている人は見たくない。』
『ようやく、と言っていいのだろうか。皆が私の行いを、助けてくれるようになった。私のことを嘲笑う人はいなくなった。それだけ世の中がマシになったのか、私の努力が功を奏したのかは分からない。それでも、皆が楽になってきたなら、それが一番幸せじゃないかな。』
『最近、この国も大きくなってきて、諍いを止めるのが仕事になりつつある。それじゃあ一人では難しいかもしれない。コークスやロビンに手伝ってもらって自警団…仲裁をできたらいいなぁと思う。』
『国の規模が大きくなって、旧時代文明の社会制度を復元しようとする動きがある。社会契約という理屈で、皆の方針はみんなに信用されている一人の決定に存するという考え方らしい。遥か遠い海のかなた、ブリテンとかいう国の考えらしい。一体だれがこの地域の…王様、王様になるのかな。』
マリアナは少し微笑ましいと思った。
かの大公が「王様」なるものなので、彼女が信用を集めた人間になるのだ、と先の結末は見えているのだから。先の知っている物語、というやつだ。
『私に決まった。皆が私に言う。我々を導いてください、と。導くって、なんだろう。正しい道へと教え誘うこと?分からない。私の立っているここが、正しいのか?わからない。分からないけど、弱音をはいてはいけない。本日付けで私はリア・エルマンテ大公なほだ。民の前で弱音ははかないし、常に正しい道を歩まないといけない。』
ーーーーー
「……ねーちゃん、ねーちゃん!」
「…あ、はい、何でしょうか」
「お腹空いた。喉乾いた」
「水は水筒を持ってきました。パンはぺったんこなのがあるので二人で分けなさい」
「ありがと」
そっとトーマスを撫でる。くすぐったそうに目を細めるトーマス。マリアナは、大公も大公になる以前は普通の人間だったのだと思っていた。もちろん、罵詈雑言を言われても耐え続けた彼女は凄まじく強靱な精神の持ち主なのだろう。そして、自分もまたそうありたいと思えた。彼女が大公として選ばれたのは当然の帰結。
彼女は再びページをめくる。
大公になってからの彼女の進む道は、自らにとっても重要なものになると信じて。
ーーーーー
『分からない。隣国との貿易?どの都市が重要?今年の小麦の収穫量?分からない。そんな事は私の知識でできるものじゃない。今まで誰がやっていたのか。分からない、手を借りる?誰の?私はみんなから任せられたのに、他の人の手を借りるのか?そんな事を、みんなが許す?』
『結局、ローランドのお爺さんがみかねて補佐官を数十人、各街ごとに太守を派遣してその人に治めさせようと考えてくれた。私には、そんな事思いつかない。出来るはずもない。お爺さんに私でいいのか尋ねると、分からないけどもただエルマンテ様の他には誰も納得するはずもない、と言っていた。』
『民を導くってどんな事か。正しく模範たれという事なのか。少しずつわかってきた。これからも、私は私のままでいいのだろう。だって、みんなが選んだ私はおせっかい焼きで偽善者の町娘なんだから。』
『大公には自覚が足りないと言われている。自覚?それって何だろう。私にははじめから自覚なんてない。大公になったからって私は私のままいたい。大公になることと私が行ってきたことの両立は不可能なのだろうか。そんな事ない、きっと。』
『わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない。』
『やっぱり、私には出来ない。何も出来ない。みんな、私に失望してる。たかだか町娘に、国の上に立って皆を導く事なんて出来るわけがなかったんだ。もう、よく分からない。どうすればよかったのかな。』
『私は正しかったの?もうわからない。自分がしてきたことが正しいかすらわからない。周りの望むまま尊大な態度で言われたことをよく分からないまま、するだけ。そんな毎日。ようやく大公として泊が付いてきた?』
『変わったね、と言われた。昔遊んだ孤児の子供たち…もう、青年になっていた。昔と変わった、何かが違う。そう言われたけど、もう私も大公だから、そう言った。』
『導こう、そんな考えが間違っていた。正しい道がようやく見えた。私は町娘ではない。大公なのだ。でも、町娘の頃の私が、みんなが選んだ私なんだ。だから、私は大公なのだ。』
『また、変わったねと言われた。今度は少し嬉しそうに。だから、今度も言っておいた。私は、皆の大公だからね、と。』
『大公になってもう十年になる。私ももう長くない。三十代になったのだ。死が近いなぁ、そう思う。間違えてばかり、ダメな私だったけど、私はみんなから見て、ちゃんと大公でいられたかな?』
そこでページは終わっていた。日記と言っても、毎日つけていたわけでは無さそうだ。おそらく、気分の整理のために書いていたもの。
