第3話 潰える命
俺は平穏を欲していた
ここに来る前までは平穏な生活を求めていた俺は奴隷という立場だが、ある意味で平等な平穏な生活を送っていた。が、今後そんな日常を送ることができるのだろうか。
・・・
朝、いつもよりも早く目が覚めた。日はまだ沈んでおり、辺りは仄暗い。俺は体を微かに震わせる。それは明朝の低い気温のせいか、昨夜の出来事のせいか判別がつかない。いや、判別しないようにしているの間違いか。
「・・・・・・はぁ」
思わずため息が出る。この20日間、特に問題なく過ごしていた平和は昨晩の3人の行動によって破壊された。仮にあの3人と俺が共犯とでも思われたら・・・・・・いや、立場上疑われるだけでも死に直結する。どうすることもできない現状に不安に駆られる。
「ゴホッゴホッ」
周囲の奴隷たちは未だ眠っているようで、中にはうなされているものもいる。昨晩の出来事が衝撃的だったのだろう。うなされているものの顔は苦悶の表情をしている。
3人が殺された事、穴の中の死体の事、無表情で殺していく監視の事、今後の事・・・・・・どれも考えてもどうしようもない事だが、考えてしまう。頭がぐちゃぐちゃになってくる。
「・・・・・・ぇぇぇ」
考えていくうちに昨夜のことがフラッシュバックして、吐き気を催す。だが、もはや何も残っていない胃からは透明な胃液のみが出てくる。酸性の胃液を吐き出したため、喉がひりひりと痛む。
様々な事を考えていると、いつの間にか朝日は昇り、周りの者たちも起き出す。皆総じて顔色が悪い。仕方のないことだ。
「ゲホッゴホッ」
7番の咳が酷く、顔色が悪い。あれだけ鞭を打たれたためか、何かの病気にかかっているのではないか? まぁ、咳自体は俺も出てはいるが、7番ほどではない。
遠くから馬の足音と、車輪の転がる音が聞こえる。どうやらトードーが来たようだ。あの傷で来るとはある意味感心に値する。
「貴様ら、乗れ!」
トードーは怒気の混じった声で叫ぶ。おそらく昨日の出来事に対し、腹を立てているのだろう。その肩には包帯が巻かれている。
そんなトードーの声に焦ることなく、いつもの様に監視は檻の鍵を開ける。皆、逆らうことなく、粛々と馬車に引かれた檻の中に入っていく。
「貴様ぁ! バカにしているのか!」
トードーの怒号が響く。声の方向を向くと、7番が倒れていた。その様子から明らかに何かの病気を持っていることが分かる。
「ぐ・・・・・・ぅぅ」
トードーはいつもの様に鞭を振るおうとするが、肩を押え、上げかけた腕を静かにおろす。肩の痛みで思うように鞭が震えないのだろう。
「の、乗れ!」
トードーは鞭を振るうのをあきらめ、叫ぶ。7番はなんとか立ち上がり、おぼつかない足取りで何とか檻の中に入る。その顔は仄かに赤く、熱があるのは明確だ。あれだけ鞭を打たれたんだ。仕方無いだろう。
全員が乗ったところで馬車は出発する。馬車は20日前に来た道を戻るように走っていく。周囲の景色は行きとは逆に荒野から草原へ移っていく。だが、その心中は行きとは別の不安が溜まっていた。
・・・
少し広くなった檻の中で馬車は行きと同じく2時間ほどの時間をかけ、俺たちが出発した町の外壁へと到着した。トードーは馬車から降り、町への城門へと入っていく。共に乗っていた監視は俺たちの檻を取り囲むように周囲の警戒をする。あくまでも奴隷は財産というのか、それとも馬の為か。自分の命の為にも前者であってほしいが。
しばらくすると、2人の男女を連れてトードーが戻ってくる。男の方は白髪に掘りの深い顔をしており、その姿は品の良いタキシードのようなものを着ている。40代ぐらいだろうその人の顔には、いくつもの古傷が付いている。だが、それ以上に腰に付けている鞭が気になって仕方がない。そして女・・・・・・というより婆さんと言った方がいいだろう。彼女は手に捻じれた杖を携え、その折れ曲がった腰を覆うようにして漆黒のマントを羽織っている。頭には特徴的なとんがり帽子を被っている。その風貌はまさしく魔女の一言に尽きる。
