第1章 コンクラ(ー)ベ 6話

 いつもより早く、登校する生徒たちに挨拶をすべく家を出たのだが、飛香からのメールによってさらに急かされることになった。まったく要件も言わず、急げの一点張りでわけがわからない。そんなに遅く家を出たつもりもない。

 駆け足で学校まで急ぎ、その横を平然と千華雅が並走してきたのに驚きつつ、昇降口にたどり着く。そこには人だかりがあった。

「なんだ、この群衆は」

 俺はつぶやきつつ、急かした張本人である飛香の姿を探す。彼女は人だかりから少し離れたところの柱に寄りかかり、難しい顔をしていた。

「どうしたんだ、飛香さん」

「やられたわ」

「なにを?」

「見てもらった方が早いわ」

 言うが早いか、無言の圧力を発し、まさにモーゼのように人の海を割って歩く。俺と千華雅は顔を見合わせてからその後を追った。

 人の壁として存在する彼らから刺すような視線を感じながら肝心の場所、掲示板の前にたどり着く。そして、飛香の指し示す、いや、指し示さなくても否応なしに目に入るそれを見た瞬間、俺は言葉をなくした。

 慌てて振り返ると、群衆は慌てて顔をそむけ、しかし、目は好奇の色を宿して俺たち二人、すなわち、俺と千華雅を見ていた。

「やられたって、こういうことか……」

 顔面から血の気が引くのが自分でもわかった。

 掲示板に貼られていたもの。それは、ほかならぬ俺と千華雅に関するゴシップ記事だった。でかでかと載せられた写真は千華雅が俺にキスしている場面。しかも、アングルのせいか、もろに唇にしているようにさえ見える。いや、事実を知らなければ、そうにしか見えない。その他、下校中に戯れている様子を写したものが数枚。そして、肝心の記事の内容はというと、

「…………」

 まったくもってふざけるなと言うより他なかった。兄妹間恋愛を問題視し、生徒会長選に出馬していることへの批判が主。つまり、モラルのない人間がそんな役職に就くなど言語道断と言いたいのだ。

 だが、俺がむかついたのはそんな主張そのものではなく、そのことを面白おかしく書き立てる文面にだった。

「ごめんなさい、御影」

 そんな言葉を耳が捉えると同時、千華雅は顔を伏せてその場から走り去った。当然、彼女のことを好奇の目で追う者が多数いたが、追いかけるようなことはさすがにしなかった。もしもそんな奴がいたら、殴ってでも引き留めただろうが。

 だが、それよりも心配なのは、彼女の眼尻に浮かんだ一滴の涙のことだった。

「御影くん、ここを離れましょう」

 言うが早いか、飛香に腕を引かれてあまり人の利用しない階段の踊り場まで連行された。

 腕を引いていた手をさっさと離して彼女は言葉を作る。

「さて、この状況、御影くんならどう見ますか?」

 俺は考えるでもなく、

「対抗馬を減らしたい他立候補者の画策だろ」

「あら、なぜそう思うの?」

 少し不思議そうに、そして興味深そうにそう尋ねてくる飛香。俺は腕を組んで少し考えながら、

「まずは時期。俺と千華雅の仲をとやかく言いたいだけなら、もっと前に言っていてもおかしくない。俺が言うのもなんだが、結構有名なのは自覚している。そして、何よりも生徒会長選挙の出馬が公表されてすぐにこのような記事が出回るのは、やはり関係があってしかるべき」

 一呼吸置き、言葉を続ける。

「もう一つ。俺と千華雅をピンポイントに狙わない限りは、あの写真は撮影不可能だ。なにせ、あれは本当に一瞬の出来事で、見てからカメラを構えていたんじゃ間に合わない」

「へぇ……御影くんのわりに鋭いじゃないですか」

「茶化すな」

「そうですね。ここはそういう場面じゃありませんものね。で、どうしますか?」

 少し面白がるような表情だったのをすぐに引っ込め、実効策を問うてくる。俺は飛香の瞳をじっと見つめ、

「なんですか? こんなタイミングで告白したら、余計なスキャンダルが増えますよ?」

「そうじゃなくてだな……」

 どうやら飛香は脱線したいようだが、今ばかりはそうも言っていられない。茶化そうとする彼女を制するように肩に手を置き、

「新聞部へ行ってくれるか?」

 真面目な声で問う。彼女はしばし思案した後、腹黒い笑みを浮かべて、

「何なら、発行者の弱みでも握ってきましょうか?」

「いや、それはいい。今回は貶めるのが目的ではなく、誤解を解きたいだけだからな」

「そうですか……」

 すごく残念そうな顔をする。そんなに弱みを握って強請りたいのか、このお人は。末恐ろしい女の子だ。

「でもま、それぐらいなら簡単ですね。部長とは懇意にさせてもらってますし」

 その笑みは本当に楽しげで、本当に彼女に頼んでもいいものか不安にもなるが、こんな彼女だからこそ頼めるのだ。

「じゃあ、そっちはお願いする」

「ええ、わかったわ。受け渡しは放課後に?」

「まあ、そうだな。詳しいことはメールするよ」

「了解です。では、わたしはこれで」

 そう言って彼女はさっさと教室へと向かった。俺はその背中を頼もしくも、決して敵には回したくない気持ちで見送り、ケータイを取り出す。連絡先は千華雅。一つの確認をするためのメールを作成し、送信。返事はしばしかかるだろう。

 俺はこの後すべきことを頭の中で転がしながら教室へと向かった。

 解決するまでは針のむしろ状態なのは覚悟しなければならない。それよりも心配なのは千華雅だ。彼女の繊細さは俺が一番よく知っている。無遠慮な視線にさらされて、暴走しなければいいが。

 一抹の不安を胸に抱き、それでも“妹”を信じることにした。

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曖昧me妹 栗栖紗那 @Sana_Chris

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