第四話

 出発する日の早朝、駅に三ツの影がありました。

 主人は息子の両肩に手を置いて項垂れています。


 「……頼む」


 普段の高圧的な主人からは考えられない言葉でした。


 「御願いだ。――生きて、還ってくれ……」


 其れを聞いた息子は置かれた手を取ります。

 主人も顔を上げました。


 「大丈夫ですよ。必ず、還ります」


 そう言う息子の表情は笑顔其の物でした。


 「待ってるから……」


 奥さんは呻く様に言って、顔を両手で塞いでしまいました。


 「そうして下さい。すぐに還りますよ」


 飽く迄も明るい言葉に、主人は息子を強く抱擁しました。

 息子は呆気に取られ、押さえていた感情が溢れそうになってしまいました。

 然し何とか其れを忘れ、また微笑みを作りました。

 そうする内、喧しい音を立てて列車が到着します。


 「では、って参りますね」


 「……あァ」


 其れだけで、もう、充分でした。

 其れだけで、もう、語るべき事は有りませんでした。




 斯くして列車は、息子を遠い彼方の戦場へと連れていきました。






 ――同じ頃、恋人が郵便受けに一冊の詩集を確認しました。


 「あら、此れは彼の人の……」


 恋人は息子が征く事を知りませんでした。

 詩集を手に取り、何とも無しに頁をぱらぱらと流しました。

 すると何かが地面に落ちます。

 栞にしては大き過ぎる――其れは便箋でした。

 四ツに折られた其れを広げると、綺麗な細かい字が並んでいました。


 「えェと……『私が死んだら』――?」






私が死んだら、


貴女は泣いてくれますか?


貴女は優しい方だから、


恐らく泣きじゃくる事でしょうね。


でも泣かないで下さい。


愛しい人よ。


私がいくのは貴女の為。


ですが其れは、


決して貴女が望む事では無いでしょう。


でも貴女、愛しい人よ。


私がいくのは貴女の為。


貴女を守る為。


貴女の家族を守る為。


貴女が生きる場所を守る為。


だから、ねぇ、貴女、


愛しい人よ。泣かないで下さい。


私は確かに先にいくけれども、


其れはほんの少し


貴女の先回りをするだけの事。


肉体が無くなったとしても、


何時でも私は、


貴女の隣に居る事でしょう。


何故なら、


私がいくのは貴女の為。


貴女を守る為。


貴女が死んだら、


私は泣いてしまうでしょう。




 ――全てを読んだ時、恋人は本も便箋も取り落とし、其の場に崩折れました。



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