第3話「バニッシャー」④
「っ!?」
「バンクラプトだよ」
フィルナは落ち着き払った声で言いながら立ち上がり、穏やかな視線をバンに向けた。
だが、その瞳がもつ光は――彼の本質を見抜いて貫くように、鋭利だった。
「見てみるかい。世の人間が知らない所にある、戦場をさ」
見ていいのだろうか。
反射的にそう思ってしまい、バンはすぐに応えることはできなかった。
そんな彼を見て、フィルナは心配するなと言うように微笑を浮かべてみせた。
「君がどんなところに身を置くかもしれないか、試しに見てみないとわからないだろう?」
「……あなたがそう言うなら」
「そうと決まれば急ごう。前も行った第13保管所だ、ちょっと走るよ」
急に猛ダッシュで駆けだすフィルナ。バンは迷いを持つ余裕もなく、見失わぬようにその背を追った。
慣れない通路に、自分とフィルナ以外の足音や声が響く。それだけの重大なことが起きているのだと、その身すべてに伝わってくる。
すれ違いざまにぶつからないように駆け抜ければ、一足先に到着していたフィルナに手招きされながらも、バンは第13保管所へとたどり着いた。
軽く乱れた呼吸を整えながら顔を上げれば、巨大なモニターが展開されているのが嫌でも視界に入った。
上から撮影している航空映像のようだ。夕闇に包まれた森林やそれに面した海岸が映っている。
同時に、海中から陸へぞろぞろと上陸する黒い影がぽつぽつと見え始める。
聞くまでもなく、バンクラプトだろう。イグアナのようなものやダンゴムシのようなもの、形に差異はあれど、そんなものは大したことではない。
ただ、バンクラプトであることが問題なのだ。
「すまない、遅れてしまった。状況は?」
「太平洋のダミーアイランドに、シグナル
フィルナの問いに、白衣に身を包む女性が淡々と答えた。
その服装からして研究員にしか見えないが、オペレーターも兼ねているらしい。
バンはどちらが本業なのか思わず聞きたくなってしまうが、空気を読んで言葉を飲み込んだ。
「とりあえず様子見だね」
「……何機くらいですか?」
「小隊と言えど、まあ4機くらいだ。だからまあ、ざっと16機。支援部隊も合わせればおよそ32機になる」
「それで、大丈夫なんですか」
「君達はあまり気にしてないかもしれないけど、あれでバニッシャーはかなり高性能な高級品だ。おまけに操縦するのは経験豊富な手練れ達。これで負けたらお手上げだよ。それでも正規軍到着までの時間稼ぎになるからいいのだけど」
彼女は負けると言わないまでも、勝てるとも言わないような顔をしていた。
実際に言ったわけではないから不明であるものの、フィルナは何か不安を感じている――と、彼の直感が囁いていた。
「そういえば、あの……ナギさんは?」
「通常のバニッシャーで出撃してるはずだ。彼はまだ正式にバルバニューバのパイロットになったわけではないしね」
はっとバルバニューバの入っている槽を探せば、以前と同じように保管されているようだった。
だが今はいくらか修理が進んでいるらしい。それでも継ぎ接ぎだらけの応急処置と言った程度のようだが。
「そんなにこの戦力に不安にならなくてもいいよ。これまでだってこうやってきたんだ。まあ、綱渡りなのは否めないけれど」
「いえ、そうじゃなくて……」
「バルバニューバを出せばいいんじゃないかって?」
「……はい」
「出せなくはないけど、下手に出して戦場を混乱させるのは避けたいね」
フィルナの言うことも一理あるだろう。というよりも、現状はそれが正しい。
バンクラプトに対抗できるからと言って、うまく扱えるかも分からないバルバニューバを出撃させ、何らかのトラブルで戦場の邪魔になってしまっては元も子もないからだ。
それに、見たところまだ修理も終わっていない。バンの考えは浅はかだ。
彼が歯噛みをしていると、フィルナがモニターを操作して別の映像を映す。
映像の動きからして、誰かのバニッシャーの目に映るものだろう。
「とりあえず見てごらんよ。世界の片隅で起きていることをさ。むろん、強制はしない」
「……見ます。見せてください」
呟くように答え、バンは眉間に皺を寄せながらモニターに集中する。
不意に、瞬間的な光が海岸近くで放たれた。近くの木々がざわめき、うっすらと煙が立ち上る。
「トリガー、スタート!」
おそらく戦闘開始を示している言葉を、オペレーターが強く言い放つ。
それを合図にしたかのように、戦場では次々に火薬の炸裂する光がきらめいた。
巨大な盾を備えたバニッシャーの陰に隠れるように立つバニッシャーからの砲撃だ。
だが、当然のように外殻に防がれ効果はない。
曰く経験豊富な手練れ達が、まさかそんな愚行に走るとは思えない。
「なんですか、あれ」
「強い酸を仕込んだ特殊弾丸だよ。案外溶けるんだ」
「……でも」
「ああ。彼らは――彼らの外殻はそれを学習し、免疫をつける」
上陸するバンクラプトに向けて断続的に発射される砲弾。数十に渡るそれらに襲われ、バンクラプトは確かに足を止める。
だが、煙の中から再び姿を現したバンクラプトは――進行を、止めていなかった。
だが、何かの層に阻まれるように、途中からまったく溶けてはいなかった。
「もう、ほとんど適応しているんだ」
『
「了解」
フィルナの表情は変わらない。
