魔術禁止!
大槻亮
第1話 警備部公安5課対魔術係
公安というのは、警察組織の中でもとくに外から見えにくい部署である。
暴力団や過激な政治団体、テロ組織などを監視し、影ながら目を光らせるのが仕事だ。他人にも家族にも、自分の仕事のことを知られてはならない。街にとけこみ、ひっそりと街を見守る。それが、公安だ。
しかし、公安5課13係は違う。通称「対魔術係」こと13係だけは、公安のセオリーに則っていない。
より正確に言うなら、その中でも
『神戸市中央区○○町××通りに、術者が発現しました』
ある日の夕方、無線で捜査員に通達があった。
『近隣の捜査員は現場に急行してください』
落ち着き払った、兵庫県警本部に待機中の
『一番近いのは?』
「多分、俺です。東灘です」
月人が応えると、湊川の短い嘆息が聞こえた。
『他には?』
『あっ、谷上です。私も近い、です』
はっとしたような、高い女声が入ってきた。新人の
「今どこにおるん?」
月人は気安い調子で尋ねた。
『えっと、フラワーロード沿い、です』
「よっしゃ、俺もその近くやわ。合流するで」
まるで飲み会の待ち合わせのようなやり取りに、またも湊川は嘆息した。
『仕方ありません。その二人で行ってください。谷上さん、くれぐれも東灘くんをお願いしますよ』
『えっと……がんばります』
ヒカルは委縮していた。自信なさげに、湊川の命令に応えた。
「なんや、人をガキみたいに。大丈夫ですって、今回も早よ終わらせますから。な、光ちゃん」
月人はフラワーロード目指して走り出した。
グレーのパーカーにジーンズにスニーカー、茶髪にイヤホン。少し背の高い普通の若者が、楽しげに走り出したようにしか見えないだろう。
月人はこれでも、数々の魔術犯罪を解決してきた刑事である。
どこが現場なのかは、遠目にも分かった。
そこは、とあるビルの工事現場の裏手で、まだ建物は下階の骨組みしかできておらず、足場が低く組まれていた。
その周りは、増援の警官たちと野次馬で黒山の人だかりだ。取り締まるべき「術者」はその足場の上に立っていた。
術者は少女だ。セーラー服を着た女子高生である。神は黒髪で、背中あたりまでのロング。青いメッシュがところどころに入っており、メイクも派手だ。
「軽音楽部かなんかかなあ……」
少女が目立っていたのは、派手な恰好で高い位置に立っていたからというだけではない。
少女の周りには、光の絵が描かれていたのだ。カメラのシャッターを開いたままペンライトを動かすとそれが線画になる、ライトペインティングのように。しかし、その光景は生で繰り広げられている。しかも少女は何も持っていない。
少女の指から色とりどりの光が発せられ、その光が空中に留まって絵になっているのである。
これはどう見ても魔術だ。
少女は花や星や鳥などを、一筆書きで夕暮れの街に描き出す。
「なかなか上手いやん」
絵が完成するたび、野次馬がどよめく。少女は満足げに、楽しそうに絵を描き続ける。
「今すぐ魔術の使用をやめなさい! きみの行為は、魔術取締法第12条に違反している」
機動隊員の男が拡声器で警告する。周りの隊員たちも拳銃を構えて威嚇した。
「えー? あたしはただお絵かきしてるだけッスよ。超楽しいッス! 急にこんなことできるようになって、すごいっしょ?」
少女の魔術は、今発現したばかりらしい。自分の魔術を試して遊んでいるだけのようだ。
「今のところ無害やな」
少女が絵の具にする光は、どうやら身の回りにある看板や、ビルの明かりから少し採取しているようだ。
現場に到着したものの、やることが見つからず思案していた。
「あ! 東灘くん!」
ヒカルが右のほうから人ごみをかきわけてやってきた。
小柄な、黒髪のショートヘアに童顔。リクルートスーツ姿の彼女は就活中の大学生にしか見えないが、26歳である。
「係長、東灘くん、来てました」
光が無線で報告する。
『ちょっと、東灘くん。現場に着いたらすぐに報告しなさい』
湊川の声は落ち着いている。普通なら怒鳴られるところだが、湊川はもう月人のこういうところに慣れているようだった。
『術者が比較的落ち着いている今がチャンスです。すぐに取り押さえなさい』
簡単に湊川は命じるが、少女は人だかりの向こう、建設現場の足場の上だ。しかも拳銃を構えた機動隊に囲まれている。おいそれと近づける状況ではない。
「せやけど、あの子べつに何もしてませんよ。絵ぇ描いてるだけですやん。まあ、足場の上は危ないけど、それもあいつらが銃なんか持っとるからでしょ。取り押さえるっちゅうほどのことでは――」
「繰り返す、今すぐ魔術の使用をやめるんだ! きみの行為は違法なんだぞ!」
また、拡声器の声が響いた。少女は不機嫌に顔をしかめる。
「違法違法って、何なんスか。あたしが何したっていうんスか! 何も壊してないし、誰も怪我させてないッスよ!」
確かに、少女のお絵かきは無害だ。なにも、機動隊が出張るような事態ではないように見える。
「ムカつくッス! おじさんにも絵、描いてやる!」
少女は指を機動隊員に向け、その服に絵を描こうと光を照射したときである。
「あっつ‼︎」
機動隊員が悲鳴をあげた。その声は拡声器で、ハウリングとともに響き渡った。
火傷でもしたのだろうか。
「何や……?」
