聖王国セントバレットの新王即位事情
空月
本編
1.序
細い三日月が世界を照らす夜。
一人の男が窓辺に腰掛けて外を眺めていた。
髪は金。月の光よりは日の光に似た赤みがかった金色が、時折風に吹かれて揺れる。
「そろそろ……か」
ぽつり、と呟いた言葉が夜闇に落ちた。
「アンタ本気であの馬鹿げた計画実行するつもり?」
唐突に響いた声は成熟した女のもの。その非難する声音に、部屋の主である男は唇を弧の形に歪ませた。
「馬鹿げた計画? 一体何のことだか」
「すっとぼけんじゃないわよこの傍迷惑自己中男。アンタが自分の子供駒にして何年も前からコツコツ進めてる計画のことよ」
心底苛立たしげに言った女に、男は胡散臭い笑みを浮かべて向かい合う。
「駒だなんて人聞きの悪い。子供は子供だし、血を分けてるわけだから愛しいさ。物みたいな扱いをしているつもりは無い。私が手元で育てなかったのは自由な環境で育って欲しかったからだし、きちんと信頼できる人物に預けてある。何か問題が?」
「大有りよ。第一『信頼できる人物に預けてある』ですって? あれの何処が信頼できる人物なのか是非ご教授願いたいわ」
「これは驚きだ」
男は大げさに驚いた風を装った。女はそんな彼をねめつける。
「君は自分の友人を信頼していないって言うのか?」
「そっちの話じゃないわよ! アンタわかって言ってるんでしょう、ほんっとタチの悪い男ね!!」
吐き捨てるように怒鳴られて、意外だと言いたげに男が眉をひそめる。
「私がタチ悪いっていうのはとっくの昔に知ってるはずだろう? なのに君がそこまで突っかかるなんて、……愛の成せる業かな」
「ふざけないで。ついでにその気色悪い言葉遣いも止めなさい。不快だわ」
「やれやれ、手厳しい奥方様だ」
女の言葉に大仰に肩をすくめた男は、次の瞬間がらりと雰囲気を変えた。威圧的で不遜な――王者のそれに。
「……で、お前は結局俺を止めたいのか? 今更口出しして止められると思ってるんならお前も相当甘くなったもんだな」
「……っ……」
言葉に詰まった女に男が意地の悪い笑みを浮かべる。と、そこに第三者の声が響いた。
「いやいや、彼女は甘いんじゃないと思うよ。止まらないと知っていても一縷の望みに賭けて、最後の最後に言いに来たんだろう?」
「……出たわね、神出鬼没軽薄野郎」
何時の間にか部屋の戸に寄りかかっていた人物に剣呑な視線を送る女。送られた方は大して気にした風もなく――恐らくそれが日常なのだろう――読めない笑顔で彼女に挨拶をした。
「やあ。昨日ぶりだね、リリア。怒った顔をしているとせっかくの綺麗な顔が台無しだよ? それに『野郎』だなんて、一国の妃がそんな言葉遣いをしたらいけないだろう?」
「一日でアンタの性根が叩き直されてることなんてないとは思っていたけど、相変わらず薄っぺらい言葉しか吐けないみたいね。その社交辞令いい加減止めないとシオンの所に暗殺依頼出すわよ」
あからさまな嫌悪の表情にも、彼は楽しげな表情を浮かべる。
「……だ、そうだよ。もし本当に暗殺依頼が来たら、君は僕を殺しに来るのかな?」
「さあ、それはどうでしょう。そのときの気分と依頼金額によりますかね。とは言っても貴方はそう簡単に殺されてくれなさそうですから、できれば受けたくないですが」
新たに場に参入した男は、淡々と言葉を返す。
「リリアはともかくとして、リツとシオンまで入ってくるとはな。……まったく城の警備はどうなってるんだか」
思わず呟いた男に、窓からというなんとも言えない場所から侵入を果たした、シオンと呼ばれた男は生真面に告げた。
「心配しなくても誰も殺してはいませんよ」
「それに、こんな大きな城なんだから死角なんていくらでもあるしねえ。そうそう利用できるのは少ないけど」
食えない笑顔で付け加えたリツに、その『死角なんていくらでもある城』に住んでいる男は疲れたような溜め息をつく。リリア相手には全く崩されることの無いペースも、リツ相手では狂わされ放題になってしまう。
