ノーアンサー・ノーライフ

@asetonn

第1話


「選択肢がないって幸せなことじゃないかと思うんだ」

 先生はやけに細い煙草を吸いながらそう言う。

「選べないって辛いと思いますけど」

 この部屋に来る度に幾度と無く繰り返されるこのやりとりに、しかし私も飽きることなくいつもと同じ言葉を返す。

「僕が言ってるのは選択肢を選べないってことじゃないよ。最初から選択肢が見えてなかったら、ということだ。それなら納得するだろう?」

 うん、全く納得できないけど言いたいことは分かりますよ先生、毎度のことですから。

「知らなければ選びようもないですもんね。でもその幸せって本当にいいものなんでしょうか。先生は人生いいことばっかりだったら怖くないですか?」

 煙草を一本吸い終わった先生がもう一本いいかな? という求めを目で訴えてくる。

 正直私としてはあんまり吸われるのも好きじゃないんだけど、仕方ないので目を細め顎でどうぞの合図をする。

 バツの悪そうな顔をして煙草に火をつける。

 そんな顔するなら吸わなきゃいいのに。 

「人生いいことしかないなら怖くはならないよ。それこそ悪い可能性を考えることすら出来ないからね。それに……まあこの話はするべきじゃないな」

 自分から切り出しておいてなにそれ、意味分かんない。

「幸せは主観的なもので、誰もが人の幸せなんて分からないということを頭に置いておいた方がいいってことだよ。この人達は、言葉は悪いがなんて馬鹿なんだ、こんなので幸せに生きることなんて出来るのかと見えても幸せそうに、しかも本人は至って幸せに生きているということがほとんどだろう?」

 その通りだ。

 あれは見えてないからの幸せの一番分かりやすい例だと思う。

 見えないものはないものだ、これも先生が言っていた言葉だったかな?

 西日が煙草の煙を真っ赤に染め、そのせいで窓の外は見えない。

 こんなにも野球部が練習する声は聞こえているのに、私がその姿を確認することは出来ないのだ。

「私がグラウンドの野球部の姿を観ることが出来れば幸せになれるんでしょうかね?」

 先生は目を細めるだけで私の問には答えない。

 というか西日が眩しくて目を細めてるだけじゃないかな、きっとそう。

 それでも私はこのやりとりに満足する。

「じゃあ先生、また明日」

 私はドアを開け廊下へと出る。

 先生からの別れの言葉はなく、この時間の廊下はまだ薄暗かった。

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