第69話



「友よ、真にここまででよいのか? その里とやらまで送ってやるにやぶさかではないぞ? せめて街道までは」


 彼らの居留地に一泊した翌朝。

 僕を《アンリオスの森》の終わりまで送り届けたエレウシスはそう言ってくれた。


 僕は首を横に振った。

 彼ら《人馬ケンタウルス》はようやく落ち着いてきたばかりだ。

 僕を送るためなんかに、《ギレヌミア人》の領域を歩かせるわけにはいかない。


「そうか。……では、達者でな」

「ええ、エレウシスも」


 僕は森の終わり、アリオヴィスタスが切り拓いて、エレウシスたちが再び拓いてくれた藪を歩き出す。

 考えてみれば、僕がこの森より北に行くことは初めての経験で、ここから先にはそういう世界だけが待ち受けている。


 雪が吹き込んで真っ白になった森の地面に、僕はローブの裾を挟んだ素足を沈める。

 そんな歩き方をしているから、歩みはとても鈍い。


 かつてアリオヴィスタスは、僕らの国を攻めるためにここを歩いた。

 今日、僕はこの国を出るためにここを歩いている。


 ふと、大勢の蹄が雪を踏む音が森に響く。

 振り返れば、数百名の《人馬》が姿を現して、蹄で地を踏みしだいていた。


「また会おう! 友よ! この《森》で!」


 大きな喚声に向かって僕は手を振り返した。


「ええ、《アンリオスの森》で!」


 そうして、僕は手を振り振り故郷をあとにした。



 森を抜けるとなだらかな斜面は深い雪で覆われていた。

 空を見上げれば、晴天。


 照り返しが眩しい雪原は、昨日からの晴天に溶けて、わずかに凍りついているようだ。

 僕はその上にお尻と背中をつけて、斜面を一息に滑り降りる。


 この《アンリオスの森》の終わりから、《ザントクリフ王国》を掠めて北へと伸びる街道までの距離はそれほど遠くない。

 《人馬》のみんなの居留地に寄ってアンリオスが眠るお墓に挨拶しないわけにはいかないから、エレウシスにはちょっと遠回りをしてもらった。


「さて、と……」


 なだらかな斜面を手で雪を漕ぎながら滑り下りた僕は、惰性で進めるところまで行ってから、雪を割って体を起こした。

 街道に出れば無暗に《ギレヌミア人》が襲って来ることもないとニックも言っていたし。

 なにより、ここら辺を縄張りにしていた《セビ氏族》はイルマが打ち払ってしまった。

 《ギレヌミア人》の領域だと言っても、まあ、心配はないだろう。


――甘かった。


 馬のいななきのような音が聞こえて来たとき、僕はエレウシスたちがまだ見送りに来てくれたのかもと思った。

 でも、遠目に見えた姿にすぐに違うと悟った。

 陽射しの中に馬の白い息と、半裸の男たちの息が重なっていた。


 四、五騎のほとんど鎧も身に着けていない《ギレヌミア人》たち。

 しかも、雪が音を吸っていたせいで、かなり近づいて来るまで気づけなかったんだ。


 僕は迷った。

 全裸になって戦うべきだろうか。


 いや、彼らだって僕のような子どもを相手にはしないだろう。

 ほっとこう。


 そう思って、雪を割りながらえっちらおっちら歩いていると、なぜか彼らはこっちに向かって来る。

 そうして、僕は五人の《ギレヌミア人》に囲まれた。


「《グリア人》に間違いはないが、子どもだな」

「なんで、こんなところにいるんだ、こいつ」

「良さそうな毛皮を着ているが、おい、小僧」


 《ギレヌミア語》がわからないと思っているらしく、髪を額の真ん中あたりで中分にした、胸のあたりを斜めに包んでいるだけの毛皮の上着を着ている《ギレヌミア人》が僕に身振りで止まれと指示する。

