神様の存在を許さないレストラン

鶏の照焼

第1話

 お客様は神様です、という言葉がある。金を落としてくれる客の言葉には絶対服従。決して気分を害してはならず、店員はどのような場合であっても常にへりくだった姿勢を見せなければならない。そんな意味の言葉である。

 そして今現在、この言葉は世界中の店で適用されている。例外もあるにはあるが、その殆どはこの暗黙のルールに盲目的なまでに従っていたのである。

「私は昔から、このルールには疑問を持っていたんだよ。確かにお金を払って利益に貢献するのはお客の方だが、だからと言って、客の方から偉ぶる態度を取るのは間違っていると思うのだ」

 美食家の安西元泰(あんざいもとやす)は、インタビューの席でそう言及した。取材にやってきた雑誌の記者から、件の言葉について質問されての反応である。

 半生をグルメに費やし、世界中を渡り歩いてありとあらゆる食を堪能してきた彼は、その「客こそ上位者である」という風潮を苦々しく思っていたのであった。

「提供する方にも、それを食べる方にも、等しく礼儀というものが存在する。互いが互いを尊重し、礼を払って接してこそ、楽しい食事が出来るのではないかね? 客の方から一方的に要求を押しつけ、それが通らなかったら激昂する。これは非常に馬鹿げたことだよ」

「お客の方も店に対して敬意を払え、ということでしょうか?」

「その通りだ。特に客は店に対して”食ってやっている”というのではなく、”食べさせていただいている”という態度を取るべきなのだ。自分でその料理は作れないからその店に入っているというのに、そこわざわざその料理を作っている料理人にケチをつけるなど、我が儘も甚だしい」

 元泰は見るからに憤っていた。皺だらけの顔は真っ赤になり、目もうっすらと充血していた。インタビュアーは本気で怒る元泰を見て苦笑いを浮かべたが、一方で彼の気持ちを理解してもいた。一々スタッフを呼びだして大声でクレームをつける客というのは、同じ客からしても鬱陶しいことこの上ないのだ。

「まあ私としても、邪魔だなって思うこともありますね。静かに食事したいのにあれこれ文句付けて、こっちまで気分悪くなりますよ」

「そうだろう、そうだろう? まったくクレーマーというのは自分のことしか考えてないから困る。ああいう連中は本当に困ったものだよ」

 元泰はそれまでから一転して、さも嬉しそうに表情を輝かせた。目の前に賛同者がいた事がとても喜ばしかったのか、それから彼は今まで以上に饒舌になった。

 おかげでそのインタビューは順調に進んだ。元泰が自分からどんどん喋ったために、予定よりずっと早く終了した。さらに元泰は機嫌の良いまま、そのインタビュアーにこう持ちかけた。

「ところで、どうだい? この後一緒に食事に行かないかね? いい店を知ってるんだ。きっと気に入ると思うよ?」

 いきなりそんな事を言われて、インタビュアーは最初困惑した。そんな彼を見つめる元泰の目は、子供のようにキラキラ輝いていた。

 明らかに自分との同伴を心待ちにしている顔であった。

「もちろん、お金は全部私が出す。それに君に紹介するのも、そこら辺にあるただ高いお店じゃない。どうだい、ワクワクしないかい?」

「……わかりました。ご一緒しましょう」

 インタビュアーは断れなかった。食事先でまた新しい話が聞けるかもしれないという打算と、彼の提案を無碍には出来ないという良心の呵責が噛み合った結果であった。好奇心も多分に含まれていた。

 それを聞いた元泰は心から喜んだ。

「そうか、そうかそりゃあいい。じゃあさっそく向かうとしよう。善は急げだ」





 そうしてインタビュアーが連れられて来たのは、一軒の地味なフレンチレストランだった。そこは街角の隅に小さくぽつんと建てられた、まさに隠れ家とも言うべき店であった。

 スタッフの応対も丁寧で、料理も相応に値の張る物ばかりだった。小さいながらも、ここはそれなりに「お高く」とまった店なのか。インタビュアーはそう理解した。

「ここはまさに、知る人ぞ知る名店といった場所なんだ。たまに店の方から招待状が送られて来て、それでやってくる客もいるけどね。誰も彼もが知ってるようなお店じゃあないのさ」

