魂喰らいの魔女とモルディヴァイドの精霊術師

晴蘿

prologue 彼はまだ出逢えない


夜の帳が下りたころ。町からは遠く離れた草原に明かりがあった。

人々が野営をしているのだ。

武装した彼等はただの旅人ではない。その数、二百。

ちょっとした傭兵集団のようだ。実際は少々異なり、「夜明けの使者団」などと呼ばれる者たちだった。

武装した者たちから少し離れた場所にはどこかの村や町から逃げてきた様な普通の人々もいる。ざっと五十人ほどだろうか。

その中の中心地に、戦場には似合わない一人の少女がいた――。


「おい、オリヴィア! 怪我したって聞いたぞ! 大丈夫か!?」

慌てた様子で走ってきた緋色の髪の少年は、驚く少女に声をかけた。

少女の手当ての手伝いをしていた女の子が驚いて包帯を落すと逃げて行ってしまう。

思わず立ち止った少年はすぐに思い出す。

「あ……すまん」

あの女の子は、人見知り。慣れない人と会う事を極端に恐がる。

「大丈夫だよ」

「でも、あの子……」

女の子を驚かしてしまった。ちょっとした罪悪感がある。

少年は年下の小さい子どもが苦手だった。どうしてもすぐ怪我をしてしまいそうだし泣きそうで恐いのだ。

あの女の子とは何度も会ったことがある。が、そのたびに彼女は逃げだすので少年はけっこう傷ついていたりした。

「ヒスイちゃん、まだ慣れてなくって誰と会ってもあんな感じなの」

女の子――ヒスイはつい最近、魔術師の母親と共にどこかの研究施設から逃げてきて保護された子どもだった。だから、しかたないと少女はため息をつく。

本当は他の人達とも仲良くして欲しいが、まだ難しいのだろう。

「そっか……って、で、怪我のほうは?!」

巻きかけの包帯を拾うと、少女はいつものように微笑んだ。

「ちょっとかすっただけだから、すぐ直るよ」

オリヴィア・ヴェルド。この集団の中で、もっとも重要な少女だった。

周囲の天幕には特に信頼のおける者や腕利きの者しかいない。

そして、少年はそのうちの一人だった。

「心配してくれて、ありがとう。ルー」

微笑む姿は、未だ少女の域をでない年の娘だと言うのに、どこか人々を安心させる力があった。

そんな笑みに、思わず少年は下を向く。赤くなった顔を見せたくなかったのだ。

ルー・セルカ。少女の幼馴染である剣士見習いであり、彼女の良き理解者であり、なによりオリヴィアに恋する少年だった。

彼は隠しているつもりだろうが、他の見守る大人達はみんな彼が少女に恋をしていることを知っていた。そして、少女もまた幼馴染の少年を好いていることを知っていた。

少女との身分の差は彼ならばそう困ることはないだろうと、みな二人の知らない所で祝福し、いつ、どちらが告白するのかとほほえましく見ていた。

知らぬは本人達ばかり。

今だって、近くで薪を運んでいた青年や数人集まって一息ついていた者たちが二人の様子を影から見ている。

まったく、あの少年はまだ告白する勇気が無いのか。影でこそこそと誰かが話すが、その声は二人に届く事はなかった。そもそも、少年に思いを寄せている少女の為にも、はやく区切りをつけられるように告白しろよ、と呟いている人もいたりするのだが、彼等は気付かない。