 この寒空に両肩が丸出しで、彼らお馴染みの白い肌はちょっと赤らんでいる。

 ひとのことは言えないけれど、なかなか寒そうな格好だ。


「ナニカ、ヨウ?」

「俺らの言葉がわかるのか、小僧?」


 僕は驚く《ギレヌミア人》に頷き返した。

 彼は僕の腰に視線をやると、改めて僕の顔をまじまじと見る。


「お前は《戦士》なのか?」


 僕はちょっと考えてからまた頷いた。

 僕が《戦士》かどうかは、微妙な線だったとは思うけれど、ここで完全に否定するのもなにかが違う気がしたからだ。


 故郷を後にしたんだ。

 ここから先は、きっと僕がすべてを決めなければならない旅。


 僕はそこらの《戦士》に後れをとるつもりはない。

 なにせ、イルマ・アガルディ・ザントクリフ・レイアの息子なのだから。


「もうこのガキでいいじゃないか」

「いや、自称だろ、《戦士》は。このぐらいの年ごろのガキは、そう言いたがるもんだ」


 完全に上裸で腰のあたりに毛皮の布を巻き付けているだけの長柄の斧を持った男と、両肩までしか布のないベスト一枚の長髪で顔が隠れている槍の男がそう言い交す。

 僕はそれを聞いて少しムッとした。

 表情を読んだのか、初めに声をかけて来た中分の男が僕に声をかける。


「おい、お前は幾つだ?」

「ジュウニ」


 周囲の《ギレヌミア人》たちがちょっと驚いたような声を上げる。


「そうだった! 《グリア人》はちっこいんだ! 十二なら、《戦士》でいいのか?」

「構わねえさ!」


 油断。

 僕の後頭部に衝撃が走る。涙が滲み、目の前の景色が揺れる。

 雪が僕の顔を包み込む。


「おい! 手荒な真似はよせ! 占いに使う前に殺す気か!」

「うるせえなあっ! どうせ殺すんだろ?」

「馬鹿か、てめえはっ!! ……」


 占い? 殺す?

 遠のいていく意識の底で、僕はそんな不穏な言葉を聞いた気がした。



――急に、僕の体に力が満ちる。

 音なき音が僕を呼び覚まし、《福音ギフト》が体に満ち溢れる。


 最初に耳にしたのは喧騒。

 次にはこんな言葉。


「なんということだ! ばかなっ!!!」


 年老いた絶叫だ。


 その声以外はみんな荒々しく、血の気が多いような感じ。

 僕はゆっくりと目を開ける。


 僕に注目している人間はいない。

 全裸に剥かれた僕の傍らには膝を突いた暗緑色のローブの小柄なひと。

 そのひとが振り返っている先では、僕が最後に見た中分の《ギレヌミア人》が腕を組んで立っている。


「お前たち、いったいなにを連れて来たのだ!?」

「なんだってんだ、爺い。ただのガキじゃねえか?」

「これが、ただの子どもに見えるというならば、いかな《魔獣》とてのみに見えるじゃろうな! 幸せなことじゃ!」


 ローブから差し伸ばされた萎びた指と、その動きと喉から零れる喘鳴に、僕は眼の前のひとが老年の男性だと知った。

 寝ながら素早く瞳を動かす。

 高い空に浮かぶ雲が朱色に染まっている。


 背中には冷たいけれど固い感触。

 雪の上じゃない。


 僕の傍にいるのは老人と、彼と話している中分の男。

 男というより青年というぐらいの年齢。

 もうふたり、横になっている僕の頭のほうに立っているのは、やはり僕を取り囲んでいた上裸と長髪だ。


 そのふたりとふと、視線が合う。。

 いったいなんだろう? そう思って僕は体を起こす。


「お、起きた」

「ぎゃあああああ!!」


 暗緑色のローブに身を包んだ老人が、悲鳴を上げながらよろけて仰向けに倒れた。

 同時に鈍い音。どうも後頭部でも打ったようだ。


「大丈夫か《ドルイド》?」

「爺いも、もう歳だろ?」


 口々にそう言っている上裸と長髪は、よく見るとヒゲも生えそろっていないし、相当若いのかもしれない。

 その背後には遠巻きに《ギレヌミア人》の人垣が出来ている。

 いや、周囲から聞こえてくる感じだと、人垣に囲まれているというのが正しいのかもしれない。


 地面は雪が掻いてあって、踏み固められた湿った土がむき出しになっている。

 夕暮れの空は高いけれども、ここがどこかはわからない。

 人垣の向こう側には背の高い天幕テントがいくつも見える。


 僕らがいる場所も天幕が並んでいる場所も平野のようだし、その先の周囲もそれほど起伏は無い。

 東のほうには常緑高木の森と、さらに遠目に見える夕陽に染まったあれは《アルゲヌス山地》だろうか?