「確かに、この店の名前は聞いたこと無いですね」

「そうだろうとも。だから君、あまりこの店のことは他人に言いふらさないでくれよ? ここはまさに、選ばれし者の集う店なんだからね」

 それから注文を頼み、料理が運ばれてくるまでの間、インタビュアーと元泰は大いに話し込んだ。そうする内に彼らの元に料理が運ばれてきたので、二人は会話を中断して食事を楽しむことにした。

「美味しいですね」

「だろう。私はここの出すパスタが最高に好きなんだよ。うん、たまらん」

 提供される料理は、そのどれもが値段相応の質と量を誇っていた。これなら一万円払ったって文句は無い。インタビュアーは一皿三千円はするそのパスタをそう賞賛し、そのままぺろりと平らげてしまった。

「どうだい? 美味かったかい?」

 そうして食べ終わった時には、元泰が満面の笑みを浮かべながらそう問いかけてきた。インタビュアーは何度も首を縦に振り、ナプキンで口元を拭いてから彼に答えた。

「最高です。ここまで美味い店があるなんて知りませんでした」

「そうかそうか。喜んでくれて何よりだよ。私もこの店の味が大好きなんだ。もっとも、それは二番目なんだけどね」

「二番目?」

 インタビュアーが問い返す。元泰は頷き、グラスに入った水を飲んでから口を開く。

「私がここを気に入っている一番の理由は、神様がいないことなんだよ」

「は?」

「ほら君、ここに来る前に話してただろ。お客様は神様です、って奴さ。その神様のことだよ」

「ああ、なるほど」

 インタビュアーはようやく理解した。しかしすぐに、また別の疑問が浮かんできた。

「その神様がいないって、どういうことですか? お客は神ではないと?」

「なんと言ったらいいかな。ここではスタッフと客は対等の立場にある、と言うべきかな。互いが互いを尊重しあう、いや尊重すべきだという強い理念の元に経営されている、そういう店なんだ。客もスタッフも横柄な態度を取ってはいけないということさ」

 行きすぎたクレームは御法度ということなのだろうか。インタビュアーがそう尋ねると、元泰は「まさしくその通り」と答えた。

「ここに神はいない。店は奴隷ではない。傲慢な態度には、それ相応の反応(レスポンス)が帰ってくる。そういう店なのさ。見てみなさい」

 元泰が会話を中断し、店の一角を指さす。インタビュアーがそちらに目を向けると、そこでは客とウェイターが何やら口論をしていた。

 いや、違う。正確には、椅子にふんぞり返った客がああだこうだと喚き散らし、ウェイターはそれに対してひたすら頭を下げるだけだった。

「何かやらかしたんでしょうか? それにしては……」

「ああ、やりすぎだな」

 その年老いた客は完全に調子に乗っていた。男は禿げ上がった顔を真っ赤にして、自分より二回りも若いスタッフに向けて大声で暴言をぶつけていた。それこそ言葉にするのも憚られる程の、薄汚い野次の連続であった。

「このクズめ! ノロマめ! お前みたいな野郎がなんでこんな店で働いてるんだ! 最近の若いもんはこれだから困る! お前がこの店の品位を下げてるんだぞ! わかってんのか!」

