第二章三節後半

 とりあえず居間に戻り、さっきとは違う椅子に俺は座った。隣には静流。ただし人魚の姿で、なんだかフワフワユラユラしている。水のなかにいるみたいな感じだった。静流のご両親は、さっきと同じソファに座っているが、その姿も半漁人と人魚である。いや、俺は見かけで相手を判断しないことにしてるから文句はないんだが。というか、ちゃんと呼吸できて助かったぜ。

 ここは地上と水中、両方の特性を持った世界らしい。『忘却の世界』でも、かなり変わった種類のアレンジを加えているな。強利のようなまっとうな魔法とは、少し系統が違うようだ。

 で、さっきまで俺が座っていたソファ――静流のご両親のむかい――には、あの魔法使いが腰を降ろしていた。その背後には、例のボディガードみたいな、謎の傭兵みたいなのと魔法使い風の女が立っている

「兄がたおれたというのは、本当なのか?」

「はい。現在、療養中ではございますが」

「それで? どうなのだ?」

「いまのところ、よくなる兆候は見られません。最悪の場合、お命もあぶないかと」

「そうか」

「まさか、お義兄さんが」

 親父さんが深刻そうにうなずき、お袋さんが声をあげた。

「ですので、ぜひともルーイ様には、我が国に戻っていただきたく」

「その名前は捨てた。いま、私は流一と名乗っている」

 魔法使いの言葉をさえぎり、親父さんが少し考えた。思い切ったようにこっちをむく。

「私たちは『S&S』の王族だったんだよ」

 突然、わけのわからんことを言いだした。

「え? お父さん、何を言ってるの?」

「本当なのよ」

 静流の疑問に、お袋さんもこたえた。冗談じゃないってのは顔を見ればわかるし、『忘却の時刻』が充満してるこの状況からも明らかだが、それにしても。

「『S&S』に、海を制する一族があってね。私はそこの王子だったんだ。次男だったがね」

「はァ」

 俺は、相当惚けた声をだしたと思う。隣を見ると、静流も驚いた顔をしていた。いままで知らなかったらしい。そりゃいいけど、静流はただの人魚じゃなくて、人魚姫だったのか。いや、お姫様みたいだなと思ってはいたが。俺、すごい娘に告白しちまってたらしい。身分違いのカップルだぜこれ。どうしよう?

「とはいえ、そこが、ひどく差別的な国だったんだ。王族だった私が言うのもなんだが。私たちは立場上、海外留学ができたのでね。ほかの『S&S』や『P&P』も知っていたから、王位継承権は放棄して、こっちに移民してきたんだ」

 つづけて親父さんが説明した。

「王位についたのは兄だ。無難な話だったと思う。兄も、国民のためには、自分が王位を継ぐしかないと言っていたからな」

 なんか、楽しそうな感じではなかった。――ははーン、あれだな。小学校で、気に入らない奴を学級委員長に推薦するような奴だ。いやなんだよ、あれ。面倒臭くって。変な仕事が増えるし。

「それで私たちは、こちらで、普通の人間として生活していたんだよ」

「どうして、私にも話してくれなかったの?」

 静流が訊いた。さもありなん。お袋さんが静流に目をむける。

「正直に言ったら、あなた、信じた?」

「それは――」

「それに、家柄を自慢するような娘にはなってほしくなかったんだ。ああいうのは恥ずかしい行為だからな」

「――うん。それは、私もそう思うけど」

 静流がうなずいた。まァ、そうなって当然だな。俺の親父も、ときどき酒の勢いでわけのわからない与太話をはじめるが、あれとはえらい違いだぜ。感心する俺から目をそらし、あらためて親父さんが魔法使いのほうをむいた。

「そして、この男は、兄の補佐だった。大臣を務めていた男だよ」

「その通りでございます、姫様」

 魔法使い――大臣がうなずいた。そういうことか。ということは、静流の親父さんの兄気が病気でたおれたって話も本当だな。

「先程の話でございますが、それで、ルーイ様には、第二王位継承者として、我らが国に帰ってきていただきたく、お迎えに参上した次第でございます」

「すまんが、断る」

 親父さんは、予想外の返事をした。てっきり承諾すると俺は思ったんだが。

 これは大臣も想像してなかったらしく、キョトンとした顔をした。

「いま、なんとおっしゃいましたか?」

「断ると言った。『P&P』に移民するとき、兄とは今生の別れをしたからな。私は、自分の力だけで生きていくと決めたのだ。国の助力は請わないし、二度と『S&S』には戻らん。そういう約束だった」