「――パイルバンカーはその手軽さはさることながら、一点に集中して物体を貫通することに長けている。上は嫌うけど、あれが一番手っ取り早いやり方さ」
「……駄目だと言いたいんですね」
「どうだろう」
聞いてもいないことをわざわざ伝えて、違和を感じない方がおかしい。
何かを――敗北の確信とでもいうものを、誤魔化しているとしか思えない。
否、それはバンの方か。
底知れぬ不安が、彼を混乱させているのだろう。
「負けると思うかい?」
「勝てないと思います」
炸薬に火がつく音が、うるさいほどに聞こえてくる。
その一つ一つに応えるように、金属同士がぶつかる音がこだまする。
いずれも、貫く音はしていない。
『ッ、杭が歪んだ! 時間稼ぎが精々……軍の出動はまだか!』
「オペレータールームのフィルナより先行部隊へ。後行部隊と協力して、もうしばらく持ちこたえてくれ。すまない」
『……
『ぐあぁぁぁぁああッ!!』
苦悶を交えた声の直後、断末魔の叫びが割り込んでくる。バンクラプトに破壊されたのだ。
死んだ、と本能に囁かれるが、すぐに理性が振り払う。
バニッシャーが破壊されただけだ。無線兵器である以上、操縦者の命とはイコールで結ばれることはない。
――だが。
「聞いてて気分のいいものじゃないだろう。私もだ」
「……パラドクス・ペインですよね。仕方ないと思います」
しかしバニッシャーと痛覚をリンクさせれば、耐えがたい激痛を味わうこととなる。
その一体感を防ぐために、微弱な電撃によって適度な一体化を促す矛盾の痛み。それが先ほどの叫びの原因だ。
死んでいないのに、死んだ気分になる。
ゲームではなく現実での戦いともなれば、叫びたくもなるだろう。
バンは冷静を装っていたが、鼓動は確かに早くなっていた。
そして、悲痛な叫びは連鎖するように響く。
一つ、また一つ。
命無き鋼鉄が、息絶える。
「現在4機が戦闘不能。
「バン君、落ち着くんだ。誰も死んじゃいない」
「……ちがう……ちがいますよ……」
胸を握り締めるかのように手に力を込め、バンは乱れる呼吸を抑えようとする。
だが、一向に整う気配はない。
「あの人たちは死んでるんだ……さっき、あそこで死んだんですよ!」
「バン君……?」
「バカなこと言ってるのは分かってますよ! それなら俺はゲームで何人も殺した! だけど違うんです、これは現実だ! みんな平等に一回だけ死ぬんですよ! バニッシャーに乗っていれば死なないって、死なないなら何したっていいわけじゃない! 何をさせてもいいってわけじゃない! 何でもできるわけでもない! 体が傷つかなくたって、心は傷ついているはずだ! 死ぬのは怖いはずだ! ……なのに、あの人たちは戦っていて……」
今にも泣きそうに、段々と語勢が萎えていく。
フィルナは驚いたように目を丸くし、それからすぐに微笑んで、その手をバンの頭に優しく乗せた。
「確かに、彼らも死を恐れているだろう。でも、それでもね。彼らはバンクラプトから守りたいものがあるんだ。死ぬ恐怖を乗り越えてまで。それはナギ君だって同じはずだ。――バン君、一つ知っておいて欲しい。私達は彼らの心の傷を無視しているわけじゃない。無傷に越したことはないくらい分かってる。けどね、彼らは言うんだ。一度しか死ねなかったら、死んだときに絶対に後悔すると」
フィルナはバンの不安定な感情をたしなめる様に、ゆっくりと、優しく撫でる。
「バニッシャーは、チャンスの象徴。一見リトライに見えるが、コンティニューができるチャンスだ。彼らは命令だから、義務だから何度も出撃するんじゃない。このままじゃ終われないから、その魂を燃やして何度でも立ち上がるんだ」
「……むちゃくちゃだ」
「そうかもしれない。でもね、バン君」
撫でるをやめ、彼女の手はバンの頬に触れた。
熱くもなく、冷たくもなく。ただ、芯に熱いものが通っているのがわかった。
「時にはがむしゃらに突っ込まなければ、掴めないものもある。君にも心当たりはないかい。足踏みをして、一歩が踏み出せなかったこと」
「………」
真っ先に思いついたのは、ヒメのこと。
そして何より――人の目を気にして、誰かの不利益を見て見ぬふりをしてしまうこと。
だが後者に関しては、バルバニューバに乗ったあの日、彼はそんなことはしなかった。
夢中で駆けた。
人の命を助けた。
脅威を退けた。
それは自分の中にあった、なけなしの正義感かも知れない。
あるいは、本当は誰かに称賛してもらいたかったのかもしれない。
人はそれを偽善というのかもしれない。
それでも。
「なけなしでも正義感は正義感。偽善だろうが見かけは善だ。後ろめたさを感じる必要なんかない」
――ここにいる全員が、それを絶対に保証する。
その言葉は、とても重く、バンの心にのしかかった。
「さあ、我儘でも無茶でも好きなように言ってみたまえ! 君が本当にしたいことを!」
不意を打つフィルナの大声は、バンの中にあった何かを断ち切った。
――俺が今やりたいことは。
一度でも多く救うこと。
――俺に今できることは。
バニッシャーに乗って戦うこと。
――躊躇うな。
否、乗るべきはただのバニッシャーではないはずだ。
――踏み出せ!!
「俺を……バルバニューバで戦わせてくださいッ!!」
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