「申し訳ありません、申し訳ありません!」

 人格の否定までされているのに、そのスタッフはひたすら謝り通していた。男の向かい側に座っていた女も、それに同調するようにスタッフを罵っていた。

「まったく、なんであなたみたいな人がここにいるのかしら? 店長を呼んで! もうあんたじゃお話にならないわ!」

 それを聞いて、若いスタッフが一目散に厨房へ飛び込んでいく。二人のクレーマーは達成感すら感じさせる顔を見せながら、なおも椅子にふんぞり返っていた。

 その一部始終を目の当たりにしたインタビュアーは、苦虫を噛み潰したような顔を見せた。他の客も全く同じ表情であった。

「……あそこまでする必要は無いでしょうに」

「あれは招待状をもらった客だな」

 一方で元泰は合点がいったような顔をして、一人呟いた。インタビュアーはそれに反応し、彼に向けて怪訝な表情を見せた。

「あんな客に招待状を出すんですかこの店は? ここのコンセプトと真逆の連中じゃないですか」

「まあ、尊重とは無縁の連中だな。だからこそ呼ばれたのさ」

「……どういう意味です?」

 インタビュアーが尋ねる。元泰はニヤリと笑って言い返す。

「さっきも言ったろう。ここは神様の存在を許さない店なのさ」

「申し訳ありませんでした。私がここのオーナーでございます」

 元泰の言葉と同時に、オーナーがクレーマーの前で頭を下げる。二人の老人は勝ち誇ったように笑みを浮かべ、オーナーはその後も頭を下げ続けた。

 たっぷり五秒、オーナーはその体勢のままでいた。それからようやく頭を上げ、老人二人と向き合った。

 そこでようやく、二人はそれに気づいた。

「ですがもう少し、他のお客様の事も考えていただけないでしょうか」

 彼の手には拳銃が握られていた。

 その銃口から閃光が迸り、女の額に穴が開いた。

「ひっ……!」

 それまで神のように偉ぶっていた男が、唐突に女のような悲鳴を上げた。彼の連れである老女は力なくテーブルに突っ伏し、まだ皿の中に半分以上も残っていたスープの中に顔を打ち付けた。

 スープが赤く染まっていく。その女の後頭部めがけ、オーナーは立て続けに三回引き金を引いた。

「う、うわああっ」

 男が椅子から飛び上がる。その顔は青ざめ、それまであった優越感は完全に無くなっていた。

「な、なんで、なんでこんな」

「我々は奴隷ではありませんので」

 オーナーが引き金を引く。男の眉間に風穴が空く。

 頭から血を垂れ流し、男がどさりと崩れ落ちる。オーナーは無言で銃をしまい、周りの客はその一部始終を見届けた後に食事を再開した。

 インタビュアーは一人、顔を真っ青にしていた。彼は元泰に「まあ座れよ」と言われるまで呆然とその場に立ち尽くし、彼に言われて席に着いた後も、血の気の引いた状態から立ち直れずにいた。

「びっくりしただろう?」

 そんな顔を見て、元泰はいたずらっぽく笑った。インタビュアーは水を一息に飲み干して心を落ち着かせ、それから元泰に話しかけた。

「なんであんなことしたんです?」

「神様を気取っていたからだよ」

 元泰の態度は素っ気ないものだった。今起きたことをまるで気にしていないようであった。

「まあ、店の総意みたいなものだね」

 続けて元泰が口を開く。彼はそのまま水を一口飲み、それからインタビュアーに向かって小声で話しかけた。

「君も、くれぐれも他の店で無礼な真似はしないようにね」

 でないと、君もここに招待されるよ?

 インタビュアーはただ首を縦に振るしか無かった。





 それからそのインタビュアーは、誰にもその店の話をしようとはしなかった。元泰の言いつけを律儀に守ったのである。

 しかし時折、彼の知り合いが「変な招待状をもらった」と彼に相談してくる事があった。そこには彼が以前訪れた店の名前が記されていた。

 インタビュアーはそれを見て、「そこは普通の高級レストランだよ」ととぼけるように答えた。しかしその後、ついでに付け加えるようにして、彼はその相談相手に言った。

「でも、くれぐれも礼儀正しくするんだぞ」

 俺はちゃんと忠告したからな。インタビュアーは心の中で念を押した。

 神様気取りで痛い目を見るのはお前の責任だからな。

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