 そうすると、《ザントクリフ》の《アンリオスの森》よりも少し北に来たという感じだろうか?

 さすがに一日中、気を失っていたってこともないだろうし、気絶してから半日ほどだろうか。


 そこまで考えて得た結論は、どうやら僕がさらわれたのだということ。

 そして、たぶんだけどここは僕を攫った《ギレヌミア人》たちの逗留地なのだろう。


 僕が立ち上がると、僕よりも頭ふたつは背の高い中分の《ギレヌミア人》がイルマから貰った剣を胸に押しつけてくる。


「ん」

「コレハ?」

「俺ら《ギレヌミア》の古式の占いだ。お前は《ザントクリフ》という国の者で間違いないか?」

「ウン」

「よし、ならいいだろ? 《ドルイド》」


 中分の若者が振り返ると、ローブの老人の顔を覗き込んでいた長髪がこっちを見て首を横に振った。


「完全にイッちまってる」

「死んだのか?」

「いや、それはまだろうが、白目剥いてる」

「じゃあ、しょうがねえな」


 中分の青年は改めて僕に向き直ると、ひとつ咳払いをした。


「いいか、小僧? これからお前は俺たち《セムノネース族》の代表と決闘をするんだ」


――《セムノネース族》、それが彼らの氏族の名前か。

 周囲にある呼吸音からおおよそ数百から千人ほどの人間がいるようだ。

 まさか《セビ氏族》以外の《ギレヌミア人》が《ザントクリフ》の周辺、こんなに近くにいるなんて思わなかった。


「ソレガ、ウラナイ?」


 僕の言葉に中分の青年は驚いたような顔をする。

 気絶する前に聞いた言葉を僕はしっかりと憶えていた。

 確かに「占い」がどうだとか、僕を「殺す」とか彼らは言っていたはずだ。


「察しがいいな。俺らはこれからお前の国を攻めようと思ってる。血族同盟にあった《セビ氏族》の《戦士》たちが、お前の国に敗れたからだ」

「ドウシテ、イッショニ、セメナイ?」

「あん? ああ、《セビ氏族》らと共にお前らを攻めなかった理由か? 一騎打ちだってほかの者は手出ししないだろ? そういうことだ」


 なんとなくわかるような、わからないような。


「とにかく、だ。《セビ氏族》は《ハールデス氏族》とかいうやつらと行動を共にした末に敗れた。これはもう、恥の上塗りだ。俺らも肩身が狭い。そこで、やつらの代わりに俺らが恥を雪ぐ。……お前とこちらの代表の決闘はその前哨戦……まあ、戦争の行く末を占うわけだ」

