蒼銀の竜契約者

深田風介

第1話 蒼空

プロローグ


「リーサ、何をつくっているんだい?」

「決まっているじゃない、あなたへのプレゼントよ」


 そう言ってほほえむ彼女はまるで天使のようだ。愛しさが込み上げてくる。


「なんでまた?」

「だってもうすぐあなたの誕生日じゃない」

「もうすぐといっても2月も先じゃないか。ちょっと早すぎるんじゃないかい?」

「当日は会えないから、早めに渡さないと困るでしょう?」


 確かに。僕の誕生日はいつも国民総出で行われる。その中で僕を心から祝ってくれる人はどれだけいるだろうか。おそらく数えるほどしかいないだろう。王族は嫌われているから。

 でもそんなことは気にしない。なぜなら…


「去年は手編みの手袋をくれたね。今年は何をくれるんだい?」

「まだなーいしょ。でも楽しみにしててね。私は貧乏だから高いものは渡せないけど、そこは愛情と技術でカバーするからっ!」

「愛情って。よくそんなこと恥ずかしげもなく言えるね」

「あたりまえじゃない。あなたを愛していることは事実だもの。でもこんなこと2人きりの時じゃないと言えないわ。ばれたら大変だもの」


 王族と平民。結ばれることは決してない。

 でも、第一王子であるこの僕なら、変えられるかもしれない。


「そうだねーー僕も愛しているよ、リーサ」


 その瞬間、みるみる彼女の顔が赤くなっていく。僕はそれを見るのがこの上なく好きなんだ。まあ彼女の表情の変化は全部好きなんだけど。


「もーなんでそういうことをサラッと言えるのよ。そんなだったらさぞ貴族のお嬢さん方におモテになるのでしょうね」


 ぷいっと怒ったように顔をそむけるのも、もうほんとにかわいい。それが照れ隠しによるものだとわかっているから余計に。


「ごめんごめん、でも君だって同じじゃないか」

「私は自分から言うのは平気だけれど言われるのは苦手なのっ!」

「はいはい、よく知ってるよ。そんなところも好きだ」


 白磁のような白に戻りつつあった彼女の顔がまた赤色に変化していく。でも、今度は顔をそむけなかった。


「私も好きよ、あなたのこと。心から、愛してる」


 彼女が胸に飛び込んでくる。僕はしっかりと受けとめ、強く抱きしめる。そしてその美しい栗色の髪をなでる。


 こんな時間が永遠に続けばいいのに。

 彼女と最後の瞬間まで一緒にいたい。


 そう思うことは罪だろうか? 罪なのだろう。今のこの国では。

 なら、変えてやる。変えてみせる。僕が王位を継承すればこの国を変えることができる。身分に関係なく愛し合うもの同士が結ばれるように。


 しかし、父は絶対に許さないだろう。厳格で伝統を重んじる、絵に描いたような王である父は。

 だから、この思惑を悟られてはならない。制度を変えるまでリーサと会っていることも何が何でも隠しとおさなければ。

 いくら第一王子とはいえ、妹や親戚たち以上に優秀であり続けないと王位を継ぐことはできない。


 やるべきことは山積みだが、少しも苦ではない。

 だって彼女が、リーサが近くにいてくれるから。


「リーサ、僕はやるよ。身分に関係なく、たとえ王族と平民でも結婚できるような、そんな国にしてみせる。

「……待ってる。いつまでも」


 そう言って僕と彼女は、唇を重ねた。



 数日後。



 その日は、雨が降っていた。地面を叩く音が聞こえるくらいの、雨。


 その場所は、僕と彼女が人目につかないよう隠れて会っていた、森の中の小さな空き地。


 いつもは緑と陽の光にあふれ、燦然と輝いているその場所が、今は豪雨と暗闇により不気味な様相を放っている。


 普段二人で腰掛けている大きな木の根本に、彼女はいた。


 物言わぬ体となって。


 真っ先に浮かんできた感情は、疑問だった。


 なぜ。どうして。


 疑問や悲しみ、様々な感情がうねり、ぐちゃぐちゃになった頭は上手く働かない。

