第8話 展望室

 展望室につながるエレベーターの前で小川博士に会った。

「カナタを探してる?」

 くたびれた白衣を着て無精髭を伸ばした博士がわたしにたずねた。

「修理がすんだはずなのに、三日も部屋に戻らないの」

「確かに修理は終わったけど。施設のあちこちをぶらついているみたいだね。マーカーも意図的にオフにしてる」

 うん、とわたしはうなずいた。

「でもたぶん展望室かなって……」

「考えることは同じだね。あ、拒否された。もう展望室にいるの確定」

 ボタンをおした博士が苦笑した。

 エレベーターが反応しなかったのはカナタが操作したかららしい。

「ここに来たばかりのころを思いだすよ。しょっちゅうエレベーターを止められたもんだ。ドーム内の天気を勝手に変えたりしてね」

 博士は胸ポケットから銀色の鍵を取り出すと、コンソールを開けて鍵を挿した。

「無理やりにでも会いに行こう」

 博士はわたしを抱上げると、降りてきたエレベーターに乗った。

「前のときも、こうだったの?」

「いや。でも今回は今までで最大の襲撃だったから」

 五十鈴のライブカメラが映したのは、新雪を踏みあらした無数の足跡、赤く染まった雪……音声を切ってもなお、見ているものたちを震撼させるには充分だった。

「実をいうとね、今回の件はある程度予測済みだったんだ」

「似たようなこと、カナタも言ってたわ」

 冷たい顔でソフィア博士に。

「新しい職員はいわば異分子だ。きいたよね。核物質があること。だから場所柄テロを警戒する。なによりスズキはここを志願するには若すぎた」

「若すぎた?」

「ここに入る条件は市民IDの抹消。一度入ったらもう外では暮らせない」

 それって死亡した扱いになるってことじゃないの?

「ぼくもここに来たのが四十代前半だったから、かなり疑われたよ」

「ねえ、IDが消されたらもうドームの外では死亡したってことになるんじゃないの? そんなことが許されるの?」

 わたしの疑問に答えるまえに、エレベーターは展望室に到着した。


 開いた扉の向こう、カナタはいつものように窓辺にうずくまって樹海を見ていた。ふだんとは違って、黒いハイネックのセーターと綿パンツのラフな格好だ。

「カナタ」

 カナタはわたしのほうを見ようとしなかった。

「カナタ、体を見せて」

 小川博士は構わずカナタのそばまで行くと、緑の瞳をのぞいた。一度は視線を合わせたけどカナタはふいっと横を向いた。

 小川博士は無遠慮にカナタの髪をかきあげ生え際を確認した。

「仕上がりが雑だな。首の亀裂もきれいになっていない」

 カナタは眉間にしわを寄せて小川博士を下から睨んだ。

「みんな卑怯だ。最終的に嫌な仕事はぼくにやらせる」

 カナタは小川博士の手を振り払い、顔をのせた膝を抱えた。

「だったら、普段から待機状態にさせといて必要なときだけ動かせばいいじゃないか」

 わたしと博士は顔を見合わせた。

 カナタが怒っている?