「カテバ、イイ?」


 僕の質問に若者は大きな青い瞳をぎょろりと動かして、大笑いする。

 そして、笑いをおさめると瞳をらんらんと輝かせて凄む。


「小僧、《ギレヌミアおれたち》を嘗めるなよ? ……お前には鎧も服も与えない」


 そう言うと彼は、踵を返して人垣へと戻っていく。


「……黙らせろ」


 その言葉と共に彼に肩を叩かれた太めの青年が人垣から進み出た。

 その手には長柄の斧が握られている。

 さきほどの《ドルイド》の老人と僕のローブを担いで、長髪と上裸の青年も人垣に紛れていく。


 なるほど。

 ここは決闘場だったわけだ。

 僕はニックから貰ったスタッフが老人を担いでいる人の腰のベルトに差さっているのを確認すると、目を閉じて耳を澄ませた。


――聴こえる。聞き違いじゃなかった。

 聞き覚えのある野太い大声だ。


「ガキ、てめえが《戦士》だあ?」


 斧の青年が全裸の僕の姿を眺めてせせら笑う。

 周囲からは口汚いっぽい野次が飛んでいる。

 《ギレヌミア語》にはそこまで詳しくないから内容まではわからない。

 殺せ、だとか、死ね、だとかいうのはわかるけれども。


――そこで、僕は初めて気がついた。

 なにか、自分のタガが外れているような感覚。


 今までは、ずっと守るべきものがあった。

 遵守すべき誓いがあった。


 だけど、それらから解き放たれた僕は、どうも自分が思っていたよりもわがままだった。

 一己いっこだと思った僕の頭には、たくさんの人の顔が浮かんでいた。


 それは守るべきものではなくて、どちらかといえば僕が勝手に守りたいもの。



 斧の青年が無警戒に僕の間合いの中に入って来た。

 僕は一歩を踏み出すと、彼の踏み込んだ脚を払った。

 宙に浮いた彼の体。そのみぞおちへ肘。


「ぶぐへっ!!」


 斧を落とした青年はそのまま決闘場を人垣まで転がって行った。

 野次を飛ばしていた《ギレヌミア人》たちの顔が凍りつき、声が消える。

 静まり返る人垣の向こう側、少し離れたところからひとりの野太い声が聞こえてくる。


「やめておけ! 《セムノネース》! あの国には一氏族では勝てぬぞ!」


 相変わらず声がデカい。

 僕は決闘場を駆けると、僕のローブと杖をひったくった。

 その動きにわずかでも反応できた《ギレヌミア人》は人垣の中には半数に満たない。


 これならば、イケる。

 僕はローブを持っていた男の顔を踏み台にして、聞き覚えある声のほうへ向かって跳躍した。


――いた。あいつだ。


 怒号と驚愕の喚声の中、僕はそいつの前に降り立った。

 彼の隣にいたのは彼よりも少し若そうな壮年の男。

 彼には劣るが、堂々たる体躯だ。


 それに彼と同じように、僕の動きを確実に目で追えている。

 おそらく、この男が《セムノネース氏族》の氏族長だろう。


 そう考えながら、僕は剣を彼の喉元に据えていた。

 腰の剣を抜こうとしていたふたりの動きが止まる。


「――オルレイウス・アガルディ・ザントクリフ・レイアっ!?」


 ネシア・セビが僕の名前を絶望の声色で呼んだ。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百十一年、ザントクリフ王国歴千四百六十八年、ヘカティアの月、十夜