「まあいい。……で? お前らもリリアと同じように止めに来たのか?」
だとしたら無駄だ、と言外に含ませて、リリア曰くの『馬鹿げた計画』を実行している張本人にして、この国の主であるガルゼウス=クラウン=アグリシア=セントバレッドは三人を睥睨する。その視線をへらへら笑って流したのは、やはりリツだった。
「いや? 僕はそんなつもりはないよ。君がやろうとしていることに口出しする権利なんて、僕には無いだろうからねえ」
「権利がどうこうって話じゃないでしょう! アンタはこいつがやろうとしていることについてなんか思わないの? こいつは香葉の復讐を理由に、子供の人生を弄んでいるのよ!?」
「だって、曲がりなりにもガルは最高権力者だからね? 僕みたいな一般人が王サマの意向にあれこれ言えないじゃないか」
全く真実味の無い口調で飄々と嘯くリツに、ついにリリアの忍耐が切れた。
「いいかげんにしなさいよ! アンタたちに普通の神経求める方が間違ってるって言うのは嫌ってほど知ってるけど、だからって人ひとりの人生狂わせて平気なほど人間捨ててないでしょう、アンタもシオンも! 自分が育てた子供のこと可愛くないの?!」
激昂したリリアに、さすがにやりすぎたかとリツは自省する。リリアを怒らせるのは本意ではないのだ。ただつい怒らせるようなことを言ってしまうだけであって。
「落ち着いてください、リリア。私だって自分の育てた子供に愛着くらい持っていますよ。でもいくらガルが香葉のことになると周りも見えずに考えなしで突っ走っていく馬鹿でも、そこまで酷いことにはならないだろうと思いますし、私たちが何か言ったところで止まるような生易しい性格をしていないということは周知の事実ですから、とりあえず放っておこうと考えてるだけです。だからそんなに興奮しないで」
ほら深呼吸、となんだか場にそぐわない気がしないでもないことを言うシオン。そんなシオンのペースに見事に飲み込まれたリリアは、言われるままに深呼吸をする。
さりげなく貶されまくったガルゼウスは、苦虫を噛み潰したような顔でだんまりを決め込んでいる。そんなガルゼウスにリツはいつも通りの軽薄な笑顔を浮かべて囁く。
「君がどんなことをしようと僕は止めはしない。その代わりに僕が何をしようと君に止めることはできないよ? せいぜい馬鹿なことをして、いつか香葉の元へ行ったときに盛大に罵られるが良いさ」
眉間の皺を一層深くしたガルゼウスが口を開く前に、「それではお先に失礼するよ」とその場を後にする。あまりの迅速な行動に何を言う暇もなかったガルゼウスは、幾度か口を開閉し、けれど相手がいないために結局口を閉ざした。
その様子を見ていたシオンは、内心でほっと息をつく。リツが何をしようとしているか、多少なりとも知っているからだ。
誰も死なない未来の為に、真っ先に動いた彼。
それを知っているのは恐らく自分ひとりだろうと、肝心なことを誰にも言わないリツに苦笑を漏らす。問われれば答えるけれど、問われなければ何も言わない。軽薄な笑顔で巧妙に隠された、その想い。
「リツもいなくなったことですし、そろそろ私も帰りますね。ガル、邪魔はしませんからせいぜい好きにやってください。リリアはあまり思いつめないように。今度気晴らしにでも連れて行ってあげますよ」
では、と窓枠を飛び越えてシオンは闇の中へと消えた。部屋に静寂が落ちる。
「……わたしも部屋に戻るわ。アンタが救いようのない馬鹿だってことは再確認したから、もう何も言わないわよ。……だけど、今のアンタ見たら、香葉は泣くだろうってことだけは忘れないで」
そう言い残してリリアが部屋を出て行き、部屋の本来在るべき姿――つまりガルゼウス一人がいる状態――になる。ガルゼウスは小さく息を吐き、窓の外に目をやる。
嘲笑うような三日月が、煌々と彼を見下ろしていた。
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