第一章一節後半

 冗談抜きに放課後がきた。掃除当番が机を片づけはじめる。俺は静流をつれて教室をでた。校舎裏で――いや、やめよう。昨日は裏門で、とんでもない邪魔が入ったからな。少し考え、俺は屋上へ行った。夕日が綺麗だな。ガチでそういうシチュエーションである。心臓の鼓動が高鳴りはじめた。

「それで、あのな?」

 屋上の真ん中まで行って、俺は切りだした。静流が俺を見あげる。眼鏡の奥のやさしげな瞳が俺を見つめていた。俺のことを信じきっている瞳である。陶器のような白い肌という言葉があるが、静流はまさにそれだった。もっとも、いまは桜色に上気しているが。形のいい唇が、少しだけ笑みの形になっている。

 ブッチャけると、静流は無茶苦茶美人だった。趣味の悪い眼鏡で隠しているが、それでも少し注意して見れば、誰だってわかるだろう。これは人間の美貌じゃない。海の妖精である人魚だからこその、夢のような美しさである。

 こんな綺麗な娘に、俺、言っちゃっていいんだろうか。

「佐や――秀人くん、て呼ぶんだったっけ。まだ慣れてなくて」

 固まってる俺に、静流が声をかけた。なんだか、はにかむというか、照れ笑いみたいな表情をしている。赤い顔のまま、右手で自分の胸を押さえた。

「あのね。秀人くん、緊張してるみたいだけど、私もだから。いまも、胸がドキドキしてるし」

「そ、そうか。俺もドキドキしてるんだよ」

「それでね。あの、もし、もう少し時間がかかるんなら、私、待つけど。明日とか、明後日でも、かまわないから。これからも、ずっと一緒なんだし」

「いや、あの、ずっと一緒とか、うれしいこと言ってくれるけど、やっぱり、今日って決めたんだから、今日、きちんと言わないと」

「そう。なら、もう少し待つから」

 静流は微笑を浮かべて俺を見ていた。うわ駄目だ。何をどう言ったらいいのかわからない。こんなんだったら、巨像兵士と喧嘩してるほうがよっぽどましだぜ。どうしたらいいのかわからずに固まってる俺を見て、静流が口を開いた。

「あのね。もしよかったら、私から秀人くんに言っても――」

「俺と付き合ってください!」

 静流の言葉をさえぎるように俺は言ってしまった。ひょっとしたら、静流は俺をリラックスさせるために冗談を言おうとしていたのかもしれないが、そんなこと考えたって手遅れである。俺は本当に告白してしまったのだ。静流の表情が微笑から驚きに変化する。

 どどどどうしよう。なんで返事がこない? 俺も声がでなかった。ひょっとして、俺、何か、とんでもない勘違いをしていたんじゃないか? 沈黙は何秒くらいだっただろう。

「はい。喜んで。私からもお願いします」

 赤い顔で、静流が返事をした。手足が震えそうな言葉である。

「あの、なんて言ったらいいのか。ありがとう」

「ううん、そんなこと。私も、すごくうれしかったから」

 で、また沈黙。少しして、静流が口を開いた。

「それで、あのね? 私たち、このあと、どうしたらいいのかな?」

「えーと、それはだな」

 言われて俺も困った。どこかに遊びに行くか? いや持ち合わせがない。

「そうだな。まずは、携帯電話のアドレスを交換しようか」

「あ、そうね。私たち、そういうの、まだしてなかったもんね」

 とりあえず、俺たちは携帯のアドレスを交換した。それからどうしよう。静流が俺を見つめている。困った。

「ごめん、どうしたらいいのか、何も思いつかない。とりあえず、一緒に帰ろうか。家まで送るから」

「あ、う、うん。そうだね。一緒に帰るのは同じでも、いままでとは違うものね」

 静流がうなずいた。カバンは持ってるし、もう教室に用はない。俺たちは階段を降りて、校門をでた。前の騒ぎの三人組が邪魔に入ったらシャレにならないところだったが、ありがたいことに今日はなしである。そのまま歩きだそうとし、俺は袖をひかれた。振りむくと、静流が俺の袖をつかんだまま立ち止まっている。

「あの、何かまちがったっけ?」

「ううん。そうじゃなくて」

 静流が、少し恥ずかしそうな顔をした。

「あのね? 腕を組んでもいい?」

「え!?」

「だって、あの、ほら。こっこここ、恋人って、腕を組むものでしょう?」

 緊張してるのか、つっかえながら静流が言う。恋人!? 俺と静流が!?

「恋人って、あの、いきなり、そんな関係じゃ」

「え、だって」

「そうだな。こういうときは、まずは友達からって言うんじゃないかな?」

「友達は、いままで、ずっとそうだったと思ってたんだけど」

「あ、そうだったっけ。それじゃ、友達以上恋人未満ってことで。なんか、そういう言葉があったって、知り合いの小説家のおっさんから聞いたことあるし」

「私、秀人くんに告白されて、それで、さっきOKしたばっかりなんだけど」

「あ、それもそうか。じゃ、俺たち、恋人同士ってことで」

 そうか。俺たち、恋人同士だったのか。というか、自分で告白しておいて何を言ってるんだって自分で突っこみたい気分である。俺は頭をかいた。

「ごめん。なんて言ったらいいのか、実は俺、こういうの、はじめてなんで、よくわかってないんだ」

「それは、あの、私も同じだから。男の人とお付き合いするのって、秀人くんがはじめてだし」

「そうなんだ」

「うん。だから、私たち、お互い、恋愛の初心者だね」

「そうだな。若葉マークだな俺たち」

 何をしゃべったらいいのかわからず、しどろもどろでトンチンカンな受け答えをする俺の横に静流が並んだ。

「だから、その、腕を組もうって話なんだけど?」

「あ、それはその、まだ早いような。こういうときは、まず、手をつなぐのが最初じゃないかな」

「でも、ほら、前に遊園地に行ったとき、私、秀人くんと腕を組んだような気がしたけど」

「だって、あれは確か、お化け屋敷に入ったときで、暗かったしさ」

「あ、そうだったわね。じゃ、最初は手をつないで帰るってことで」

 まだ夕方である。腕を組んで帰るのは、ものすごく恥ずかしい気がした。俺の真意を知ってか知らずか、静流が笑いかける。

「じゃ、秀人くん、手をつないで帰ろう」

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