 オルレイウスへ送る。


 きみの行方が知れなくなったという報告を受けたのは先日のことだ。

 北から来た《ドルイド》が教えてくれた。

 また、イェマレンにより知らされたのだが、《ルエルヴァ神官団》から《神殿》に新しく《司祭》が来ることになった。


 そこで、この日記帳をマルクスに託し、きみからの連絡があった時、きみへと送ることにする。


 教えておかねばならないことが幾つかある。

 だが、すべてを書いている時間的な余裕もない。


 《ルエルヴァ神官団》から《司祭》が来るということの意味が、これを読んだきみにもわかるだろう。

 もうすぐ私はこの国を発たねばならない。


 そして、きみだけではない。

 アークリー、コルネリア、アウルスの三名の行方もわかっていないのだ。


 イェマレンから報告があったのはそれだけではない。

 不眠不滅の《竜》は《アプィレスス大神殿》の下に封じられているそうだ。


 そして、きみの転生に介入したものも、おそらく《アルヴァナ神》と深い関わりがある。


 だから、オル。

 きみは、なにがあろうと、《ルエルヴァ共和国》、特に《ルエルヴァ》に足を踏み入れてはいけない。


 とりあえず、私が今、きみに報告できることはこれだけだ。

 済まないが、あとはこの日記帳の記述と、私ときみとの会話から推測してくれ。


――ニコラウス・アガルディ・ザントクリフ・レイア〉



 〓〓〓



…………空が白んでいた。

 オルレイウスは途中から全裸になって馬房に座り、ページを繰る速度を上げていた。

 彼は読み飛ばすということができない性質だ。


 アークリーとコルネリアとアウルスの三人が、オルレイウスを追っていたという事実。

 そして、彼らが行方知れずだということにオルレイウスは動揺していた。


 そして、父・ニコラウスが国元を離れなければならなかったという理由。

 だが、即座に動揺を抑えたオルは確かめられることから挑んでいくことに決める。


 アークリーとコルネリアは腕が立ち、アウルスは馬を操るのに長けている。

 そう簡単に死にそうにはないと信じることにしたのだ。


 そして、父母については言うまでもない。

 彼の母親はおよそ人族屈指の達人であり、父は彼が知る限り最高の《魔法使い》だ。


 《ルエルヴァ共和国》に来てからまだひと月と少しほどだが、父母よりも腕の立ちそうな者は見かけたことさえなかった。

 だから、オルは両親と友人たちが無事であることを祈るような思いと共に信じることにした。

 そして、今、オルレイウスが確かめられる真実を握っているものは、彼の影の中にしかいない。


「……《ピュート》」

『…………』

「お前は、《竜種ドラコーン》だったのか……?」


 《蛇》はオルレイウスの質問に答えなかった。

 偽ることができないからだ。

 しかし、オルにはそれで十分だった。


「僕を転生させたのは何ものだ? 知っているんだろう、《蛇》? 《巨神族タイタン》なのか? 彼ら《巨神》とは、なにものなんだ? ニックは僕が彼らに同情すると書いていたけど、なぜなんだ? 鱗と皮を剥がれたもの、それが僕が見たものの正体なのか?」


 《蛇》はそれにも答えない。

 どちらかといえばオルよりも、そちらのほうに義理があるからだ。


「僕がこのまま《ルエルヴァ》にいることは、お前と、僕を転生させたものには、都合がいいのか?」


 《蛇》は答えない。

 オルだってわかっているのだ、《蛇》が答えないだろうなどということは。


「……僕は、神々の敵だったのか……?」

『そうじゃないさ、オルレイウス』

「じゃあ、なんだと言うんだ?」


 《蛇》はまた沈黙した。


 オルレイウスは考える。

 《蛇》はウソをつけないはずだ、と。

 そして、幼い頃聞いた父の言葉を思い出す。


 あの神の御心には適って、この神の御心には適わないということもあり得る。

 神々とて、仲違いをするということは、ガイウスから聞かされた《混沌神》が追放された逸話からも知れる。


 そして、父・ニコラウスもまた神々の一部と敵対しようとしている、とオルレイウスは考える。


 なぜならば、理由は定かではないがニコラウスが《陽神》を憎んでいるのは確実なことだからだ。

 だが、同時に《義侠神》はオルを救った。


 《義侠神》も《陽神》も《世界を治める七神》の一柱だ。

 ならば、オルと父はすべての神々の敵というわけではない。


 《義侠神》がニコラウスに語った言葉というのも気になった。


――末妹に絆された母の願い――


 末妹とは《純潔神アルヴァナ》であり、母とは《冥府の女王ディース》のことと思われた。

 《魔族戦争》における人族の勝利とは神々に予定されたものだった、ということにほかならないとオルは知った。


 そして、父はそれに関して決定的な役割を担ったに違いなかった。

 それならば、初代の《デモニアクス》と友であったという初めて知る事実も、アンリオスに「裏切者」と呼ばれていた理由もわかるような気がした。


 問題は、父とオルの敵が同じものだと考えるべきか否かということだった。

 ニコラウスは、《陽神》にして《予知神》の《アプィレスス》の予知がオルレイウスによって乱されていると確信しているようだった。

 オルは父の愛情は疑い得ないものであると感じながらも、父がオルを利用して《陽神》への復讐を果たそうとしているのではないか、という懸念を捨てきれずにいた。


――神々というものは、およそ地を這うものに対してどこか狂っている――


 父の書いたその一節が、オルの背筋を震わせる。


 そもそも、オルの敵とはいったいなんなのだろうか?

 オルの転生に介入したもの――おそらくは《巨神族》――を敵と見定めるべきなのか。

 それとも、この世界に今も存在していて、オルや父やいろいろな存在を狂ったように愛でたり、助けたり、ときには罰して殺してしまうような神々ものを敵と見定めるべきなのか。


