第6話 襲来
ドーム内は空調が効いているけど、確かに寒さを感じた。鼻の先に。
「雪だよ」
カナタの声に待機モードを切りあげた。第三ゲートの隔離室から出て二週間後、待ちに待った時が来た。
「ほんと?」
うん、とカナタはうなずくと自室のモニターに外の映像を映してくれた。
「五十鈴のライブカメラね」
二十ほどに分割された画面には雪の降るようすが映し出された。
「ゆうべから降ってたんだ。ずいぶん積もってる」
体の底から気持ちが浮き立つ。木立から時おり雪がどさりと落ちる。画面の隅を何か生き物が横切った。
「雪が降るとね、パトリック博士が外に連れ出してくれたの」
欧州区の古い街並みに、石だたみ。灰色の空から舞い降りる雪片。パトリック博士の吐く白い息と笑顔。
「とちゅうのカフェでひと休みして博士はクリーム入りのコーヒーを飲むの」
鼻唄と軽やかな足どりの博士、川沿いの遊歩道を歩いた。
百歳を越えてからは、その役目は学生たちに代わったれたけど博士との散歩がいちばん好きだった。
同じ画面を見てカナタは何を考えているのかしら。
「ハルカと雪だるま作った。研究所の庭に」
珍しい。カナタがハルカのことを話しだした。
「庭いちめんに何個も作って、ソフィア博士に呆れられた」
苦笑いするカナタを新鮮な気持ちで見つめた。
「九条博士はぼくらが遊ぶのを喜んだ。楽しみのために動くぼくらを」
それは高度な精神活動だからね。
「見る?」
カナタは無心に雪だまを転がすハルカのデータを送ってくれた。
赤いチェックのポンチョを羽織って同じ柄のブーツを履いてるハルカは元気いっぱいだ。
「いつも可愛いかっこうしてたのね。誰が選んでくれたの。ソフィア博士?」
「九条博士」
え、意外すぎてもう一度データを見てしまった。
「……おしゃれさんね」
「九条博士はぼくらを限りなくヒトに近づけたかった」
ヒトになりたい……ハルカが願ったことをわたしは知っている。
「カナタはふたりを恨んでいるの?」
「……第一世代のギンガ兄さまだったら、ハイかイイエで答えるんだろうな」
ギンガとリュウセイ。いちばんうえのお兄さん。
「九条博士は情緒を少しずつ改良して第五世代のぼくらまで精度を引きあげた」
それきりカナタは沈黙してしまった。わたしたちにある、感情という名前のもの。それを持つことが良かったのか、悪かったのか。
ふたりしてモニターの雪を眺めた。切り替わる画面に塔が映った。
「最近は聞こえないね」
ハルカの声が。
でもきっとカナタにはいつでも聞こえているんだろう。ハルカからの救助要請が。
カナタはうつむき目を閉じている。
感傷に浸っているかに見えたカナタは、かすかに唇を動かし、何かと交信していた。わたしには解析できないコードが飛んでいる。
「なに? なにか……」
デスクに乗せたカナタの手がきつく握られた。
「ソラ、避難だ」
やにわにわたしを胸に抱え、廊下を駆けていく。
「第四、第五ゲート管理者至急待避!」
カナタの声は直接館内放送になった。カナタから発せられた電波の強さに体が痺れた。
廊下にばらばらと職員たちが現れた。
「政府へ非常回線オープン、全員シェルターへ避難を」
「カナタ!」
研究室から小川博士が着崩れた白衣のまま飛び出してきた。
「ソラと……ソフィア博士を」
「わかってる、任せろ」
カナタはわたしを小川博士に託すと、第五ゲートに向かって走り去って行った。
「カナタ!」
「ソフィア博士、移動します」
黒岩・根岸両博士がソフィアをサポートした。
「現状は?」