 僕はリーサの亡骸を抱きしめ、ただただ涙を流す。雨が涙を洗い流していくが、溢れでる涙はとどまることを知らない。まるで僕の悲しみのように。


 どれだけそうしていただろう。


 時間も忘れて抱きしめていた彼女の体は氷のように冷たい。もう、動くこともない。

 死してなお、その姿は美しく、愛しさと悲しさが同時にやってくる。


 誰だ。誰が彼女をこんな目に合わせた。


 蛮族か。グレン王国の兵か。それとも僕のことを快く思っていない王族のやつらか。

 許さない。許さない。ゆる、さ……


「うっ、うううう」


 嗚咽を抑える。だめだ、こんなざまでは仇を討つことなどできない。

 暴走しようとする感情を必死に押さえ込み、手がかりを探す。何か、何かないか。

 ただでさえ狭いこの空き地を見回すが、何も落ちてはいない。あとは、彼女の体だけだ。


 傷は、首にある交差した切り傷のみ。


 きれいにクロスした傷跡は痛ましい。目をそむけ、泣くな、泣くな、と自分に言い聞かせる。


 手がかりはこの一つのみ。それだけでもありがたかった。こんな特徴的な殺し方をする人間はそうそういないだろう。必ず見つけだし、この手で殺してやる。そいつが誰かに指示されていたなら、その依頼主も殺す。そいつの大事にしているもの、すべてを奪ってやる。


 雨はリーサの血液と僕の涙を容赦なく洗い流していく。でも、僕の、身を焼くような復讐心まで消し去ることはできない。

 このまま亡骸を放置するわけにもいかない。身よりのない彼女のためにも僕が墓をつくらなければ。


 痛い。胸が痛い。


 痛みを忘れるために無心で穴を掘っていく。木の根本付近の地面は根が無数に張られており、なかなか進まなかったが、むしろありがたかった。この作業が終わるということは、彼女との永遠の別れを意味するのだから。

 人一人が入るくらいのスペースは確保できた。

 彼女の体を動かそうとしたとき、体の下に紙袋の端が見えた。急いでそれを引っ張りだし、中を見る。


 そこには、手編みのマフラーがあった。


「彼女が内緒にしていた、僕へのプレゼント……」


 彼女の匂いがするそれに顔をうずめ、また、涙を流す。

 そうしていると、彼女の笑顔、愛らしい声、僕にかけてくれた優しい言葉を思い出す。

 ケンカしたこともあったけど、彼女と過ごした一日一日は、どうしようもなく楽しかった。充実していた。

 継承権争い、父や他の貴族へのご機嫌とり。 無味乾燥な毎日に、彼女が色を与えてくれた。僕の、すべてだった。

 穴に彼女を降ろし、その唇にキスをする。温かく、柔らかな感触は、もうそこにはない。


「君に誓う。必ず復讐を遂げると。君に、リーサに永遠の愛を捧げることを」


 そう彼女の亡骸に告げ、最後の別れをすます。

 墓碑となるような石は見あたらなかったため、代わりに腰に帯びていた剣を突き立てる。


 もう、悲しむのは終わりだ。

 涙をぬぐい、形見のマフラーを首に巻き、彼は歩きはじめる。何者にも消し去ることのできない復讐の炎をその身に秘めて。



本編



「じゃあなー」

「おう、また始業式に」


 友人と別れの挨拶を交わしてから、オレンジ色に染まった帰り道を歩く。


 今日もまた、昨日と同じような日だった。きっと、明日も。

 別に不満があるわけじゃない。ただ物足りない。それだけなんだ。


「なにか楽しいこと起きないかなぁ」


 いつからだろう。そんな言葉が口癖になったのは。

 何度口に出しても無意味だってことくらいわかってる。自分から動かないといけないことも。


 でも、新しいことをはじめるのは面倒くさい、と言うもう1人の自分が邪魔をして、何もしない。ただただ同じことを繰り返すだけ。学校へ行って、授業を受けて、友達とだらだら話して、家に帰る。


 お前は惰性で生きてるだけなんだ。これからもありきたりで平凡な人生が続いていくんだろうよ。そう誰かに言われてる気がした、いや、その誰かっていうのは自分なわけだけども。


