第7話

「帰るとこないんです」


 私は緑旗袍の裾を掴みたい様な気持ちで言った。


「女中してたお宅が苦しくなって、私は暇を出されたんです」


 緑旗袍は再び立ち止まる。

 しかし、振り向いた顔は陰になっていて、彫り深い眼窩の奥は読み取れない。


「それで、上海なら仕事があると思って……」


 私はそこまで話すと、芝居でなく掌を両目に当てた。


「お針でもお掃除でも何でもしますし、夜は床下にでも寝ますから、しばらくお宅に置いて下さい」


「本当に、何でもするのね?」


 撫でる様な声がした。


「はい」


 私は涙を拭って鼻を啜った。


「あたしは、厳しいわよ」


 女は挑む風に告げると、閉じた唇の両脇をきゅっと上げた。

 改めて眺めると、白い顔、茶緑の瞳に対し、血の様に紅い唇をしている。


「置いて下さるだけで感謝します」


 頭を深く下げながら、ここは跪(ひざまず)くべきかと迷った。


「じゃ、行きましょう」


 女は事も無げに言うと、また歩き出した。

 私は三歩ほど間を置いてその後に従う。


「あたしは、姓を白(バイ)、名を蓉香(ロンシャン)」


 緑旗袍は歩きながら、こちらを振り向きもせずに言い放った。


「この辺りでは、蓉蓉(ロンロン)と呼ばれてるわ」


 風に紛れて、蓮よりもう少し濃く甘やかな香りが漂ってくる。


「私は姓を姚(ヤオ)、名を莉華(リーホア)と申します」


「リーホア?」


 白蓉香と名乗った緑旗袍は怪訝な声を出したが、すぐに行く手に向かって告げた。


「じゃ、あんたは莉莉(リリ)ね」

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