 今までにないくらい、感情をあらわにしている。

「結局、ぼくは人殺しだ。もう助けた命より奪った命のほうが多い」

 悔しさと悲しみが入り交じったような声。

「施設を代表して言うよ、カナタ、すまない。それからありがとう。ぼくらを守ってくれて」

 小川博士は深々とカナタに頭を下げた。

「きみは、ほぼヒトだ」

「そうだね、同族さえ殺す。完璧にヒトだよ」

 カナタ……小川博士は顔を歪めた。

「決して忘れることのないきみに、ヒト同様の感情を持たせてしまったことをソ

フィア博士は後悔している」

 カナタは眉をぎゅっと寄せたまま顔をあげた。

「いつもでも忘れられないのに、人からすれば永遠と思えるような時間の檻に閉じ込めてしまうのは、罪深いことだと分かっているんだ」

 わたしたちは忘れない。百年前も昨日のことのように記憶を再生させる。そのときの感情とともに。

「そして、すべての責務をきみに押しつけて自殺した九条博士を恨んでいる」

「自殺だったの……」

 九条博士の死因が自殺だなんて。

「ハルカを暴走させたその日にね。博士も勝手だ」

 相変わらずわたしを見ずにカナタは吐き捨てるように言った。

「もしかして……ソラちゃんに嫌われたって思っている?」

 カナタは弾かれたように顔をあげ、小川博士を見たけど、わたしと目が合うとすぐにそらした。

「ソラちゃんは心配してカナタを探しにきたんだよ」

「そうよ。修理が終わったって聞いたのにカナタが部屋に帰って来ないから」

 わたしはカナタの足元に駆けよった。

「あんな姿……見られたくなかった」

 無表情で敵を排除していたカナタ。ただ命令に従っただけ。本人にはどうすることもできなかったはず。

「怖くなかったって言えば嘘になる。でも、傷ついたカナタが二度と動かなかったらどうしようって……そっちのほうが何倍も怖かった」

 カナタはようやくわたしを見た。

「よかった。カナタがまた元気になって」

 カナタが顔を歪めた。

 カナタは窓辺から降りるとわたしを抱き上げた。

「研究室へ行こう。ぼくに直させて」

 カナタはわたしの背中に顔を埋めて、ただうなずいた。


[newpage]

[chapter:九条博士]

 すれ違う職員や研究員が、カナタを見ると露骨に怯えた顔をした。

 カナタはわたしを強く抱いた。

「胸をはれ。おまえはここを守ったんだ。いずれわかってくれる。カナタは最善を尽くしたんだ」

 博士はカナタの肩に手をのせた。

「カナタが守ってくれなかったら、今頃ぼくたちはみんな殺されていただろう。スズキの話から、彼が被曝四世だったことが分かった。いまだに治療が確立されていない病を患っていたのかも知れない。それを治せないぼくら『博士』と呼ばれる人種を個人的に恨んでいてもおかしくない」

 カナタがいなかったら、とても悲惨な結果を招いていたのかも。そう思うと今更ながら怖くなった。

「お帰りなさい」

 黒岩博士と根岸博士、いつもの二人がわたしたちを出迎えてくれた。

「皮膚コーティング、やり直し。準備お願いします」

 小川博士の声に根岸博士が応じる。

「服を脱いで。全身を確認したいから」

 カナタは命じられるままに服を脱ぐ。皮膚のあちこちに引きつれたような痕がある。厚さが均一じゃないんだ。背中にはへこみがわずかに残っているのは鈴木に撃たれた痕だ。

「奴らの精度をもっと改良しないといけないな。このレベルの修復じゃあ、任せられない」

 用意された器具で小川博士は手際よくカナタの修理をしていく。

「動かないカナタを見たときは、正直だめかと思ったよ」

 小川博士はカナタの体をていねいに慈しむように点検し修理を施した。

「今回ほどの戦闘は初めてだったし、直接銃撃までされて……。大丈夫とわかっていても苦しむカナタは見ていられなかった。なにより自律システムが壊れたら取り返しがつかない」

「設計図や予備はないの?」

 わたしの問いかけに手を止めて小川博士は悲しげに笑った。

「政府が極秘で持っているかも知れないけど、《事故》後に破棄された。ぼくが子どもの時にはもうカナタたちは忘れられて幻のような存在だったよ」

 忘れられて……この施設のように無いことにされている。鈴木が言っていた。政府は事故の真実を改竄したうえ隠蔽した、と。

「わたしのは?」

 ないはずのものが、わたしの中に入っているわ。

「ソフィア博士が記憶だけを頼りに作ったんだ。だから九条博士のオリジナルとはまた少し違う」

「カナタは知ってた?」

 振り返ったカナタは曖昧にうなずいた。

「政府からの依頼を受けてソフィア博士が全力で製作したんだ。じつはぼくもソラちゃんを作ることに少しだけ協力したんだ。でもソフィア博士はきみを見せてくれなかったんだけどね」

 初めて知った。わたしは本当にここで生まれたんだ。

「ここは基本的に入れても出られない。閉じられた場所だ。ソラちゃん、きみは異例中の異例。ここで作られ外へ出て、また戻ってきた……ソフィア博士はきみを迎えに行くために抗エイジング処方を放棄した。それくらい一大事だったんだ」