マリアナはこの日記に違和感を持った。
死ぬのが三十代?そんなはずが無い。
デウスベルムの前で無いから八十までは生きられないだろうが、それでも五十程度なら……。ただ、教会の人間としてリア・エルマンテに捧げる言葉は一言だった。
「大丈夫ですよ、貴女はよく頑張りました。どんな人から見ても、貴女は立派な大公ですよ」
祈りを捧げよう。
マリアナは日記はここにおいていこうと思った。また誰かが来た時のために。
すやすやと寝息をたてて眠る二人をそっと撫でた。
ーーーーー
「雨、止みましたね」
マリアナはトーマスとリリを起こす。
今朝は快晴。さっさと下山したい。しかし、山道はぐちゃぐちゃだろう。
「まぁ、さっさと帰りましょうか」
「うん」
「……そういえば、どうして山に登ろうと思ったんですか?」
リリに問いかける。彼女は、少し頬を染めて
「内緒」
と言った。
それを聞いて、マリアナはどうしてそんな所に行こうと思ったのか何となく察することができた。
下山すると、雨がやんで山に探しに行こうとする男連中と出会った。
「マリアナ!心配かけさせやがって…」
「すみません、皆さん」
「全く、責任感が強いのも考えもんだぜ」
「……ええ、仰る通りですね」
道行く人に心配されたり怒られたり。
マリアナは、自分がそれほど皆に心配をかけたのかと少し申し訳なく思った。まぁ少しだけなのだが。
唯一心配しなかったのはシェーンで、
「山猿のアンタがいるならどうにかなると思ってたよ」
などと声をかける始末だった。
一番説教が長かったのは司祭で、
「まあマリアナが山になれているのは知っていたが……無茶をしすぎだ」
とのことだった。
マリアナはすっかり意気消沈、といった様子だった。
「はぁ……山登った時より疲れました…」
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「うーん…大丈夫じゃないので、甘えていいですかね?リリ」
聞くと、リリはびっくりしたような顔をする。よほど珍しいと感じたのだろう。そして原因の根本が自らにあったことを思い出し、頷く。
「ああーリリー!疲れましたー!司祭様の話は長いしジェームズさんやホーマーさん、ニックさんも小言が多いし…シェーンはシェーンで山猿って…山猿ってー!!!」
うわーんと喚きながらリリに抱きつく。
リリは最初こそ驚いていたが、しばらくしてからしょうがないといったふうな顔をして頭を撫でていた。
「……マリ?」
「はい?その声は……レイラ?みっともない所を見せてしまいましたね」
リリにはいいのかと突っ込みたい所だが、レイラはそんな様子では無かった。
彼女の恐怖することが先程まで現実だったのだから。
「マリ。……心配した。マリが、マリが、いない、いなくなる、ママみたいに、パパみたいに、マリ、いなくなるの、嫌」
「…………これが一番心に響くかも知れませんね。心配をかけました、レイラ。ごめんなさい」
「謝っちゃ、ダメ。マリ、こっち来て」
てくてくとこちらまで来て、袖を引っ張る。
「ああっ、あ、リリ!後で話がありますので暇になれば行きます!」
リリはその光景をみてあんぐり口を開けていたが、我に帰るとおかしくなってきて笑ってしまった。マリアナが喚き、クールなレイラがうるうるした目でマリアナの名前を呼ぶ。いつもとは違う様子がたまらなくおかしかった。そして、思った。
「お姉ちゃん、なんだかスッキリしたみたい」
マリアナの肩の荷は降りた。自らに誰かを導くなんてことは出来ない。その事実は変えられないし、がむしゃらに努力してどうにか出来ることではないし、そんなやり方で導いた先に果たして明るい何かがあるだろうか?
大公は三十三才の若さで世を去った。
死因は公にはされていないが、彼女の死に様が大公らしくなかったことは間違いない。なんせ彼女は死ぬまで大公でとしての自覚なんて持たなかったのだから。
ーーーーー
あれから一ヶ月。マリアナは孤児たちを並べていた。
「いいですか、おやつに水筒、ハンカチ財布、あとは切符の確認です、切符を無くしたら電車からつまみ出されますからね」
「はーい」
「おねーちゃんは持ったのかよー?」
「…あ、おやつを買い忘れてました」
「ははは、おねーちゃんはいつまで経ってもおねーちゃんだな!」
「マリ、ドジっ娘」
「……もう、二人とも……司祭様ぁ、二人が意地悪ですぅ!」
「自業自得だろうに」
笑い声がこだまする。
今日は孤児院の皆で遠足だ。機関車に乗り、西武国境の鳥の化石の見物へと。
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