26.そして



 その報は、誰に聞かずとも自然と耳に入ってきた。どこに行ってもその話でもちきりだったからだ。

 ――第一王子他、謀反を企んだ諸侯の処刑。

 異例の早さで行われたというそれは、恰好の話題の的だった。


(うそ……)


 それを知った瞬間、フィーネは目を見開いて呆然とした。反逆罪は死刑。子供でも知っている常識だ。――それを、セイも口にしていた。

 すぐさま身を翻し、院に向かって駆け戻りながらも、フィーネの頭の中は誰に向けたものでもない問いでいっぱいだった。


(どうして、だってセイは麗蘭のこと死なせたくないって言ってたのに! それを、処刑を麗蘭が望んだから? ううん、セイはそれをわかった上で死なせたくないって言ったのよ。だったら麗蘭が何を言おうとその考えを変えるなんてことしないと思ったのに――違ったの? やっぱり『王』としての判断を優先させたの? それだったら、せめて……)


 言ってくれれば良かったのに。

 フィーネが正面きって反対した実の兄の処刑――しかも己の意思と反するもの――を、決行することになったとは言い難いだろう。それでも、言って欲しかった。こんな風に、全て終わった後に知ることはしたくなかった。

 裏切られた、と感じてしまったのも確かだ。麗蘭――あの哀しいひとと、どのような形だとしても、もう一度会えると思っていたのだから。

 けれど何より、その決断を下さざるをえなかったセイが、どれほど苦しんだことだろうと思うと胸が締め付けられた。

 あの日、大切な人に死んで欲しいなんて思うはずがないとセイは叫んだ。それが心からの叫びであることは、悲痛なほど伝わってきた。


(せめて一言、言ってくれれば――)


 その心に寄り添うことくらいはできたはずなのに。

 そうせざるをえない理由があったのならば、もう自分にセイを非難することはできないだろう。いまやセイはこの国の王であり、自分はただの平民なのだ。フィーネにはわからない、王族だから、『王』だからこその制約がある。『思い』だけでは成し遂げられないことがある。

 息を切らせ、院の門前でフィーネは立ち止まった。深呼吸して頭と心を落ち着けようと努める。

 そこに、院長が現れた。

 いつもと変わらぬ優しい笑みを向けられ、フィーネは己の涙腺が緩むのを感じた。けれど意志の力でそれを押し留める。


「フィーネ。……セイが中で待っているよ。行ってあげなさい」


 声を出せば、泣いてしまうかもしれないと思った。だから、強く頷いてフィーネは院内に向かった。

 向かうのは、未だ残されているセイの部屋。きっと、そこにいると思った。

 コンコン、と来室を知らせる。「フィーネだけど……」と続けると、「あ、フィーネ。入って」と声が返ってきた。

 その声が思ったよりも平常通りのものだったので、フィーネは少し訝りながら扉を開けたのだが――。


 声が返ってきた通り、そこにセイはいた。だが、フィーネはその隣にいる人物に目を奪われ、声をなくした。


「……幽霊でも見たような顔だな」


 彼が苦笑する。黒い髪。黒い目。馴染みがない喋り方は、それが彼の通常だということを知ったばかりだった。

 ――麗蘭。リフ。処刑されたはずの第一王子が、そこにいた。


「ど……して……」


 最初の衝撃から醒めて、なんとか疑問を口から絞り出す。


「どうしてここにいるのか、ということなら、城にも住んでいたところにもいられないからな。院長が場所を提供してくださった」


 わざとなのだろうか。絶妙にずれた答えが返ってきた。


「どうして生きているか、ということなら――セイから話してもらった方がいいだろう。なにせ俺は意識のない時も多かったわけだし」

「……その言い回しはわざとなのかな。いいけど」


 一つ溜息をついて、セイは話し始めた。――ここに至る経緯を。


「反逆罪は死刑、それは変えられない。だけど、要人の処刑として、処刑方法を変えることはできる――ってある人に教えてもらって。リフには毒を飲んでもらうことにしたんだ。……実際は、仮死状態にする薬。入手経路が入手経路だったからちょっと心配だったけど、リフも納得して飲んでくれた。それで、死んだことを公的に確認して、その証として髪を切って、それを証拠として処刑を終えて。王族の死体は民衆に晒さないものだとかそういう理由をつけて、リフの死体はそのまま埋葬された――ということにした。実際はこうしてピンピンしてるわけだけど」

