幸福の体系

山川一

第1話 操縦性の見極め

世の中は操縦可能なものと操縦不能なものに分けることができる。この2つは厳密には分けることはできない。しかしこれを曖昧にしていることが様々な迷い、苛立ち、怒りを呼び起こす。


自分と他人

自分の身体はおおむね操縦可能である。五指、五体とそれを統括する頭脳は自分の意思に応じて動いてくれる。しかし、他人はどうだろう。他人を動かすことはできるのだろうか?…できない。他人そのものを自分の意思と連携させて動かすことはできない。自分にできることは、自分の身体を動かすこと、声を出すこと、自分のものを差し出すこと等に限定されている。他人に自分の意思と連動してもらおうと思ったならば、自分には自分のできることしかできず、自分の意思をどうにかして伝えることができないかと苦心する他はない。これを踏まえずに他人に何かを期待すると必ず不幸な結果をもたらす。「他人が自分の意思で動く」という不可能を念じ、意思と現実とが一致しない時、私達は苛立ちと怒りに包まれる。


他者の操縦性

しかし、もしあなたの目の前に蟻がいて、これをある場所に誘導したいと思った場合、可能だろうか?実際にやってみて欲しい。色々なことができる。指や石、木の切れ端などでつついたり、囲ったり、あるいは甘いものを置いてもいいかもしれない。しかしそれでも、最終的に蟻を目的の地点にたどり着かせられるかどうかは分からない。蟻はその蟻の原理で動いている。同様に、相手が人であれば、言葉を交わしたり踊ったり、音楽・絵画、贈答等あらゆる表現手段を利用することができる。が、その人がそこに乗ってくれるかどうかはやはり相手次第なのである。全てをコントロールすることはできない。相手をよく知り、誠心誠意を尽くす他はない。


愚痴

愚痴は操縦不能なものを操縦可能と間違って思ってしまったために生じてくる。そこにはただ悲しみしか残らない。誰も何もどうすることもできない。自分が間違っているから。

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