 命がけ? それほどの価値がわたしにあるとは思えない。

「でも、それならパトリック博士が生きているうちに来てほしかったわ」

「政府は二人を会わせたくなかった」

「どうしてなんですかねぇ。ひとの恋路を政府が邪魔するなんて」

 と黒岩博士が間延びした声で言った。根岸博士がくすりと笑い、緊張感が緩んで冷えていた研究室がほんのり暖かくなったような気がした。

「ふたりの間に何があったのか、ぼくらは知らない。若い時にパトリック博士は九条・ソフィアの両博士と深い親交があったくらいしか」

 うん、とわたしもうなずいた。極東の島国で過ごした日々を時おり話してくれたから。そしてパトリックはそれをとても大切にしていたから。

「パトリック博士は抗エイジング処方の権利を得たけど、放棄した。その代わりにソフィア博士をここから解放するように願い出たらしい」

 結局、それは却下され代替案としてわたしが作られたということみたい。

「九条の罪をここで償う、と以前言っていたよ」

「ぼくを道連れにしてね」

 カナタが皮肉るように言った。小川博士が苦笑する。

「カナタは変わったね。ぼくが来たころは事故から五十年近くたっていたけど、いまよりぼくらと距離を取っていたし、無表情で冷たく見えた」

「そうかな」

 カナタは小首をかしげた。

「そうだよ。小さいころから君たちを探して、ようやくここにたどり着いたのに。きみのそっけなさときたら」

 小川博士は、IDを捨ててまでカナタに会い来たんだ。

「きみの『こころ』は人の中にいてこそ成長する。信じられないよ、そんな装置を九条博士はほぼ自力で開発したんだ。政府が生命科学に倫理の介入の一切を締め出したからこそ出来上がった技術なのかもしれないけど」

 うん、うん、と根岸博士がうなずいている。黒岩博士はお手上げってポーズを取ってる。

「だから、きみを長期間待機モードにしておけないんだ。そんなことをしたら、『こころ』がしぼんで、動けなくなる。さ、終わった。もう服を着ていいよ」

 身支度を整えたカナタに小川博士は小さなカプセルを見せた。

「これ、第五ゲート前で拾ったんだ」

 それは、カナタのピアスだった。瞳とおなじ緑色。エメラルドのピアスだ。

「ソラちゃんも人の中で育ったんだ。快活でのびやかなソラちゃんを見ていると、どれだけ可愛がられていたか分かる」

「うん、パトリックはいつでも優しかったのよ」

 誇らしげにわたしは伝えた。博士だけじゃない、まわりのみんなも優しかった。ロボットのわたしに。

「きみもハルカも事故前は表情が豊かだったと聞いた。このピアスは特注品だそうだ」

 小川博士はカナタの耳にピアスをつけ終わると、頬をなでた。

「きみとハルカの装置は九条博士が集大成として心血を注いで作ったんだ。きみたちの身の回りの世話をしていたのは九条博士だそうだね。カナタ、きみは豊かな情緒を持っている。それは愛されて育ったなによりの証拠だよ」

 カナタは、まるで初めて気づかされたように驚いている。大きく見開いた瞳で小川博士を見つめて。けれど、そのまま目を伏せるとうつむいた。

「この施設は政府が取った政策の到達点だ。結果、いびつだ。ぼくらはロボットに近く、ロボットのきみたちはヒトに近い」

「ソラ」

 カナタはわたしを呼んだ。そばまで行くと、わたしを抱きあげた。

「ソフィア博士はもう永くない」

 そう告げる小川博士は辛そうだった。

「ソラちゃんを引き取ってから、時間を惜しんでソラちゃんの予備のパーツ作りをしていたから。少しでも長くカナタのそばにいられるように……カナタをひとりにさせないように」

「ソフィア博士なりの、きみたちへの償いなんだよ」

 許してくれないか……その場の三人の博士はみな悲痛な顔をしている。長い時間を共有した人がまもなくこの世を去っていく。

 人の一生は、わたしたちよりも遥かに短い。わたしを可愛がってくれた学生の多くはもう亡くなっている。ソフィア博士ばかりじゃない。いつかこの三人も見送る日が来る。それは必ず・・避けようもなく。

 そして、わたしとカナタは……カナタはとてつもない時間を過ごさなくてはならない。この場所で。

「いっしょにいるわ」

 わたしは、ぺろっとカナタの頬をなめた。カナタはわたしを見つめた。

「カナタと」

 わたしはカナタの緑の瞳がうるんで、涙がこぼれるのを初めて見た。

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