赤夜
緋砂かやえ
1
赤い光が空を覆う。
赤い思いが国を覆う。
人々は白い息を吐き思いを唱え、
光はやがてその中に落ちる。
青い闇が地を覆う。
青い心が世界を覆う。
人々は黒い言葉で思いをもの語り、
闇はそして人々の中にとどまる。
「辛気臭い歌だな?何の歌だ」
酒混じりの荒い声が酒場を突っ切る。
店内に並べられるだけ机と椅子を置いた酒場は今や筋柄の良くない客で騒然としており、どれだけの者が歌に気付いていたのかは分からない。それでも店の端で問われた青年は椅子から立ち上がった。一昔前に吟遊人風として流行った、暗い色の一枚布を身に巻きつけた青年は布の折り目をただし、漆黒の長髪を手でかき上げて姿の見えない男の問いに一礼する。
「世界の果て、西の果てにあると言われる望みの国、アンザイをものがたる歌でございます、旦那様」
答える歌い手にわずかばかりの拍手が礼として向けられる。そして酒場の喧噪は今一度大きくなった。歌い手も再び手にしたキタラに手を乗せ、次の歌を紡ぐべく構える。
その弦の上に、別の男の節だった手が載せられた。「待て」
顔を上げると、目の前に若い男が座っていた。「今、アンザイ国の歌といったな」
歌い手は面妖にうなずいた。
「お前はアンザイに行ったことがあるのか?」
「生まれはアンザイ、育ちもアンザイ、流れ流れて流浪の末に今ここで旦那様の御前に」
歌うような声で答える歌い手の肩に、男の壮健な両手が乗せられた。
「おれを連れていけ」
歌い手の青い目がわずかに揺らいだ。
「頼む、おれを連れていってくれ、」男は青い目の逡巡を肯定ととらえてなおも畳みかけた。「おれはタウという、この市の長の血縁にあたるものだ、金ならいくらでも払うからアンザイへ連れていってくれ」
青い目が今度は伏せられた。「あの国の伝説をご存じの上で?あやかしの寓話を信じるというおつもりですか、タウ様」
「寓話なものか!」タウの声が大きくなった。「お前も今歌っていたではないか、赤い光が国を覆うとき人々の思いは人々の中に落ちる――願えば思いが必ず実る、望みの国、…金と血がものをいうこの国とは違う」
歌い手はタウの手をゆっくりと肩から引き離した。「私めにはタウ様はこの町がとてもよく馴染んでおられると感じますが」
「馴染むものか!」
怒鳴り声に、周りの席に座る男たちが振り返った。
まあまあ。対して青年は唱えながらキタラをつまびく。3つ4つと和音が鳴り響き、途端に周りの男たちは糸の切れた操り人形のように無関心を装って席についた。
「何だ今のは……魔法か?」
タウの問いには答えず、青年はただ目を伏せてほほ笑み、タウをそばにある椅子に座らせた。「綺羅織りなす血筋をお持ちの貴方がこのような場末に潜まれていることを良く思わない方々もおいででしょう、よろしいのですか?」
「どうせおれは厄介者だ、誰がおれのことなど気にかけているものか」タウの声はキタラのそれよりも低く響いた。「誰がおれのことを気にかけている?長もおれには金を与えておけば良いと思っている、…おれの親は小さい頃にいなくなったせいで長も血縁者もみんなおれには無関心だ、おれのことを一族だとも思っちゃいない…だから」
そこでタウは一息付いた。
「なぜ、おれはお前にこんな話をしているのだろうな」
歌い手は神妙な顔つきでタウを見上げた。歌い手の瞳が紫色に光り、タウの目をとらえる。「……その目だ、その目を見ているととても不可思議な心持ちになる、まるで心の中にお前の心が入り込んでくるような…女に言い寄られてもこんな心地になったことはないのに」
「本当に、アンザイに救いが見えるとお思いなのですか?」
青年の声は、まるでキタラのような旋律になり、高く低くタウの耳をくすぐった。
「貴方の目には、アンザイがきらめいて映る?」
「……赤い夜に、望みが叶うのならば」タウが呟く。
ならば、アンザイの真実をタウ様に見せて進ぜましょう。青年の言に誘われるように、タウは席をたった。
酒の酔いか、キタラの音色か。青年の足取りは宙に浮いたように軽い。街の外れに巡らせてある堀を歌い手の誘うままに越え、岩がむき出しになった荒野に足を進めていく。
星がきらきらと瞬く暗夜。黒々とした地面の感触にタウは思わず元いた町を振り返ろうとした。
「振り返りなさるな」
氷のような低い声が首の後ろから突き刺さる。「振り返り見れば二度とアンザイに向かうことはまかり成りません、よくお含み置きくださいませ」
先ほどまでとは打って変わった青年の声に、タウは思わず身震いした。おれを先導していたはずの青年が、いつの間に後ろに控えているのだ?
「あ、……ああ」だが前を見つめたまま答え、タウは疑問を宙に浮かせたままにした。
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