第一章二節後半
気がついたら俺ン家の前だった。我ながら夢うつつだったらしく、どこをどう歩いて帰ってきたのか記憶にない。――なんか、こう、
「ひき殺されてェのか!」
「どこ歩いてやがるんだ!」
「ちゃんと前を見ろ馬鹿野郎!」
等々、トラックの運ちゃんその他に怒鳴られたような気もするが、とりあえず怪我もなく帰ってきたんだし、よしとしよう。家に入ると、お袋が台所からでてきた。
「お帰り――?」
言いかけてから、お袋が不思議そうな顔をした
「何かあったの?」
「なんでだ?」
「口が緩みきってるよ。まさか、変な薬でも服ってるんじゃないだろうね」
「なんだそりゃ?」
「いや、昼間にワイドショー見てたら、そういう少年犯罪が多いって言ってたからさ」
「そんなんじゃないから安心しろ」
「ならいいけど、鏡見てきなさい。おまえのそんな変な顔、はじめて見たわよ。気を抜かないようにしておきなさい。うっかり“変貌”しちゃったら大騒ぎになるからね」
「あーそれは気をつける」
俺の正体が知れたら、交際してる静流にまで迷惑がかかる。洗顔と手洗い目的で俺は洗面所に行ってみた。
「ありゃま」
俺の顔は本当に緩みきっていた。表情がとろけている。想像だが、女性のオールヌードを見たスケベ野郎って、こんな目になるんだろう。幸せすぎるってのも考えものだ。少し自分の顔を叩き、俺は気合いを入れた。
「ただいま、と」
私服に着替えて食卓で夕飯を待っていたら、親父が帰ってきた。
「お帰り。これからの予定は?」
「前に話した奴で決定だ。土曜は帰ってくるけど、日曜から、また泊まりこみになる」
「へェ」
「お母さんも、検体試験の再開だよ」
「あそ。じゃ、また来週から、小説家のおっさんと飯を食うか」
「いつも悪いねェ」
お袋が夕飯を食卓に運んできた。あれ、肉じゃがだよ。かぶっちまったな。
「まァ、検体試験がないときは、きちんと手料理をつくってあげるからね」
「コンビニ弁当やカップラーメンでも俺はかまわないんだけど」
「そういうのは子供の教育に悪いってTVでやっててねェ」
「TVで放送してることの半分はデタラメで、残り半分はどうでもいいことだって週刊誌に書いてあったぞ。ま、それはそれでゴシップ記事だったんだけど」
昼間のTVってのは、こっちの世界ならではの娯楽だな。それだけではない。親父は現場作業、お袋は研究施設で獣人類の運動能力テスト。力仕事や走りまわるってのは俺たちの十八番である。おまけに金ももらえるときた。やりたいことやって飯が食えるなんて、『P&P』は天国みたいだって、普段から親父たちは喜んでいる。俺を『S&S』に行かせたがらない理由もわかる気がするぜ。ま、強利たちに逆らえるはずもないから、そのうち顔をださなくてはならないんだが。
「いただきます。あ、そうそう。明日、俺の弁当はいらないから」
「え、どうしてだい?」
肉じゃがを突っつきながら言ったら、お袋が変な顔をした。
「ちょっと、食べたい料理があるんでな」
「へェ。何を食べるんだい?」
「えーとだな。実は肉じゃがなんだ」
「肉じゃがなら、いま食ってるんじゃないか?」
親父も不思議そうな顔をした。そりゃ、不思議そうな顔もするだろう。
「お袋の肉じゃがとは、少し違う奴を食べる予定なんだよ」
「お母さんの肉じゃがより、コンビニの肉じゃががいいのかい? やっぱり、親がちゃんとそばにいてやらないと駄目なのかしらねェ」
お袋が眉をひそめた。俺を何歳だと思ってるんだか。
「あのな。俺にも、いろいろあるんだよ」
「どんな?」
「言えねェ」
「親に隠し事は感心せんな」
「誰にだって隠し事くらいはあるぜ。隠し事がありますって正直に言ってるだけ、俺なんてまだましだと思うけど」
とは言ったものの、冷静に考えたら、べつに隠すようなことでもなかった。
「学校の女子が、肉じゃがをつくるって言ってくれたんだよ」
正直に言ったら、親父たちが目を剥いた。
「おまえ、ガールフレンドができたのか!?」
「まァ、そんな感じだ」
「まさか、そのガールフレンドって、私たちのこと、知ってるわけじゃないよね?」
「実は知ってる。それでもOKしてくれた」
「おまえ、口が軽いのもいい加減にしておけよ」
「だって、黙ってて、あとでばれたら、かえって大騒ぎになるじゃんか。『よくも隠していたな、この卑怯者』なんて、もう言われたくもないし」
「それにしてもなァ。もう引っ越すなんて御免だぞ」
「いや、それは大丈夫だと思う」
「なんでそう言えるんだ?」
「だって、そんなことになったら、俺と、その娘、離れ離れになっちまうし」
「あ、なるほど」
親父が少し考えこんだ。
「まァ、知ってて仲良くしてくれてるなら、その女子というのは差別的な考えはしないんだろう。安心していいな。今度連れてこい」
「おう」
俺は夕飯を片づけた。しゃべりすぎたかな。部屋に戻って宿題やって、風呂に入って、適当にゲームやって、歯を磨いて寝る時間になった。その前に携帯を確認してみると、メールがきている。静流からだった。
『秀人くん、おやすみなさい。大好きです』
すごいことが書いてあった。自分の顔が上気して行くのがわかる。
「こんなこと言われたら眠れねェよ」
興奮してニヤついてドキドキして、『俺も大好きです』と返事を打って、俺は布団にもぐりこんだ。
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