「バックさん、こいつらです」
トードーは男に向かって手を擦りながら話す。どうやら男の名前はバックというらしい。トードーはバックの機嫌を伺うようにちらちらと顔を伺っている。胡麻をするにしてももう少し自然にできないものか。
「トードー様、お待ちください。今査定をしますので」
トードーとは対照的に重厚で落ち着いた声で話すバックは檻へと近づく。その後を追うように婆さんがゆっくりとした足取りで付いて行く。
「ではキットラーさん、お願いします」
「・・・・・・あんまり好きじゃないんだがねぇ」
魔女の格好をした婆さんはキットラーと言うらしい。キットラーがこちらに向ける視線は厳しく、好きじゃない理由は単に奴隷を不潔な対象として見ているためなのか、まるで汚物を見るような目をしている。
キットラーは俺たちへ杖を向け、何かをぼそぼそと呟く。それがなんと言っているのかは近い距離にいる俺にも分からなかった。
「ほう、素晴らしいですね・・・・・・筋肉もしっかりと付いていますし、目も程よい濁り具合。それでいて栄養不足というわけではない。良い調教をされていますね」
バックはトードーをべた褒めする。確かにトードーの奴隷に対する扱いは俺の考える扱いよりは良いものだった。その成果が出ているのだろうか。
「ただ、あれは駄目ですね。目が濁りきっている。鞭は程よくが基本ですよ、トードー様」
「ええ、そんなぁ」
バックは7番を指しながらトードーに説明をする。その内容は7番は他よりも値が下がるというもの。
俺はこの会話でようやくここに来た理由が判明した。トードーは昨日の出来事から俺たちを危険または不要と感じて売りに来たようだ。現在、その査定の為俺たちは品定めをされているのだろう。
「バックや、これらは駄目だ」
トードーがバックと7番の値について交渉していると、キットラーが首を左右に振りながら話し出す。
「これはすでに病魔に侵されている。この様子だと他もだろう。不浄じゃ。お主、どこでこれを使った?」
キットラーはまるで汚い空気を払いのけるかのように腕を振るいながら後ろへ後ずさる。病魔・・・・・・病気の事だろうか。病気の進行具合が一番酷いであろう7番を見ると、虚ろな目で檻の格子にもたれかかっている。キットラーの発言が正しいとするならば、7番だけじゃなく、俺たちも何らかの病にかかっているという事だ。
「あっ・・・・・・えー・・・・・・ハイネ鉱山です」
「お主・・・・・・」
キットラーは深く、呆れた溜息をつく。どうやら俺たちが鉱石を採掘していた場所はハイネ鉱山というらしい。バックはやれやれと首を振ると、トードーに向き直る。その顔は呆れかえっており、それを体で示すように小さく肩を竦める。
「トードーさん、これじゃぁ買い取ることができませんよ。それでもと言うなら教会での治療費も払ってもらうことになりますが・・・・・・高いですよ?」
「・・・・・・ですよねぇ」
トードーはがっくりと肩を落とす。教会というのはそんなに金がかかるものなのだろうか。項垂れるトードーの頭をキットラーは杖で突く。キットラーは一瞬こちらを見るが、すぐに顔をトードーへと戻す。
「小僧、耳を貸せ」
「え、あ、いたたぁぁ」
キットラーは返事を待たずにトードーの耳を掴むとぐいと自分の口元に寄せる。トードーは痛みの声を上げるが、構わずになにやら耳打ちを始める。
「え・・・・・・そうですか」
「ああ、森でいいだろう。獣が処理をしてくれる」
