第10話 シオン・パトリック博士
『やあ、ソフィア……』
懐かしい博士の声。
そのデータは音声だけだった。一見カラのフォルダの下の下にあった。
『このデータは見つけられた? 大丈夫だよね、 だってこれは君からのメッセージへの返信なんだから』
何から話そうかな……声がちいさくなる。パトリック博士は空咳をすると語りだした。
『生きているうちに君に逢いたくて意地でも死ぬものかって頑張ってきたけど、さすがにもう無理みたいだ。心残りはソラのことだけど、たぶん君のもとへ誰かが届けてくれるよね。ソラは外へは置いてはおけないだろうから』
研究室にいるのは三博士とわたしと呼び出して同席させたカナタ。スピーカーから流れる声にみなで耳を傾ける。
『ぼくはすっかりお爺さんになったよ。でも君はきっと若いころの姿のままだよね。髪を長くして背筋を伸ばして、靴音も高く歩いているんだろうな。相変わらず自分に厳しくしているんだろう?』
ソフィア博士は抗エイジングを止めて、わずか半年で命を終えた。
……生前の見る影もなく。
『結局、君をそこから救い出せなかった。すまない。ぼくは九条博士のように神の衣に口づけられなかったよ』
くやしいなあ……また声が小さくなった。かすかに涙をふくんだ声。
『あんまり腹がたったから、ぼくは献体することにしたんだ。ぼくがなにもせず長寿の遺伝子のみで長生きしたと思っている連中に、無認可で違法のドラッグ成分ばかりの結果を見せつけてやれたら少しは溜飲も下がるってものさ、そうだろ?』
なんか想像してた人と違う、と黒岩博士は小さく笑った。
『君を助け出したかった。でも何もできなかった。やっぱりあのとき君をさらって行けばよかった。そうすれば、たった三日で君を未亡人にすることも、そこに閉じ込められることもなかったはずだから』
パトリック博士の言葉にみな身を固くした。
『それでも九条博士の片腕として働く君をぼくは尊敬していた。君はロボットたちを我が子みたいに大切にしてたね』
カナタのほかに九人のきょうだい。今はカナタしかいない。
『君もぼくも九条博士を止められなかった』
ソフィア博士は言った。
九条さえ、いなければ……と。
『ロボットたちは封印されたって聞いた。でもカナタはそこにいるんじゃない? ソフィアはいつも言っていたね。カナタは我慢強い。周囲を気づかって内側に感情を溜めてしまう。誰よりも人に近い……って』
カナタの肩がぴくりとふるえた。
『カナタが悲しんだり傷つくたびに、九条博士がしたこと、自分がしたことが正しいことなのか、いつも悩んでた。誰にも見られないように一人で……優しい人だと思った。いまもそう?』
カナタが唇をかんだ。
『ねぇ、ソフィア。弱さをさらすことは恥ずかしいことじゃないよ。君とカナタは似ている。そんなふうに我慢強いところがね』
ああ、たぶんパトリック博士はいま優しいまなざしでいる。あの青い瞳を細めている。
『ぼくはもうすぐ死ぬだろう。向こう側で君を待つよ。そう思えば死ぬこともまんざら怖くないから不思議だね。あ、仏教では転生って概念があるんだよね。生まれ変わったら、こんどこそ君と一緒になりたいな。それで九条博士は子どもになってぼくらのところに来てもらおう。きっちりしつけてヤケ起こさないように育てよう。そうだ、いっそみんなで家族になる? こころを持ったロボットなら、きっと魂もあるよ。全員こんどはぼくたちの子どもに産まれてもらおうよ。笑っちゃうほどの大家族! 上等、毎日笑ってにぎやかに暮らそう』
根岸博士が目元をそっとぬぐった。
『ソフィア、君は自分のしてきたことは大勢の人を不幸にしただけだ、って言ったけどそれは違う。君が作ってくれたソラはぼくを幸せにしてくれたよ。離れていてもいつも君をそばに感じていた。ソラをありがとう。またね、ソフィア……このメッセージが君に届くといいな。……愛している、ソフィア』
メッセージは再生を終えた。
涙腺がついているなら泣くのにな……。でも体があたたかい。おおきな毛布でくるまれているみたい。博士に抱っこされているみたい。
「データは閲覧された形跡があります。ソフィア博士はご覧になったはず」
根岸博士の静かな声にみな聞き入る。
「君への返信って、もしかしてソフィア博士はソラちゃんがここを出るときに隠しデータか何かを入れたってこと? 往復何年? 百年くらい?」
黒岩博士が頭を抱えて天井を見上げた。
「ソフィア博士のご遺体は確かパトリック博士のいた大学へ運ばれたんですよね」
根岸博士が小川博士に訊ねた。
「そう」
腕組みして小川博士が答えた。
「もしかして、最終的にパトリック博士のそば?」
黒岩博士が、首をかしげる。
「なんだよ、パトリック博士の完勝ってこと? 現世でも来世でも?」
小川博士はぼやきながらも、どこか清々しく笑ってから、よかったと小さな声で言った。カナタはぼんやりしている。
「ソラ……」
「なに?」
「ぼくの記録、ソフィア……パトリック……お父さま……ぼくは彼らに大切にされていたんだ」
カナタはつぶやくように言った。
「記録していたけど、理解していなかった。でも、いまわかった。ぼくは愛されていたんだ」
突然カナタは自身を抱きしめてうずくまった。
「カナタ?」
「自分が……自分がいちばん辛いんだって思ってた」
でも違ってたんだ……違ってたんだ。カナタは何度も繰り返した。
「どうして分からなかったんだろう……もうソフィアに、『ごめんなさい』も『ありがとう』も言えないじゃないか!」
カナタは泣いた。泣きながら自分を責めた。
「カナタ……」
小川博士はカナタの髪を優しくなでた。
「またそんなふうに泣いたり笑ったりして欲しいって言ってた。ソフィア博士が。子どもの頃みたいに……ね」
その日、カナタは小川博士にしがみついて長いあいだ泣いた。
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