イディアに光を ~創造的想像世界冒険譚~

紙男

第一章 魅惑的世界 ~bitter sugar~

第1話 降臨と感動

 冒されるような甘い匂いが鼻を突いた。


 そして賑やかな喧騒が耳に届いた。


 ライトはこの瞬間を最も楽しみにしている。これから瞼を開き、そこへ飛び込んでくる世界の光景を思い描いているからだ。


 左手を少しだけ強く握る。ウェイミーに合図を送るためだ。そのようなことをせずとも、彼女にはライトの心理が手に取るように解っているのだが、ライトはいつも敢えてそうしていた。


 手が少しだけ強く握り返される。合図が返ってきた。ライトが口を開く。


「いち」


「にの」


『さん!』


 そこから三つ数えた後、二人は目を開ける。感嘆の声が重なった。


 そこはヨーロッパの雰囲気が漂う、オシャレな街並みだった。


 まず、人々がオシャレだった。彼らは皆、色鮮やかで個性豊かな装いだ。同時に『カッコイイ俺を見ろ』『私こそ美しさの象徴よ』と言わんばかりの、自信に満ち満ちた表情をしている。


 そんな彼らが御用達なのであろう煌びやかなブティックが、整然と敷き詰められた石畳みの街道に軒を連ねる。前衛的なデザインのコートを着たマネキンが、ショーウィンドウでポーズを決める洋服店。時間が経つのを忘れ見つめていたくなる、豪奢な商品を扱う時計店。その美しさと輝きに盲目になりそうな、最高級のジュエリーを見せつけるポスターが貼られた宝石店……。


 少女漫画の如く、場の空気でさえ輝いているような典雅さを二人は覚えた。


 だが二人が感動したのはその様な箇所ではない。過去に、見るもの全てが黄金、あるいは宝石で創られた【世界】を、彼らは訪れたことがあった。


 では何が驚きだったのか。見るもの全てが、お菓子で出来ていたからだ。


「ねぇライト! 見てよこれ!!」


 ウェイミーは喜々としてショーウィンドウに駆け寄り、ライトを手招いた。ライトはゆっくりと歩いてウェイミーの傍らに立つ。


 ガラスの向こうには可愛らしいパンプスがディスプレイされている。色はココア、チェリー、ミルクの三種類だ。爪先の部分にはそれぞれ、ピンクやゴールドのパールのようなものが散りばめられていた。


「へー、よく出来てるねぇこれ」


「チョコレートで出来てるね」


「わかるの?」


「女の子はね、オシャレとスイーツと好きな男の子のことに関しては、全知全能なんだよ」


「なるほど。それじゃ、この真珠みたいなのはアラザンかな」


「ご名答。――あ、ほらライト、あっちもスゴいよ!!」


 ウェイミーは次から次へとお店を見ては、ハイテンションにはしゃいだ。ライトはその後ろを半分嬉しそうに、半分呆れた様子で着いて行く。


 しばらくしてウェイミーはピタッと足を止めた。ライトが追いつくと、そこには華やかなウェディングドレスが飾られていた。ウェイミーの双眸そうぼうが、より一層輝く。


「ねぇライト」


「ん?」


 ウェイミーはライトに向き直る。「私にはどんなのが似合うかな?」


 ライトはウェイミーの姿をじっくりと見る。ウェディングドレスに負けない、透き通るような白いワンピース、肌、そして肩に掛かるほどの髪。髪には、輝きのある黒のリボンが着けられている。大きな期待と少しの不安を宿した、つぶらな瞳の彼女をしっかりと見据え、ライトは答える。


「ウェイミーは今のままで充分魅力的だよ」


 ライトとしては100点満点の答えを出したつもりだった。が、ウェイミーは頬を膨らませた。


「え?」


「もぅライトったらぁ! 知らないっ!」


 ウェイミーはツカツカと早足にウィンドウから離れ去る。が、数歩進んだところで石畳みに靴の爪先が突っかかった。靴が脱げ、ウェイミーの身体が前に倒れて地面にぶつか――らなかった。寸前のところでライトがウェイミーの横に駆けつけ、彼女の身体を支えたからだ。


「大丈夫?!」


「へっ? ……あ、う、うん」


 ライトはウェイミーの体を起こすと共に、その場に座らせた。


「靴拾ってくるから、ここで待っててね」


 ウェイミーは、嬉しさと恥ずかしさが入り混じったような表情で、ライトの背中を見守った。


 ライトは上半身を屈め、ウェイミーの黒いバレーシューズを拾おうとする。刹那、目の前から靴が消えた。


「は?」


 ハッとして顔を上げる。靴を持って走り去る子どもの後ろ姿があった。


 ライトは反射的に手を伸ばしたが、空を掴むことしかできなかった。


「っ! ――ウェイミー、ちょっとそのまま待ってて!」


 ウェイミーは何か言葉を口にしたようだったが、それはライトの耳に届かなかった。

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