「いえ、ですが、今回は特殊な事態でございます。先王様は子宝に恵まれませんでしたので、お世継ぎもいらっしゃいません」

「どういう理由であろうと、私は『S&S』には戻らん。そういう覚悟で、こちらにきた。世継ぎなら、遠縁のものを養子にでもとればよかろう」

「それでは、民に示しが」

「それをなんとかするのが、おまえたち臣下の職務ではなかったか?」

 いつの間にか、親父さんの口調が変わりはじめていた。『忘却の時刻』のなかだからわかるが、たぶん親父さんがしゃべっているのは母国語のはずだ。王族と大臣の会話を、俺は聞いているらしい。

「ですから、その臣下の判断で、第二王位継承者様を迎えにきたのです」

「庶民として生きる決意をしたものに愚かな申し出だな。おまえは、もう少し頭の冴えた男だと思っていたが」

「しかし、それでは、まつりごとはどうなさいます? 王が不在では、どのような議題も決定することが――」

「王族が政治か。そういう考えだから、あの国は偏ったのだ。王族など、ただの象徴でいい。まつりごとは身分の高いものではなく、能力の高いものに任せるべきだ」

「――なんということを。そこまでこちらの下賤な世界に毒されたのですか」

「毒されたのではない。私は、こちらの世界の考えに染まっただけだ。いまでは、それが真理だと思っているが」

 王族は王族、政治は政治、か。これは俺もそう思う。確かに、静流がお姫様ってのは俺もビビったが、政治の手腕に長けているとは思えない。

「ですが」

 それでも大臣は食い下がった。

「ですが、それでは姫様はどうなさいます? このような下賤な世界で、お世継ぎをつくることもなく、一生を終えることになるのですぞ」

「そうはならんさ」

 親父さんが自信をこめていった。大臣が眉をひそめる。

「なんですと? 姫様にふさわしいものが、こんな世界に――」

 言いかけ、ギョッとした顔で大臣が俺を見た。

「まさか、その人間が!?」

 またもや俺を指差し、大臣が静流の親父さんに訊いた。人を指差すのはいけないというマナーが『S&S』には存在しないのか、それとも、この大臣が俺を馬鹿にしているのか。

 親父さんが大臣を見つめた。

「そうだと言ったら、何か問題でもあるのか?」

「なりません! そこいらの庶民ならともかく、王位継承者の座を約束されている方が下賤な人間などと。何をお考えになられているのです!?」

「娘の幸せを考えているに決まっているではないか」

 親父さんが即答した。いい言葉だな。それにしても、この大臣、下賤って何回言ったよ?

「娘には娘の人生があります。その幸せを摘みとる権利があなたにあるのですか?」

 これはお袋さんの言葉だった。これまた口調が違う。娘のためとなると態度が変わる、か。本当にいい親である。

「おのれ――」

 大臣が歯ぎしりするみたいな顔で俺を見た。俺も大臣を見つめかえす。敵意があるわけじゃないが、「静流をどうぞ」と言うわけにもいかない。しかし、俺の独占欲が静流のプラスになるとも思えないし。どうするか。とりあえず『蛙の面に小便』と自分に言い聞かせながら、俺はポーカーフェイスを決めこんだ。

「それが貴様の答えか。下賤な人間の分際で」

 腹立たしげに言いながら大臣が立ちあがった。親父さんたちのほうをむく。

「本日のところは帰ります」

「そうか」

「ですが、これであきらめたわけではございません。ルーイ様が御帰還していただくか否かで、民の運命が決まるのです。方法は選びませんので、ご容赦を」

「そんなことより、こちらの世界にきたのだから病院に行け。兄の病を治す、いい薬が手に入るかも知れんぞ。こちらは医療がすばらしく進歩しているからな」

「失礼いたします」

 大臣が言い、背をむけた。居間をでるとき、ものすごい憎悪の目で俺をにらみつけていったが、気にするのはやめにした。

 それにしても、面倒なことになってきたぜ。

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