19.そして急転
「…………あれ?」
フィーネの覚醒後の第一声は、そんな間抜けたものだった。
何やらふかふかとしている寝台から起き上がり、周囲を見回す。
どこをどう見ても見知らぬ部屋である。調度品は一目でわかる高級品であったし、床には毛足の長い絨毯が敷いてある。広さはフィーネの私室が六つくらいは軽く入りそうだ。どう考えても院にある部屋ではない。
覚えている限りのフィーネの記憶は、シキとカヤとお茶をしていたところまでだ。いつものようにのんびりと院の庭でお茶会をしていた。特に変わった事はなかったはずだが、その途中で記憶はぷっつりと途切れている。
まったく状況がつかめず、困惑しながら意味もなくきょろきょろしていると、不意に部屋の扉が開いた。
「お、目ェ覚めたか」
入ってきた人物は、いつもの朗らかな笑みを浮かべたシキだった。片手には盆を持っている。フィーネはさらに混乱した。
「状況、わかってねぇよな?」
問われて頷く。わかるはずもない。
シキは持ってきた盆を机に置いて、載っていた水差しから薬湯のようなものを器に注ぎ、フィーネに差し出す。
仕草で飲むように促されて、フィーネは恐る恐る口をつけた。すっきりとした香りと味わいが意識を一段と明瞭にする。フィーネが器の半分ほどのそれを嚥下するのを待って、改めてシキが口を開いた。
「まずは場所について。ここはとある貴族の屋敷の離れだ。名前は、聞いてもフィーネはわかんねぇと思うし、特に重要でもないから省くぜ。で、なんでこんなとこにいるかっつーのは、俺とカヤがあんたに一服盛って眠らせたから」
「一服……盛って?」
ふつう、その表現は結構不穏な状況の時に使われる気がする、とフィーネは思った。
そんな思いが顔に出ていたのだろうか、シキは面白そうに笑った。
「そう、一服盛って。無味無臭、後遺症なしの安心安全優れモノの睡眠薬を使ってな。念のために訊くけど、体に違和感とかないよな?」
言われて、自分の体に意識を向けてみる。特に気にかかるところはない――どころかよく眠れた朝のようにすっきりした心地だった。
「むしろ、気分がいいくらいだけど――って、睡眠薬……を盛ったの? どうして?」
「あんたを攫うために。やっぱり攫うなら、意識を失くさせてからってのが普通だろ?」
当たり前のことを語るようにシキが言うので、フィーネは混乱した。
「私、攫われたの? シキくんとカヤくんに?」
我ながら頭の悪い質問だと思いながら、フィーネは問わずに言われなかった。だってわけがわからなかったのだ。
「そう。誰の依頼で、っていうのは、俺の口から言うことじゃねぇから言わねぇけど、そのうちわかると思うぜ」
「……私の、知ってる人なの?」
「さぁ、それは会ってのお楽しみだな。心配しなくても害は与えねぇから、そこだけは安心してくれていいぜ。だから、悪ぃけど大人しくしててくれよな? 乱暴なことはしたくねぇし。フィーネだって縛られたりとかするのはイヤだろ?」
もちろんいやだ。いやだが、わけのわからないまま甘んじさせられるこの状況そのものだっていやだ。
そんな思いが顔に出ていたのか、シキは困ったように笑った。それは今まで接してきたシキと何ら変わりない表情で、フィーネはますますなぜ攫われるなんてことになったのかわからなくなる。
「……シキくんたちはセイがつけた護衛……だったけど、裏切ったってこと?」
「見方を変えりゃそうかもだけど、俺としてはそういうつもりはないぜ。あんたを守れっていうセイの依頼も、あんたも攫う依頼も、どっちも仕事としてきっちりやってるだけだ。カヤもたぶんそうだと思うぜ」
シキの返答を聞いて、フィーネは観念した。これはたぶん、何を言っても無駄だ。そしてシキたちを出し抜いて脱出するなんてことも、考えるだけ無駄だろう。彼らがあえて見逃してくれない限り、そんなことはできないに違いない。
「私の身の安全は、保障されてるんだよね?」
「ああ、そこは保証する。『攫う』ことが重要であって、あんたを害するのは依頼人の望みじゃないし、セイの依頼とも反する」
「いつか解放はされるんだよね?」
「いつになるかは状況次第だけど、それは約束するぜ」
それなら仕方ない、とフィーネは割り切ることにした。「そう」と頷くと、シキはフィーネが空にした器を盆に載せた。退室するのだろう。
「ごはん、出る?」
フィーネが訊くと、シキは笑った。
「監禁生活で食の楽しみがなかったらしんどいだろ。カヤがシルフィードの料理あんたに食べさせたいみたいだから、楽しみにしててやってくれ」
「……それは、楽しみにしてる」
『監禁』という言葉にどきりとしたものの、そうなるのだろうと心構えはできていたので、フィーネはぎこちないながらも笑みを返した。
(本当、なんなんだろう、この状況……)
シキがいなくなった部屋で、改めて言われたことを思い返しながら、フィーネはちょっと頭を抱えて、どうしようもない気持ちを堪えたのだった。
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