「あんまし、無理すんなよ」

「わかってる。ラドにも怒られちゃった」

オリヴィアのお目付け役で護衛でもあるラドクリファは怒ると恐い。思い出したのか、オリヴィアは顔をこわばらせた。

その恐さを、ラドクリファの弟子として知っているルーもまた、顔をしかめる。

「……あんな時は、後ろに下がっていろよ」

少女が怪我をしたのは、今日の午後。魔獣の襲撃を受けた時のことだ。

後ろで見守っていればいいものを、危険も顧みずにオリヴィアは魔獣討伐をするルーたちのすぐそばに来て援護をしたのだ。

オリヴィアの回復術も、魔術も、どれもこの集団の中ではトップクラスだ。しかし。少女はこのなかでもっとも重要で、居なくてはならない存在なのだ。

あまり危険な場所に出て来て欲しくはないと、先ほどもオリヴィアは怒られた所だ。

しかし、ルーの心配はそれよりもオリヴィアが怪我をしたり無理をしたりしないかだ。

それに、女の子が戦場に立つなんて自分たちでは力不足だと言われているようで落ち込みもする。

「それは、ダメだよ。だって……」

オリヴィアはごめんねとあやまりながらも拒否する。

ルーもそう言われることは解っていた。けれど。

「だって、私は『聖女』なんだもの」


そう、オリヴィアは、物心つく前に聖女として祭り上げられていた。

そんな彼女の幼馴染だったルーは、その辛さを知っている。

彼女の重荷を、せめて少しでもやわらげてあげたい。

何の足しにもならないかもしれないが、自らの力を、身分を、彼女の為に使いたい。

聖女なんて祭り上げられて、国の為に民の為に翻弄する彼女を支えたかった。

ただただ、ルーは願う。

そして、いつか……。





「アグニさん。本当によろしいのですか?」

暗い部屋の中、白衣の男を追いながら青年が問う。

痩せた白衣の男は、白髪交じりの頭を掻きながら笑った。

「どうせ、ここにあるのは使われない。それなら、私が有効に活用させてもらってもいいだろう? ああ、これも丁度いい。運べ」

近くに控えていた無表情の男にそう言って、白衣の男はさらに先に進んだ。

檻を物色し、時折運ぶように命令する。

その周囲には、先ほどの無表情の男とそっくりな男が何人もいた。

白衣の男に命令され、ソレを運んでいく。

めぼしいモノを全て物色すると、男は部屋を出る。もちろん、青年も一緒だ。

彼はどうにかして彼を止めたいらしいが、上司になにを言っても無駄だった。

彼が部屋を出ると、誰もいない廊下が伸びている。

すぐ横には地下に降りる階段。

そこを白衣の男はためらいもなく降りていく。

「待って下さい! こっちは……ここはカルサイト様の私物ですよ!」

「どうせ、使ってもいないのだろう? おっと、あったあった……」

地下に降りると、そこは牢獄だった。

道なりに牢屋が作られ、中の者たちを見る事が出来る。

白衣の男は物色し、めぼしいモノに見当をつけていく。

そして――最奥に行きついた。

暗闇でもわかる。目が覚めるような空色の蒼玉が二つ。こちらを見ていた。

ソレは、普通の少年だった。

檻の中でもさらに手錠をかけられ、足首にも鎖が付けられている。

他の檻の者には鎖はついているものの、手錠はされていなかった。よく見れば、彼の手錠には封じの印が刻まれている。おそらく魔術師なのだ。

「おい、立て!」

「……」

焦点の合わない目で男たちのいる方を見ると、彼はよろめきながら立ちあがった。

立ち上がると、彼の様子が良く解る。細い体は栄養が足りてないのだろう、酷く痩せている。そして、少々渋い黄緑の髪はろくに手入れをされず、伸び放題になっていた。

物として売られ、ここに飼い殺しされていた少年は心をどこかに置き忘れたかのように男たちを見た。

そう、白衣の男たちが運んでいたのは人間。檻の中に閉じ込められた彼等を、物の様にあつかっていたのだ。

少年の荒んだ表情は暗く、やってきた客人を見ても、命令を受けても、ピクリともしない。

「まったく、使わないなんてもったいないことを……」

いつの間にか、上の部屋で檻を運んでいた男たちが下りて来ていた。

牢獄の中から数人、白衣の男に言われた者だけを連れて上がっていく。

そして、少年の番になった。

抵抗もせず、いや抵抗も出来ないほど弱っている彼は、無言で従った。

その目は諦めていた。自分達に未来などないのだと。

そしてなにより……もう、いらない自分が生きていても仕方ないと。

彼は捨てられたのだ。

捨てられた彼にはもう生きる価値なんてなく、生きる理由もなかった。

だから、彼は抗わない。

抗う理由もない。

死にたい。



彼は、いや、彼等は……彼の願い通り数日のうちに殺された。




それは、同時期のことだった。

ルーが必死に修業をしていた頃、オリヴィアが人々の為に祈っている頃、彼等は殺された。

この時代では、ありふれたことだった。

そもそもルー達が向かっているのは戦場だ。

オリヴィアとルーの祖国、ディスヴァンドの同盟国トール。そこに攻め込もうとしている隣国カラトリス。

ルー達は魔獣の討伐を謳いながら影でトールを援助するために戦場へいく。

戦場では、連日のようにヒトが死ぬだろう。

彼等は戦場で死んだわけではないが、魔獣に襲われて死んだ者や、寿命で死んだ者が一日のうちにどれだけいるだろうか。

自然の摂理だ。

誰が死のうと生きようと、なにも世界に影響する事はない。

ただ、毎日を繰り返すだけだ。

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