杖をつき、いつもより歩調を速めるソフィア博士が聞いた。
「第三ゲートと第四ゲートの中間です」
小川博士は小型の端末から情報を確かめている。
四方から職員が集まってくる。
地下への階段を降りると、臙脂色の壁に高さ二メートルほどの扉が現れた。
ソフィア博士が扉横のコンソールに手をあてると、金属が擦れあう重厚な音が反響した。
がん、という音とともに扉が開いた。厚い壁のなかにスロープが続いていた。さらに下ると第二の扉。
同じ手順で開いた向こうは明るく、大きなモニターと何かの調整板が並んでる。
シェルターというより司令室みたいだ。
天井は低いけど、広い空間には百人足らずの職員全員がらくに収まった。
「各自持ち場へ」
ソフィア博士の声は緊張からかうわずっていた。
小川博士はわたしをおろすと正面の椅子に座った。
十人ほどの職員がコンソールの前に陣取る。
「カナタは?」
四分割のモニターが画像を映し出す。
「第五ゲート前で待機中」
第五ゲートの詰所のまえにカナタはいた。
「D回線切断されました」
黒岩博士がチョコバーを握りしめたまま報告する。
詰所前は非常灯の黄色がかったオレンジの灯火に変わった。
何が始まるの……?
「政府との回線、繋がりました」
ソフィア博士はうなずき、凛とした声で呼びかけた。
「こちらは林・ソフィア・九条。ドーム内ゲート付近までテロリスト侵入」
え!?
「至急応援願います。数は車一台で移動中四名、後発隊と見られる車列、樹海からさらに十、推測される人員は四十から五十」
テロリスト!
カナタ、カナタは何をする気なの?
たった一人で!
「発電確認」
普段から物静かな根岸博士が淡々と言った。
『了解。三十分後支援部隊到着予定』
「電源異常なし」
根岸博士がソフィアに伝えた。
「カナタ、スタンバイ」
モニター内のカナタがうなずくと、車のライトがカナタの姿を明るく照らした。みな固唾を飲んでモニターを注視している。
車が止まりドアが開くと同時に破裂音がした
耳をつんざく音がスピーカーから聞こえた。職員たちが思わず耳をふさぐ。
カナタは動かない。
銃を構えた人影が四つ、車から降りるようすがモニターに映る。
『ドームの連中はおまえだけ残してトンズラか』
鼻先で笑い、人をばかにしたような話しかた……。
「鈴木主任!」
わたしは叫んだ。
ライフルを担ぎ小型の銃を前につきだしているのは第三ゲート主任の鈴木だった。
『おまえひとりで何が出来る? 雑用係』
カナタは鈴木を見たまま微動だにしない。ゲートを背に四人に囲まれている。
『爆弾でも背負ってきたか? それとも……核廃棄物か?』
ソフィア博士がこめかみを押さえた。
どういうことなの?
『おれのひい祖母さんはここの出でね。もっとも事故後は避難して二度と帰れなかった』
ここの事故前の、血縁者。
『平均寿命が三桁のご時世に五十歳に届かず死んだよ。不思議だよなあ。事故の当事者は生きているのに』
ソフィアの体が揺らめき、杖にすがる。
「博士!」
「誰か、椅子を」
小川博士が手すきの職員に声をかけた。
椅子に座ったソフィア博士はモニターを見つめている……青ざめ苦しげな面持ちで。
『政府をいいなりに出来るものがあるんだろ? ここには』
銃口をカナタに向けたまま、鈴木は前に出た。
『火力発電所の事故を原発事故と偽り、過去を隠蔽するほどのものが』
「何言ってるの!?」
シェルター内は静かだった。驚いているのは、わたしひとり。
……みんなは知っていたってこと? 発電所は原子力発電所ではなかった? じゃあ、汚染源は?
