第28話

「君は、どこから来たの?」


 青い炎を見詰めたまま、小明(シャオミン)がぽつりと尋ねた。


「蘇州(そしゅう)よ」


 私は答えた。


「やっぱりそうか」


 相手は目に青い炎を宿したまま微笑んだ。


「君の話し方は、丸っきり蘇州娘(そしゅうむすめ)だから」


 そんなにたくさん、蘇州娘の知り合いがいるの?

 少し面食らってから、また思い直す。

 いや、偉哥の弟分なら、そのつてで女と知り合う機会も多いのだろう。

 上海は「女の街」とよく言うし。


「あなたは?」


 阿建(アジェン)ほどではないが、小明にも浙江(せっこう)訛りがあるから、恐らくはその辺りだろう。

 半ば答えを察しつつ、尋ね返した。

 口数が少ないのは、生来の気質もあるが、もしかすると、この人もお国訛りを気にしてるのかもしれない。


「俺らは杭州(こうしゅう)」


 小明はそう答えると、はにかんだ風に笑った。


「杭州……」


 少し意外にも感じたが、やっぱりなという気もした。


「俺らは皆、桃源郷(とうげんきょう)から来たんだな」


 天に天堂(てんごく)、地上に蘇杭(そこう)。

 昔から、「蘇杭」こと蘇州と杭州は、水の豊かで美しい地上の極楽の筈だった。

 今は、二つの間に上海がある。


「杭州って、行ったことないわ」


 馬鹿にした言い方に聞こえない様に私は切り出す。


「杭州の西湖(さいこ)は太湖(たいこ)より水が澄んでいて綺麗だって言うけど」


 私は青緑の水面をした太湖しか知らない。

 故郷を出る日も、月明かりを受けて静かに漣(さざなみ)を立てていたあの湖しか……。


「蘇州の太湖は西湖よりずっと大きくて魚が美味いって聞くけど、俺も確かめたことはないな」


 小明は悪戯っぽく笑うと続けた。


「こっちの六和塔(りくわとう)とそっちの北寺塔(ほくじとう)でどっちが高いのかも知らないし」


 そう言われると、私も答えに窮する。

 蘇州の太湖は、名前の通り、杭州の西湖より確実に大きい。

 でも、蘇州の北寺塔と杭州の六和塔だったら……?


「えっと、古いのは、多分こっちの北寺塔よ」


 昔、誰かがそう話していた気がする。

 北寺塔の方が六和塔より歴史があるとか何とか。

 そういう言い方をするということは、高さは六和塔に負けるってことなんだろうか。

 いや、でも、後から出来たからといって大きいとは限らないし……。


「でも、高いといったら、やっぱりここの摩天楼(まてんろう)なんだろうな」


 小明がどこか諦めた体で打ち切る。


「それも、そうね」


 六和塔と北寺塔なんて、所詮どんぐりの背比べに過ぎない。


 中が煮えてきたらしく、青い火の上の水壷がカタカタ震え出した。


「君はいくつ?」


 震える水壷に目を注いだまま、小明がまたぽつりと尋ねる。


「いくつって……」


 正直に十五歳と打ち明けるべきなのか。

 それとも、十八で通さなければいけないのか。


 見詰める先で、水壷の揺れが次第に激しくなる。


「……一つ、下よ」


 早口でそれだけ答えた。


「一つ下?」


 相手がこちらを振り向く。


「あなた、十九歳なんでしょ?」


 小明の口許が半開きになる。

 そうすると、十五、六歳よりもっと幼く見えた。


「昨日、蓉姐が言ってたの。偉哥が二十八歳で、小明と阿建は十九歳だって」


 蓉姐は何歳なんだろうと思いながら、コンロの栓を逆に回す。

 青い火がすっと嘘の様に消えたが、硫黄じみた匂いは残っている。


「だから、あなたの方が一つ上」


 少なくとも、ここでは確実にそう。


「十八か」


 小明の眼差しが、私のお下げ髪の肩辺りをさまようのを感じた。

 どうして、そんな寂しい笑い方をするんだろう。


「最初、電話で話した時から、俺らと同じくらいだとは思ったよ」


 *筆者注:莉莉の故郷である蘇州と小明、阿建の郷里である杭州とは

 古くから並び称された景勝地で、地理的にはちょうど真ん中に上海を挟んだ形で位置しています。蘇州・杭州とも歴史的には上海より進んだ文化的都市でしたが、近代に入り租界地となった上海に追い越されてしまったのです。

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