第3話「バニッシャー」①
「……どうしろってんだ」
屋上で大の字に寝転びながら、バンは疎ましげにつぶやいた。
結局、昨晩を過ごしたところで考えがまとまったわけでもなく。
「絶対に俺、関係ねえって……」
頭痛がひどいのは、夏の蒸し暑さにやられたわけではないだろう。
誰にも話せない悩みを抱えるというのは、ストレスしか生まないものだ。
バンはそれを、自身の過去からよく知っていた。
――あの時はミカがいてくれたから良かったが。
かつては相談相手だった幼馴染も、今回は頼ることはできない。
関係者は軽いノリだったものの、知ってしまったことの重要さくらいはバンにもわかる。
とは言えど、他にこのことを把握している友人がいるはずもなく。
結局は自力のみで考え、答えを出さなくてはならないのである。
こうして放課後の時間を長く費やしていたバンだが、埒が明かないと自分に言い聞かせようやく校舎を出た。
グラウンドでは陸上部やサッカー部、野球部などがけたたましいほどの声を織り交ぜながら練習に打ち込んでいる。
――俺はああは見えないんだろうな。
しばし立ち止まって喧騒に包まれながら、自嘲するように鼻を鳴らした。
砂埃を上げながら汗を散らすその姿と、現実かどうかも分からない状況で必死に戦うその姿は。
言われるまでもなく違うことは分かっていても、比較せずにはいられなかった。
この地球を怪物が侵略しようとしているかもしれないのに。
その一部が人目にさらされたというのに。
関係ない顔をして自分の現実を全うしようとする人々。
――俺も、ああなりたかったのかもしれない。
まさか。
己の独白を強引にぼかして、バンは学校の門を抜ける。
それからいつものように、バンクラプトバスターズをプレイすべく葉月玩具店へと向かうのだった。
【 バン さん。やりましたね。次もこの調子で勝ちましょう!】
クールな女性オペレーターの珍しいガッツポーズも、この日もやはり気にならなかった。
飽きてしまったといえばそれまでだが、それが原因でないことは明白だ。
ランクに影響のないフリーバトルで無難な勝利を収めたものの、所詮は現実逃避でしかないことを否応なしに本能が告げてきては、喜ぶものも喜べない。
筐体の拘束を解かれ、カプセルの蓋を開けて外の空気を大きく吸い込む。
心を落ち着かせるために息を大きく吸い込んだところで、幼馴染がわずかに開けた扉の隙間から覗き込んでいるのが見えた。
「何してるんだ、そこで」
言うと、幼馴染――葉月美香はばつが悪そうにしながら筐体の設置された部屋に入る。
「……終わったかなって。もうそろそろ6時だよ」
「帰れって?」
「ううん、やりたいならやってていいよ。泊まり込みでやってたこともあったもんね」
過去を懐かしむような口調は、どこか寂しげだ。
彼女を心配させているのは今に始まったことではないが、今日は特に――といった気がする。
知らないうちに、今直面している問題へのストレスが表に出ていたのかもしれない。
「ねえ、また何か悩んでる? それって私に話せないこと?」
「……まあ」
図星を指され、曖昧な返事で誤魔化す。
やはり、彼女には感づかれてしまっていたらしい。
「バンって本当にきつくなるまで溜め込むもんね。あの時だってそうだった」
あの時という言葉が指すのは、バン一つしか心当たりがない。
人を助けた時、周囲からの称賛に対して怒鳴り散らしたことを発端とする、偽善者扱いをされたことだろう。
町中の人間が彼を忌み嫌うほど暇ではない。だが彼の通う学校はその例に当てはまらず――多くの人間が、彼の心情を無視した罵倒を浴びせ続けた。
「正しいことしてるのに、バカにされてて。……相談に乗ってあげたかったけど、自分に飛び火するのが怖くて、私は話を聞いてあげられなかった――ちがう、聞こうとしなかったんだ」
「そんなことは気にしてないって、あの時言ったろ。それに、俺から話しかけた時はちゃんと聞いてくれた」
「もう限界だったのに、私しか頼れなかったから……だよね?」
「……お前、今日は何かおかしいぞ」
未だ身近にいる幼馴染が心配だという気持ちは、バンにも理解できる。
だが彼女の口調は、本当に言いたいことを押し殺しているかのように思えた。
「俺にだって人に言えない悩みの一つくらいできる」
「……私じゃ聞いてあげられない?」
「お前が力不足だとか、そういうわけじゃない。自分で考えて答えを出さなきゃいけないんだ」
「……うん。ごめん、なんか。めんどくさいこと言っちゃったね、私」
一方的に言い残して、ミカは逃げるように部屋を出た。
なんだったんだと言いかけて、その言葉は喉を通らなかった。
バンには詳しい事情は分からないが、彼女を心配させていることは確かなようだ。
これまでの付き合いで、ミカがあそこまで不安定な感情を見せるのは珍しいことだった。
もしかしたら一度もなかったかもしれない。
そこまで露骨なアピールをした覚えは勿論ない。
不思議と冷静さを取り戻していたバンは、なんとなく窓の外に広がる青空を見上げて溜息を吐いた。
「……ん?」
そこへ、重い空気を払うように携帯が着信に震えた。
メールを受信したらしく、開いてみれば、フィルナ・ナイトレイを名乗る人物からのものだった。
なぜ彼女がメールアドレスを知っていたのかは疑問だったが、バンクラプトバスターズの会員情報から知ったと考えれば不思議ではない。
加えて彼女の名を騙る別人の可能性は否定できなかったが、意図が分からない上、文面からして信じるほかはなかった。
要約すれば、「いつでも来ていい」「呼べば迎えに行く」とのこと。
随分と余裕がある組織なんだなと皮肉を心中で呟きながら、自身がそれだけの待遇を与えるに値するという解釈もでき、胃が重くなる。
組織名義でなく、彼女個人の私信としてこのメールを送ってきているあたり、その意図がぼんやりとうかがえる。
自分にそれだけの価値があるとは、謙虚にならずとも思えない。
今一度重い溜息を吐いて、バンは鞄を背負ってバンクラプトバスターズの筐体が置かれた部屋を出る。
一瞬、外でミカが待ち構えているかと思ったが、むろんそんなことはなく。
レジで椅子に座り、来る気配のない客を待ちながら虚空を眺めていた。
自分のせいでああなったわけではない、とは言い切れずいたたまれない気持ちになるが、彼女も些か聞きわけがない。
しかしそれを言ったところで混乱を招いてしまうかもしれない。
バンはあえて彼女に何も言わず、店を出た。
蒸し暑さに撫でられる感覚を厭わしく思いながら、今一度メールの内容を確認する。
いつでも来ていい。それは今からでもいいのだろうか?
半ば試す気持ちを混ぜながら、その意志を文に換えて返信する。
返事が来るまで散歩しよう、と思って一歩踏み出した途端、携帯が再び着信に震えた。
まさかと思いながら見てみれば、今から迎えに行くという旨が書かれたメールが届いていた。
「………」
寧ろ深く考える方が失礼に当たる気がしてくる。
フィルナは本気だ。冗談でここまでするとは、さすがに思えない。
これまで目を逸らすようにして気にしていなかったが、認めざるを得ない。
未だに組織の全貌は不明。
バンクラプトが本当にいるのかも不明。
実は何者かが仕掛けた壮大なドッキリ――にしては、タチが悪い。
どうあっても自分を価値のない人間にしたいバンの許に先日と同じ高級車がやってきたのは、それから数分も経たない内だった。
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