 オルレイウスにとっての神々は、他者にとっての神々と比べれば、これまでも幾らか近しいものだったといえるだろう。

 なぜならば、彼はそれに類似した存在と転生前に接触しており、北から南に下ってくるときにも接触していたから。

 それでも、それは天候や地震などの自然現象に相当するものだったと言えた。


 自分の力ではどうにもできないもの。

 オルレイウスにとって、それに近づきうるのは父・ニコラウスぐらいのものだった。


 だが、父の書き記したものを読んだ今では大きく印象が異なった。

 そこここに神々の影が見え、そして《陽神》の権能をオルレイウスという存在が乱しているという。

 ニコラウスの手記によれば《義侠神》には助けられてさえいる。


 オルレイウスは、幼い頃に一度、彼を転生させたもの――《裸神》と彼が呼ぶもの――の思い通りには動かないと誓った。

 だが、それは別の神々の思惑通りに動くことになるのではないか。

 おそらくは《陽神》に従い、それを憎むようになった父のように。



――ニックに会いたい――


 オルは切実にそう願った。

 ニコラウスならば、彼の疑問の多くに答えられるはず。


 今からでも、《以遠海ビヨンド・オーシャン》を目指すべきだろうか?

 その先にあるという、《ドルイド》の秘儀に接してみるべきだろうか?

 そこになら、もしかしたらオルの求める答えがあり、両親がいる可能性もあるように思えた。


 だが、北――《ギレヌミア人》の領域は、オルレイウスにとって鬼門以外の何物でもなかった。

 ふたたび、あそこに赴けば今度こそ逃げることはできなさそうに思えたのだ。

 そして、大勢の者がオルレイウスを執拗に探している。


 つまり、彼らに見つからないように、捕らえられないように《以遠海》に到れる可能性は皆無に等しい。

 かと言って、父が警告した《ルエルヴァ》に留まり続けるのも危険には違いなかった。


 なによりオルレイウスは既にひとりの《神官》と知り合いになっている。

 彼女――リシル・グレンバルト・デモニアクス・ミアドールは《祈り》によって治癒を行っていたし、《高位司祭》相当の《神官》だと聞いている。

 彼女の《祈り》は《陽神》の力の一端に思えたし、ニコラウスは《アプィレスス大神殿》の《高位司祭》を警戒しているようだった。


 ならば、さらに南へでも逃げようか。


 だが、南は大陸が終わるまで《ルエルヴァ共和国》だ。

 大陸の南の海の果てに逃げ場などあるのだろうか。


 そこでオルは思い出した。

 《蛇》は昨夜、言っていたはずだ。


――こんなところはおさらばしようぜ? ――


 ほんとうに父が予想する通りならば、《蛇》はそんなことは言うまい。

 加えてオルレイウスは既にひと月近くも《ルエルヴァ》の市街地をうろうろしていた。

 それでも何も起こっていない。


 もしかしたら、経過時間が関係あるのか?

 いや、父の手記によれば《蛇》は場所だと明言している。

 ならば、おそらく《ルエルヴァ》以外の場所なのか、特定の狭い範囲に自分が入らなければ問題はないのではないか。

 オルはそう考えた。


 焦る必要はない。

 しかし、必ずしも安全というわけでもない。


 とにかく一刻も早く、ニコラウスと接触する方法を確保しなければ。

 そして、できることなら三名の友人たち、アークリーとコルネリアとアウルスを見つけ出し保護しなければ。


 伯父の言葉に甘えて故郷に帰るか?

 いや故郷には、父が逃げねばならなかった相手、《ルエルヴァ神官団》の《司祭》とやらが高確率で居座っているはず。


 なにか北方を見咎められずに歩ける方法はないか?

 そう考えてオルが至った結論は実に単純なものだった。


 全裸になるからいけないのだ。


 彼の顔を直接知る者は多くない。

 それに、彼が闘うときは常に全裸だった。


 ならば、全裸にならなければ見咎められる可能性は極端に低くなるはず。

 だが、険しい北方を全裸にならずに渡り切るには単独では不可能だ。


――《冒険者》ならば。

 《冒険者》ならばパーティーを組むことは必然で、集団で移動するからひとりひとりの印象は薄くなるはず。

 そして、仲間が腕利きならばオルレイウスが全裸になる必要は無く、任務次第では北方にも足を延ばす。


 少人数の仲間ならば、万が一秘密を知られても利害を共有していれば口外しないでいてくれる可能性は高い。

 それは、師であるクァルカス・カイト・レインフォートと、彼のパーティーメンバーが例を示していた。


 幸いオルは《魔法》が使える。

 《戦士》としてではなく、戦闘に参加でき、《魔法》の腕もそれほど悪くない。


「一刻も早く一人前の《冒険者》に……」


 だが、彼の昇級への査定まで、もう四日しかないのだった。


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