後ろから見ている月人には、その様子がよく分からない。
「わっ……!」
少女は動揺している。自分のお絵かきで他人に怪我をさせるとは思っていなかったのだろう。
「公務執行妨害と傷害も追加された! すみやかに投降しなさい!」
機動隊員たちが一斉に銃を構え直した。
「うわわわ……やめてくださいー!!」
少女は銃に怯え、あたり構わず光線を乱射し始めた。
野次馬たちは光線に恐怖し、逃げ惑う。
「収集つかんようなってきたなあ」
「言ってる場合じゃないよ。は、早く動かないと……!」
機動隊をこれ以上刺激して、万が一発砲許可でも出たら最悪の事態が予測される。
そのとき、月人の左肩に急な熱と痛みが走った。
「あつっ。当たってもたわ。まあでも、たいしたことないな」
パーカーに小さな焦げ目がついただけだった。虫眼鏡で太陽光を集め、紙を焦がす程度の威力だ。
「で、でも、目に当たったら失明、だよ。大変」
ヒカルは無線で、湊川に状況を報告している。
些細なものでも、当りどころが悪ければ深刻な被害をもたらす。
「せやなあ。こういう時はお約束の方法でいくのがええんやろけど、どっかに……あ、せや」
月人は人だかりを抜け、走り出した。
「あ、待って! 東灘くん! 係長ー! 東灘くんが動き出しました! なんか、住宅街に走っていきます。追ってます!」
切り替えのノイズとともに、湊川の声がすぐ返ってくる。
『何をする気か分かりませんが、やめなさい』
相変わらず落ち着いている。
「分からんねやったら止めんといてください。今、いっちゃんええ方法思いついたんですから」
月人は、見通しの悪い路地の曲がり角にやってきた。
「あったあった」
そこは曲がり角の中心、月人の目の前にはオレンジ色のカーブミラーがあった。月人はその支柱を両手で掴み、首を傾げてから、
「よっこいせ」
おもむろに引っこ抜いた。
「ええええ!? 何やってんの東灘くん!」
走って追いついてきたヒカルが、息を整えながら驚愕の声をあげた。
「おお、ヒカルちゃん。足速いねんなあ。俺、結構急いで走ったんやけど」
「いやいやいや、な、なんでカーブミラー抜いちゃうの」
「折ったら作り直さなあかんから抜いてん。きれいに抜いたら、また立て直すだけでええやん?」
確かに、カーブミラーは傷つくことなくきれいに抜けている。
「そうじゃなくて、それ器物損壊! 警察官が一番やっちゃいけないことだよ
!」
月人は、カーブミラーを右肩に担いで振り返った。
「何言うとんねん。一番やったらあかんのは殺人で、その次が放火とか暴行やろ。俺らはそれを止めるために仕事してんねやで。あの子を殺人犯にせんためにも、このカーブミラーがいるんやないか」
光は絶句している。
「ああヒカルちゃん、先に行って道開けてきてぇや。これ持ってあの子のとこ行くから。俺も走るけど、どうしても遅なってまうし」
「あ、あの……なんで?」
月人には、ヒカルがもたついている意味が分からなかった。
「こんなん持ってあの人だかりの中突っ切っていったら死人が出るからに決まっとるやろ。ほら、早よ早よ」
ヒカルは諦めたような顔をして、全速力で引き返していった。
あっという間に見えなくなってしまう。パンプスであの脚力とは、彼女の脚はどうなっているのかと思う。
「みなさーん! ちょっと道、開けてくださーい! 危ないですよー! 今よりもっとー!」
いつもオドオドしているヒカルは、意外と通る声で人々に呼びかける。
それでも、まだ野次馬たちは右往左往していた。
「オラぁー! 邪魔じゃー!」
カーブミラーを槍のように構えて突進してくる月人を見て、野次馬たちはやっと脇に避けた。
「きゃあああ!」
術者の少女が、ありえない物を持って向かってくる月人に怯え、光線を撃ってきた。
「そりゃっ」
月人はカーブミラーを短く持ち、光線を鏡に当てる。
「うひぃ!」
光線は反射し、少女の頭上に抜けた。鏡が曲がっているのでまっすぐ少女には当たらない。
それでもなんとか月人の足を止めようと、少女は光線を撃つが、そのたびに跳ね返される。そしてそのうちに、月人は足場の真下まで近づいた。
斜め下からの光線に、少女が怯んでしゃがみ込んだ瞬間、月人はカーブミラーを持ち替えた。
そしてオレンジ色の支柱で、足場の細い柱を思い切り横殴りにした。
凄まじい金属音とともに数本の柱は折れ、足場が崩れた。
「わああああ!」
少女が足場の部品とともに落ちる。月人はカーブミラーを投げ捨て、部品を腕で弾き飛ばしつつ、少女を受け止めた。
「おう、怪我あらへんか?」
「えーっと……」
少女が困惑しているうちに下に降ろし、手錠をかけた。
「悪いけど、補導や。それなりに騒ぎになったしな」
そこへ、機動隊員が銃を持ったまま駆けつけてくる。
「きみ、何をやってるんだ。その子を引き渡しなさい」
パーカー姿の若い月人は、どう見ても刑事には見えない。
「今補導や言うたやろ。俺、こういう者やねんけど」
ジーンズのポケットから警察手帳を出して、機動隊員に見せる。
「公安5課13係……!? し、失礼しました」
機動隊員は姿勢を正し一礼した。
「そんなんええから、ちょー、時計見して。俺、忘れてん」
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