ソフィア博士はさっきの不調から立ち直り、今は何かを分析するような眼差しをモニターに向けている。
『おれは博士って奴が大嫌いでね。全員始末してやる。政府への要求はそれからだ』
不意にソフィア博士が声をあげた。
「先に要求を言いなさい」
鈴木の体がかすかに揺れた。向こうにも聞こえたんだ。
『なんだ、覗き見かよ。おれと交渉の余地があるとでも?』
そうだな……と鈴木は無言で立ち続けるカナタを見た。
「所属先判明。シルバーファング、確認されている構成員四十八。鈴木は創設メンバーのひとり。本名タカナシ・カズオミ」
黒岩博士の報告にソフィア博士がうなずく。
『まずは靴をなめてもらおうか、こいつに』
瞬間、カナタは動かないかに見えた。しかし言葉にしたがい膝を折った。
『なめろよ、三原則に反していないだろう?』
カナタは両手をつくと鈴木の足元に顔を寄せた。
イヤ! こんなカナタは見たくない!
鈴木はカナタの従順さに満足したのかニヤリと笑ってカナタの背中に銃口を向けた。
「カナタ!!」
わたしの声が届くはずもない。銃声が響き、カナタが血飛沫をあげて床に倒れふした。
『血!? 人間か?』
鈴木の隣に立つ男がうろたえている。
カナタは貫通した傷口を押さえてわずかに身を起こした。
『い……いた……い』
イタイ、イタイ……ハルカも言っていた。痛くないはずなのに。
『動揺させる気か、人まねロボット』
鈴木は顔を歪ませ、カナタの顎を蹴りあげると、浮き上がった頭に二発の銃弾を撃ち込んだ。
衝撃に飛ばされたカナタは壁を血で塗らし不自然な姿勢で動かなくなった。
『しょせん、たかが雑用係のロボットだ』
鈴木は嘲るようにカナタを見おろしている。
「カナタ、カナタ!!」
「落ち着いて、ソラ」
「だってカナタが……!」
「政府特殊部隊到着まであと十八分」
黒岩博士が冷静な口調で伝えた。
『要求は抗エイジング処方の一般への解放と火星への移住権の完成自由化だ』
鈴木は高らかに叫んだ。
「攻撃を受けてから三分経過、政府より第六号案件と認定許可がおりました」
コンソールを見つめて小川博士が報告した。
「三原則解除。主電源出力最大。八割カナタに」
突然、シェルターの奥の扉の向こうから地鳴りのような音がした。
振り返ると、扉は緑色の光をじわりと放ち始めた。
そこに描かれたマークと文字をわたしは信じられない気持ちで見つめた。
マークは円を中心にして三枚のプロペラ状のものがサークルを描いていた。
「放射性物質!?」
まさかドームの電力は原子力発電なの!?
そしてその下に刻まれた文字は……さらにわたしを驚かせた。
「カナタ、敵を排除せよ」
ソフィア博士の声が凛と響いた。
非常灯しかついていなかった館内に灯りがともる寸前、カナタの瞳に扉と同じ明かりが宿った。
両の目に緑の焔が燃える。なにかがカナタの胸を吊り上げたように、ありえない動きでカナタは起きあがった。決してスムーズではない動作だった。むしろギクシャクとしていた。
『!?』
異変に気づいた鈴木らが目をみはっている。
血色に濡れたカナタがゆらりと立っている。一切の感情が抜け落ち、ただ瞳だけを光らせて。
「樹海に生体反応が四二。カナタのところへ誘導します」
誰かが言った。
鈴木とカナタは見合ったままだ。
モニターの画像が歪む。
カナタの右手に火花が生じた。
次の瞬間、カナタが吼えた。
「音声、切って!」
ソフィア博士が喉を枯らさんばかりに叫んだ。
モニターからは音が消え、次にモニターが映った時には、四人のテロリストが倒れているのが見えた。
そしてドームとは逆方向、第四ゲートに向かって信じられないような速度で走り去っていくカナタの後ろ姿をカメラがとらえていた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます