3 面影橋

 面影橋・・・なんとも風情のある名前だが、新宿区西早稲田と豊島区高田の区界を流れる神田川に掛かる橋の一つである。

 橋の南側には、東京都内で唯一残る路面電車の都電荒川線早稲田終点から一つ目の「面影橋」停留場がある。道路交通法では、バスは「停留所」、路面電車の併用軌道内の道路に設けられた乗降場所は「路面電車停留場」・・・所謂「電停」という。


 面影橋は、江戸時代には、『俤橋』とも書いたようだ。また、別名を『姿見の橋』と呼ばれることがあるが、江戸名所絵図では、「亮朝院の北、上水の川に長さ12間ほどの『俤橋』が架かる。更に北に小さな『姿見の橋』が掛かっている。」とあることから、いつの間にか混同して、『面影橋』のことを『姿見の橋』とも言うようになったようだ。


 現在の面影橋は、幅約5m、全長20mほどの小さなコンクリート製の橋で、納品のライトバンや乗用車が行き交う生活道路となっている。昭和の竣工と思われるが、橋の親柱には名前のみ記され、橋の竣工日は記されていない。


 北側から橋を望むと、南の新目白通りに突き当たり、信号には『面影橋』の標識が付けられている。

 交差点右には都電荒川線の三ノ輪橋方面の電停が、左側には早稲田方面の電停がある。


 『面影橋』といえば、文学、歌、映画などで取り上げられている。

 文学では、阿刀田高の「面影橋」がある。面影橋を交錯する12人の人間模様を描いたオムニバスである。


 フォークソングでは、NSPや六文銭の歌の題名となって有名になった。また、かぐや姫の名曲「神田川」はこの面影橋界隈を舞台にしているといわれている。


 その「神田川」を作詞した喜多条忠が書いた小説を映画化した作品が「神田川」。

 主演は関根恵子と草刈正雄で、貧しく若い女性と人形劇に情熱を傾ける学生の切なく暗い物語である。

舞台は面影橋界隈であるが、実際の撮影は面影橋からやや下流にある豊橋で行われた。


 絵画の世界では、なんと江戸時代に登場する。

 安藤広重の名所江戸百景に「高田姿見の橋俤橋砂利場」がある。

 また江戸名所絵図では、「亮朝院の北、上水の川に長さ12間ほどの『俤橋』が架かる。更に北に小さな『姿見の橋』が掛かっている。」と記されている。


 面影橋の下を流れる神田川は、井の頭公園にある井の頭池を水源として、隅田川まで全長25.5kmの河川だ。

 上流部分は寛永6年(1629年)に上水道として開削され、江戸時代は文京区関口の大滝橋より上流を『神田上水』、下流を飯田橋付近までを江戸川、そこから隅田川までを神田川と呼んでいた。

 戦後の高度成長期には一時期異臭を放つどぶ川とかしていたが、今では水質も改善され鮎の遡上も見られるという。


 面影橋界隈には、いくつかの伝説が残っている。

◆一つ目は大田道灌に纏わる『山吹き伝説』である。

 大田道灌は歌人としても名を成した戦国時代の武将で、江戸城を築いたことで有名である。

 ある日、大田道灌は江戸城を出てこの辺りまで鷹狩にやってきた。

 あいにく天気は崩れて雨が降ってきたため、近くにあった農家の若い娘に『蓑』を借りようとしたところ、その娘は庭に咲いていた山吹の花を一輪切って差し出したが、道灌は意味がわからず怒って帰ってしまった。その後家臣にその話を伝えると、中務卿兼明親王『七重八重 花は咲けども山吹の みの(蓑)一つだに無きぞわびしき』の歌をかけて、家には蓑はないので貸せないという意を表したのだろうと話された。

 村娘さえ知っている歌を知らなかった自分に恥じて、その後は和歌の道に励んだという言い伝えである。

 面影橋袂の神田川の左岸(北側)にあるオリジン電気本社前には、『山吹の里』の碑がある。舟形の石の中央に『山吹の里』と刻まれ、その下には右ひじを右ひざに乗せた弥勒菩薩坐像が刻まれていて、行きかう人々に微笑んでいるようだ。

 神田川を少し下った江戸川橋近辺に『新宿区山吹町』という地名が残っているのは、ここと関係があるのだろうか。


◆二つ目は面影橋伝説である。

 戦国時代この地に住んでいた和田靱負という武士の娘於戸姫の伝説である。

 於戸姫は結婚を断った武士にさらわれるが、気を失っていたところをある夫婦に助けられてその夫婦のところに身を寄せる。やがて近所の小川左衛門に嫁ぐのだが、その夫は友人に殺されてしまう。

 仇討を果たしたものの自分に起こる度重なる不幸に、亡き夫を思いながら川に身を投げて夫の許に行ってしまった。周辺の人々は於戸姫の心情を思いやって、身を投げたところにある橋を「姿見橋」と名づけたといわれている。


◆三つ目は怪談『乳房榎』である。

 六代目三遊亭円生の三大怪談噺(怪談牡丹灯篭、真景累ヶ淵)としても有名で、この噺は非常に長いものだったことから、何回かに分けて演じられたようだ。

 菱川重信という絵師が、妻を弟子の浪江に寝取られた上、浪江は爺やの正介を仲間に取り込んで重信を殺してしまう。重信殺害直後、正介は重信が天井画を描いていた面影橋北にある南蔵院に駆け込むと、なんと亡霊となった重信が天井画を仕上げていた。その後浪江は正介を使い重信の乳飲み子の太郎を殺してしまおうとするが、亡霊の重信に諭された正介は改心する。

 太郎を連れて生まれ故郷の練馬に帰ると、赤塚村にある松月院の門番となって住み込んだ。

 松月院にある大きな榎には乳房のような大きな瘤があり、そこから滴り落ちる雫を乳の代わりに与えて太郎を育てると、霊験あらたかな榎が江戸の評判となり、浪江の知るところとなる。太郎5歳の折、正介と太郎を殺しに来た浪江を返り討ちにして仇を果たすという話しである。


 周辺には江戸時代からの名所旧跡が多く、徳川御三家清水家の下屋敷跡の甘泉園公園、水稲荷神社などがある。

 甘泉園公演と新目白通りの間に餡子を作っている工場があるが、公園側で『たい焼き』を焼いて売っている。一匹80円、なんとも下町的な値段だ。

 しかも味は絶品ときている。中のあんこの味が、甘すぎずすっきりしてコクのある優れものである。

 あんこ屋さんが、あんこを作る傍ら工場の片隅で焼いて売っていると聞けば、さもありなん・・・納得だろう。


 目の前で焼き立てを並んで買うのだが、支払いは自主申告!

 買った分だけ、窓口に置いてある空き缶の蓋にお金を置いてくるのである。お釣の必要な人は、空き缶の蓋から勝手にお釣を持っていく。


 焼き立てをその場でいただくのが最高!

たっぷりのあんこを入れたたい焼きが焼きあがると、はみ出して隣のたい焼きとくっ付いている耳を、はさみでチョキチョキ切り離して白い紙袋に入れて包んでくれる。


 外側の皮はパリッと香ばしくなんともいえぬ甘い香りが漂っており、皮の内側はふかふかに焼きあがっている。

 このたい焼きを買って面影橋からチンチン電車に乗ると、周りの人が「おやっ?!」と周りを見回すくらい良いにおいを漂わせていた。


 お土産用に買ったたい焼きを家に持ち帰り三枚におろしてみる(?)と、内臓・・・いやあんこはボリュームたっぷりの65g。これで80円は超お買い得。

 自宅近くの駅前にもたい焼き屋さんがあるが、一匹120円・・・見るからに栄養失調気味のたい焼きとなれば、買う気にもならない。

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