耳打ちが終わり、キットラーは耳を掴んだ手を離す。トードーは耳に痛みを感じているのか耳を押えながら受け答えをする。が、その表情は暗い。何か不利益な事でも聞かされたのだろう。
「バックや、儂はもう行くぞ」
「ええ、そうですね。ではトードーさん、またの機会があれば」
「え・・・・・・えぇ・・・・・・」
項垂れるトードーを尻目に2人は城門をくぐり、帰っていく。トードーは監視に指示を出すと、馬車に乗り、来た道を引き返す。売れないと分かって、このまま戻るつもりだろうか。
馬車は1時間ほど走り、その足を止めた。俺はもちろん、周囲の奴隷たちも不思議そうにあたりを見回す。7番はいつの間にやら目をつぶっている。眠っているのか気絶しているのか判別はつかない。周囲の景色は変わらず草原で、近くには森の始まりが見える。
しばらくして馬車から監視が下りる。そして、檻の鍵を開けた。一瞬解放されるのかと表情を明るくする者もいるが、監視の顔を見て、それも霧散する。監視はいつもの無表情な顔と共に1人の男を担ぎ上げる。
担ぎ上げられた・・・・・・いや、首根っこを思いっきり掴まれ、肩に載せられた7番は苦悶の表情をする。だが、すでにあまり力が出ないためか、抵抗をしない。
監視は担ぎ上げると、外に出て檻の鍵を閉めた。そして、乱暴に7番を地面に下すと、牢屋の鍵とは違う小さな鍵を取り出す。そして、それを使って7番の枷を外し始めた。
「・・・・・・」
その行為に対してもはやなんの抵抗の色も示さない7番は枷が外れた後もその身を地面に投げ出したままだ。監視は全ての枷を外し終わると、首に掛けられたプレートも外す。そして、監視は再び7番を担ぐと森へと消えて行った。
「「「「「・・・・・・」」」」」
固唾を飲み見守る中、監視は帰ってきた。そう、監視のみが帰ってきた。その肩に7番の姿は無い。森の中に7番を捨ててきたのか? 監視の行った行動の意図について理解した者たちは元々酷かった顔色がさらに青ざめる。
その後、何事もなかったように馬車はハイネ鉱山まで進む。奴隷たちの顔色は昨日の事も相まってかさらに悪い者になっている。
「屑ども! 働けぇ!」
トードーは俺たちが売れなかったせいかすでに日が沈み始めている中も、俺たちに働くように指示を出す。だが、監視達はそうではないようで、帰り支度を始めた。
「おい、今日はまだやるぞ!」
トードーはすぐに留まるように指示を出すが、これ以上は行わない契約なのか、監視達はそれを断る。トードーはごねるが、しばらくして諦めて、俺たちを檻へと戻す。
トードー達は馬車で走り去っていく。俺の頭の中には捨てられた7番の事についてでいっぱいになっていた。
このままいれば、俺は殺されるか、病魔で7番の様に捨てられるだろう。なんとしてでもここから抜け出さなくては。
俺は思案し始めた。どうすればここから抜け出せるのか、どうすれば奴らの目をかいくぐれるか。もし奴らに逆らいでもすれば、すぐさま電撃で意識を失う。そして、その後鞭で打たれること間違いなしだ。
(どうすれば・・・・・・どうすれば・・・・・・!)
俺の脳からはあるアイディアが閃く。一歩間違えれば死に直結するアイディアが。おそらく成功したとしても生存率は低いだろう。
俺は少しぼぉっとする頭の中で考える。そして、いつの間にか眠っていた。
日はとっぷりと沈み、辺りは月の光によって照らされた夜の風景が伺える。一見すれば情緒的な風景かもしれないが、そこには希望のない奴隷たちの姿があった。明日の命さえもわからない彼らを嘲るようにか、慰めるようにか、どこからかホゥと梟の鳴き声が響いた。
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