「さて、音波おとはも腹を空かせてるだろうし、はやく帰ってやらないとな」


 たまに考えてしまうこういうことも、結局は日々の流れの中に埋もれていく。まるで無意識に見て見ぬふりをするように。


「あ、明日から夏休みだからもう音波のやつは家族旅行に行ってるのか。そういえば早退もしてたな。じゃあ急ぐ必要はないか」


 久しぶりに夕飯はカップ麺とかですませるか。たしか棚の奥に入れておいたはず。

 歩く速度を落として、ゆったりと歩くことにする。やることがなくなって残念なような気が楽になったような。


 さぁ、またつまらないことを考えてしまわないように新しいメニューでも考案するとしますか。


 そんな、当たり障りのない日常を送っていた俺に、ソレは唐突に訪れた。


「ぐ、あぁ!」


 何の前触れもなく、強烈なめまいと頭痛が襲ってきたのだ。同時に、身体全体が引っ張られるような感覚。

 なんだこれは…! 比喩とかじゃなく本当に頭が割れそうだ! それに、全身が引っ張られているようなこの感覚……まるで身体に強力なGがかかってるみたいだ。


 俺は突然訪れたこの不思議な出来事に対して何もすることができず、意識を保てなくなって、気絶した。


 意識を取り戻したとき、真っ先に感じたのが、若葉のにおいと、風。


「ここは、どこだ?」


 口をついてでたのは、そんなありきたりな言葉。


 地平線の彼方まで広がる草原。

 自分がいつも見ている空と同じものだとは思えないほど透き通った青空。

 その景色は、ありえない状況に置かれて混乱しているのを忘れさせるほど、印象的で。

 やらなくちゃいけないことがあるはずなのに、魅入ってしまった。


「って、ぼーっとしてる場合じゃない!」


 そうだ今は非常事態なんだ何をしている俺。とりあえずスマホのGPS機能で位置情報を確認しなければ。


「圏外、か……」


 むう。これは困ったぞ。いや困ったどころじゃないぞ。そもそもどうやって気絶してる間にここに来たのか誰かに運ばれてきたのか。

 周りを見渡したが人っ子1人いない。スマホの電波も届かない場所に一人きりとか完全に詰んでる。王手。チェックメイトだ。


「とりあえず人を探さないと」


 自分の身体に異常がないことを確認してから歩き出す。

 草原を踏む足からキシキシと小気味の良い音がし、空気もこれ以上ないほど澄んでいて、心なしか身体も軽く感じる。


 そんなこんなでパニックになりそうなのを必死に抑えながらひたすら真っ直ぐ歩き続けて2時間あまり。


「つっかれたぁ」


 不安や焦りから疲れが増大し、足がもう休ませてくれとわめきはじめていた。

 草原に手足を投げだし、大の字になる。柔らかな草は背中を優しく受け止めてくれた。


「キレイな空だなぁ」


 視界いっぱいに広がる蒼。心が吸い込まれそうになる。

 まずい、眠気が襲ってきた。こんな得体の知れない場所で眠り込むとか危険すぎる。なんとかひっつきそうになる瞼を開こうとしていたら、視界に不可解な何かが映り込んだ。


「ん?」


 くもりのない空にポツンと現れた黒い点。鳥だろうか、翼を動かして飛んでいるように見える。


「黒いな。カラスかな」


 その点が近づいてくるにつれ、色々と疑問点が浮かんできた。

 なぜこんなに点が大きくなるのが速いんだ。カラスってこんなに速く飛べたっけ。

 なにより、翼を4枚ももっているカラスなんていたっけ。

 さすがにカラスの顔の前に現れた魔法陣的な何かは見間違いだよ、な?


「おいおいおいちょっと待て」


 さすがに俺もそこまでバカじゃない。認めるしかないんだ。自分の身に危険が迫っていることと、ここが俺のいた世界とは全く別の場所だということを。


 心は不思議と落ち着いている。どうする。どうすれば生き残れる。相手は1匹。おそらくすぐに攻撃してくるだろう。


 こっちは地上。飛び道具なんてないし攻めることはできない。なら物陰に隠れて……ダメだ。岩陰まで行くには遠すぎる。


 そう考えてるうちにもあのどこかおかしいカラスが迫ってくる。


 まずは初撃を避けなければ。きっと次の攻撃を行うまでタイムラグがあるはずだ。物理攻撃されたら終わりだけど。


 目を逸らすな。攻撃するその瞬間を見極めて……。

 魔法陣らしきものが一際大きく輝いた瞬間、全身の筋肉を使って前方に跳躍する。


 その数秒後、背後から轟音が聞こえてきた。


 確認すると、俺がさっきまでいた場所がゴッソリ削られていた。周囲の草もバラバラにちぎれている。


 冷や汗がタラリと背を伝う。よ、よかった。なんとか避けれて。あんなの直撃してたら即死してるぞ!

 間髪入れず走り出す。次の攻撃がくるまでにあの岩陰に……。


 チラリと上を見上げて絶望した。もう魔法陣らしきものが形成されている。さっきの経験上、つぎの衝撃波が放たれるまでに、間に合わない。


 分かった瞬間、力が抜け、ぺたりと座り込んでしまう。


 もう、無理だ。どうやったって助からない。


 なんで。なんでこんなことに。イヤだ。死にたくない。そもそもなんでこんな意味の分からないやつに、全く知らない場所で殺されなきゃいけないんだ。


 この世のすべてを呪いながら死の恐怖に脅えてながら覚悟を決めたとき、奇妙な音が耳に飛び込んできた。

 それは、空気を引き裂くような音。航空機より戦闘機に近い、でも確実に異なる何か。


 その光景を忘れることは、おそらく一生かかっても無理だろう。それほどまでに、衝撃的で。


 俺を攻撃しようとしていた4枚羽のカラスを瞬く間に撃退したのは、蒼い鱗を身にまとった、竜、だった。

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