「仮死状態になったのも、意識のないうちに髪が切られてるのも、死んだことになったのも初めてだからな。ちょっと浮かれているんだ」

「初めてじゃなかったら怖いよ」


 そんな二人のやりとりを聞きながら、確かにリフの髪の一部が不自然に切り取られているのに気付く。いつもと違う結い方をしていたから気づかなかった。


「髪……整えましょうか?」


 他にも言うべきことはたくさんあったはずなのに、フィーネの口から最初に出たのはそんな言葉だった。


「フィーネはそんなことまでできるのか?」

「院の子どもたちの髪切ったりしてたもんね、フィーネ。院長の髪もフィーネがやるし」

「そうか。それならお願いしよう」


 笑顔で言われて、フィーネは髪を切る準備をする。セイも手伝ってくれたので準備はすぐ終わった。


「けっこう……切られてますけど、これに合わせる形でいいですか? だいぶ短くなると思いますけど……」

「死んだことになっている身だ。印象が変わった方がいいだろうしな。気にせず短くしてくれ」

「あなたがいいなら……」


 ある程度ばっさり切ったあとに、慎重に鋏を入れていく。

 しゃきん、しゃきん、という音が響く中、リフはしみじみと言った。


「この髪も、願掛けみたいなものだったからな。……切れてよかった」

「……願掛け?」


 訊ねると、リフはからりとした声で「復讐の、だな」と言った。声音と中身が乖離しすぎている。

 最終的に肩につくくらいで切り揃え、鏡で見せると、リフは「フィーネはすごいな。ありがとう」と微笑んだ。

 そこでやっと、フィーネはリフが生きているのだと、処刑されずにここにいるのだと、実感できた。


「リフは……」


 言いかけたフィーネを、リフが柔らかな声音で止めた。


「『リフ』は死んだ。これからは麗蘭の名で生きていこうと思う。――そう呼んでくれ」


 自分のよく知る名で生きていくと言われ、フィーネはなんだか嬉しくなった。『麗蘭』はもういなくなったのかと思っていたから尚更だった。


「麗蘭は、これから、どうするんですか?」


 「さあ、どうしようか」と、リフは苦笑した。


「まだ決めていないんだ。私は、ずっと一つのことだけを考えて生きていたから……それが終わった後に生きていたら、なんて考えたこともなかった。こんな風に自由を手に入れられる日なんて来ないと思っていたからな」


 ゆっくりと、麗蘭は未来を語る。


「旅に出てみるのもいいかもしれないな。我が師に再び相見えればと……でもまあ、悩む時間もたっぷりあるんだ。ゆっくりこれからのことを考えてみようと思っている」


 そう言って、麗蘭は穏やかに笑った。


「旅に出るなら、護衛も承るぜ?」


 ひょい、っと顔を出したのはシキとカヤだった。「師匠から脱獄祝いってさ」とフィーネでも知っている上等なお酒を差し出す。


「護衛が必要な身分でもないがな。……脱獄というのは少し違わないか?」


 麗蘭が首を傾げながらお酒を受け取ると、シキはにかっと笑って麗蘭の肩を叩く。


「まあそう言うなって。アンタが護衛が必要ないくらい強いのも知ってるけど、国境沿いなんかはやっぱ物騒だから案外護衛頼む人間は多いんだぜ?」

 カヤはと言うと、フィーネの傍に寄ってきてまた別の包みを差し出してきた。受け取って覗いてみると、緑茶の茶葉だった。


「……いいのが手に入ったから」

「あ、ありがとう……」


 彼らと会うのは攫われた日以来だ。変わりない彼らに安心するやらちょっと戸惑うやらのフィーネの胸の内が伝わったのか、カヤの眉尻が下がった。それが悲しんでいる証左だということがわかるくらいの付き合いにはなったので、フィーネは慌てて手を横に振った。


「本当に嬉しいよ! カヤくん、ありがとう」

 その甲斐あって、カヤの眉が元の位置に戻る。いつもの無表情になったので、ほっと息を吐くフィーネ。

 それを見ていたセイが、「なんか、だいぶ仲良くなってない……?」と呟く。


「カヤはフィーネ大好きだもんな!」


 シキが言うと、セイは「僕だって……!」と言いかけてはっと口をつぐんだ。頬がみるみるうちに赤くなる。


「『僕だって』?」


 ニヤニヤと笑いながらシキがセイの肩をつつく。


「な、なんでもない!」


 そんなやりとりを、麗蘭は穏やかな笑顔で見つめていた。とても大切な宝物を見守るように。


「……麗蘭?」


 そっとフィーネが声をかけると、麗蘭はその眼差しのまま、フィーネに向き直った。そして頭を下げる。


「ありがとう。――こんな光景を見られるのも、フィーネのおかげだ」

「私は、何も……」

「君に自覚があってもなくても、きっと君が人々を動かした。彼らを変えた。……もちろん、俺のことも」


 その声がとても真剣なものだったから、フィーネは反論を飲み込んだ。


「だから、君に感謝を。……ありがとう」

「……どう、いたしまして」


 これは多分、麗蘭にとっての区切りであるのだろうと、フィーネは思う。

 ずっと一つのことだけを――復讐だけを考えて生きてきたという彼の、これから生きていくために必要な区切り。


「これから、よろしく頼む」


 差し出された手を、握る。何かが新しく始まる、予感がした。



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