25.前王と新王




 フィーネと別れたその足で、セイはまっすぐに城へと向かった。

 執務をするためではない。――そこに目的の人物がいると、シオンが教えてくれたからだ。


「クソ前王! 何しに戻って来た!」


 怒鳴りながら足を踏み入れた執務室に、その男はいた。もはやその男の部屋ではなくなった執務室に当然のように佇んで、悠々と振り返る仕草が憎たらしい。

 密やかな笑いと共に、陽の光に似た赤みがかった金色の髪が揺れた。


「出会い頭に、随分なご挨拶だな?」

「次代決めたと思ったらさっさと行方不明になった薄情な前王様に対して、むしろ優しい対応だと思うよ我ながら」

「我が子ながらなんて親に冷たい子なんだ」

「やめろ鳥肌立った。……それで、本当に何しに戻ってきたんだ」


 眉尻をつりあげて問えば、男――前王であるガルゼウスはくつくつと笑った。


「わかっているからお前はここに来たんじゃないのか」

「僕は僕の聞きたいことを聞きに来ただけだ」


 ぴしゃりとセイが言えば、ガルゼウスは面白そうな表情で先を促す。


「あんたが――子供を、もっと言うならリフを、復讐の道具にしたことはわかってる。だけど、それなら……リフを救う手立てだって、持ってるんじゃないのか?」

「復讐の道具にしたっていうのに、その『道具』を救うような人間に見えるのか?」


 揶揄するようなガルゼウスの言に、セイは否定しなかった。


「――リフは、あんたの愛した女の忘れ形見だろう」


 静かに、それだけ、告げた。


 ガルゼウスはそれに、くくく、と笑いを浮かべ――。



 * * *



 現王となった息子を追い出した執務室で、どっかりと椅子に腰を下ろした彼は、深く長い溜息を吐く。

 ……これで、すべてが終わった。自身の血を分けた子を巻き込んでの、二十年以上に渡る茶番劇が。

 香葉が――……愛する人が死んだあの日、彼は誓ったのだ。自分の持つ全てを使って、彼女を奪った者に復讐をすると。

 当時、周囲の人間には随分なことを言われたなと思い出し、苦笑する。


『そんなことして香葉が喜ぶはずないでしょ! 香葉を守りきれなかったあんたが、あと香葉のためにできることなんて、民を苦しめない国をつくって子供を大切にすることくらいよ!』

『馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、ここまでとはねぇ……一遍階段ですっ転んで角で頭打って且つ石畳と抱き合って死んできたらどうだい? あの子がそんなこと望むなんてあるはずがないだろう?』

『……お前がそう決めたのなら、俺は何も言わない。だが、後悔だけはするな。自分の選んだ道を突き進めないような覚悟なら、立ち上がれないくらいに打ちのめしてやろう』

『酔狂な奴だ。今すぐにも死にたいと思ってるのに、愛した女の仇をとるまでは死ねないというのか。……ならば見届けてやろう。全て終えた暁にお前が望むなら、殺してやる』


 昨日のことのように思い出せるそれらの声に、思わず顔を顰めて。

 愚かだったな、と当時の自分を思い返す。

 素直に哀しめばよかったのだ。その哀しみ、二度と取り戻せぬ喪失を認めたくなくて、愚かな道を選んだ。

 ――……復讐、なんてしても、香葉が戻ってくるはずはなかったのに。喜ぶはずもなかったのに。

 愚かな幼い感情で、子供たちに残酷な役目を課した。


「肉親の情、なんて失くしただろうと思っていたんだがな……」


 愛なんて生まれないと思っていたから、平気で利用できた。

 けれど。

 いつしか愛しく思うようになっていた。何故なのか、なんて、分かるはずもない。

 それぞれ共に暮らしたことはないに等しい。全員が揃ったことなど皆無だ。

 『家族』としてはきっと破綻しているだろう関係――けれど、確かに芽生えてしまった感情がある。

 それが不快ではないと思う自分は、きっととても変わったのだろう。


『大切に思える人がいるってことは、すごく幸せなことなのよ、ガル。だから、私だけじゃなくて、もっとたくさんの人を大切に思えるようになって。そうしたら私も嬉しいわ。『王族の呪い』なんてものは、それだけで覆せるものなんだから』


 微笑む姿は今も鮮明に思い出せる。交わした言葉も覚えている。

 きっと、それだけでいいのだ。

 香葉が居なくなってから初めて、ガルゼウスは純粋な笑顔を浮かべた。嘲笑でも冷笑でもない笑みを。


「……なあ、香葉」


 ゆっくりと目を閉じて、眼裏に浮かぶ彼の人に問う。


「お前は、今の俺にも笑ってくれるか?」


 答えは、返るはずもない。けれど、きっと彼女なら、散々罵倒して、泣いて、怒って、――それから仕方ないなという風に、困ったように笑うのだろう。

 知っている。そういう人なのだと、知っていた。

 それを忘れないことだけが、もはや自分にできるすべてなのだと――やっとガルゼウスは認めたのだった。


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